将棋コラム

「新手一生」の升田幸三実力制第四代名人とは。史上初の三冠王にも輝き多くの新戦法を生みだした【今日は何の日?】

「新手一生」の升田幸三実力制第四代名人とは。史上初の三冠王にも輝き多くの新戦法を生みだした【今日は何の日?】

更新: 2017年04月06日

  • Facebookでシェア
  • はてなブックマーク
  • Pocketに保存
  • Google+でシェア

「新手一生」を掲げて、さまざまな戦法や新手を創案した升田幸三実力制第四代名人は、桜が満開になるころの1991年4月5日に亡くなった。1918年3月21日生まれ。36年四段。青年時代は「打倒木村(義雄十四世名人)」を目指したが、太平洋戦争で召集されて対局が指せない期間も長かった。ポナペ島(ポンペイ島)に派遣されたときは、「月が連絡してくれるなら、通信将棋で木村名人と戦ってみたい」と思っていたという。

戦後、51年の第10期名人戦では木村名人に敗れたが、翌52年の第1期王将戦は4勝1敗と圧倒。当時の王将戦は「三番手直りの指し込み制(3勝差で香落ち)」が導入されていた。香落ち戦の第6局は神奈川県秦野市「陣屋」で行われる予定だったが、升田が対局拒否して「陣屋事件」が起きた。

56年には第5期王将戦でも当時の大山康晴名人を香落ちに指し込み、香落ち戦も制する。現在では公式戦で駒落ちが指されていないこともあり、名人相手に香落ち上手で勝ったのは空前絶後の記録だ。

whatsday20170405.jpg

このころが升田の最盛期で、57年には史上初の三冠王(名人・王将・九段)に輝いた。79年に引退。升田式石田流や矢倉のスズメ刺しなどを創案。角換わりや相掛かりでも定跡を残し、序盤戦術の革新に大きく寄与した。定跡の進歩に貢献した者に与えられる将棋大賞の升田幸三賞は、「新手一生」の升田にちなんでいる。

升田の訃報は新聞の一面やテレビで報じられた。升田が亡くなった日は、第9回全日本プロトーナメント五番勝負の▲桐山清澄九段-△森下卓六段(現九段)戦が将棋会館で行われた。桐山九段は故・増田敏二六段門下だが、その前に升田の内弟子をしていた時期がある。桐山は昼食休憩時に控室で新聞原稿を見ていたという。結果は森下勝ち。桐山は「必勝の信念で臨んだが残念」と述べた。

升田は数々の新戦法とともに鬼手や妙手も語り継がれている。よく知られている妙手は、1971年に行われた第30期名人戦七番勝負第3局の▲大山康晴名人-△升田戦。当時53歳の升田は、ハメ手である早石田を改良(後に升田式石田流と呼ばれるようになる)して第2局で採用。続く第3局でも用いた。

【図は93手目▲2六同飛まで】

図は△2六歩▲同飛とつり上げた局面。ここで△3五銀と引いたのが鮮烈な一手だ。▲同角△3四金に(1)▲同金だと△3五角▲同金△5九角の王手飛車取りが決まる。実戦は大山が△3四金に(2)▲5七角△2四金▲3六歩△2五歩▲2九飛と辛抱を重ねたため長期戦になったが、210手で升田が制した。当時の観戦記で東公平氏は、△3五銀を「天来の妙手」と書いている。

君島俊介

ライター君島俊介

2006年6月からネット中継のスタッフとして携わる。2016年現在は順位戦・棋王戦・棋聖戦などで観戦記を執筆。将棋連盟ライブ中継で棋譜中継を楽しむ日々。

このライターの記事一覧

この記事の関連ワード

  • Facebookでシェア
  • はてなブックマーク
  • Pocketに保存
  • Google+でシェア

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

facebookのタイムラインに
最新情報が配信されます

将棋コラムの人気記事

もっと見る