将棋界最大の危機!それを救ったのはあの名誉名人だった【今日は何の日?】

将棋界最大の危機!それを救ったのはあの名誉名人だった【今日は何の日?】

ライター: 君島俊介  更新: 2017年06月29日

今日は何の日?

初の実力制名人を決める第1期名人決定大棋戦の特別リーグ戦が1935年6月に開幕してからわずか5ヵ月後。将棋界に激震が走った。

関西の神田辰之助七段の八段昇段をめぐって棋界が紛糾したためだ。賛成派と反対派に割れ、賛成派である花田長太郎八段、金子金五郎八段らが日本将棋連盟を脱退し、日本将棋革新協会を設立する。このとき、将棋連盟側は脱退した棋士を除名処分にするべきと判断したが、関根金次郎十三世名人はそれに反対した。連盟や革新協会の棋士はほとんどが関根の弟子や孫弟子だった。

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1938年2月に行われた「将棋名人退就位式」の時の模様。左から関根金次郎、木村義雄、一番右が小菅剣之助。

特別リーグ戦は将棋連盟側が主催し、萩原淳七段を八段に昇段させて続けたが、ファンからは不満の声が大きくなってきた。

関根は問題解決に、兄弟子の小菅剣之助八段の力を借りることとした。当時将棋界から離れていた小菅は、将棋界から米相場に転向して財をなした。三重県四日市市に住居を落ち着けると、私財を投じて商工会議所や市民病院などを建設して寄付するなど四日市の発展に尽くしていた。

1936年5月、以前から小菅と関根が計画していた、恩師・十一世名人伊藤宗印の功績をたたえる「棋聖宗印之碑」が東京の護国寺に建立された。その除幕式に小菅が将棋連盟と革新協会の棋士に案内状を出して招待する。除幕式に東京のほとんどの棋士が出席。将棋連盟と革新協会の棋士たちが顔を合わせることとなる。これが和解のきっかけとなった。

翌月に関根はあらためて小菅に調停者として出馬を要請。承諾した小菅は、調停に向けて迅速に動く。そして、1936年の6月29日に上野公園の精養軒で和解の手打ち式が開かれた。この結果、日本将棋連盟、日本将棋革新協会、十一日会(神田八段らが中心とした関西の組織)の合流を果たしたのである。そして、新しい組織「将棋大成会」が結成された。

結局、第1期名人決定大棋戦の特別リーグ戦は土居市太郎八段、大崎熊雄八段(病気により途中棄権)、金易二郎八段、木見金治郎八段、花田長太郎八段、木村義雄八段、金子金五郎八段、神田辰之助八段、萩原淳八段の9人により続行されるようになった。

1936年11月6日、将棋大成会は調停の功労や棋力に敬意を表し、小菅に史上初となる名誉名人の称号を贈った。

君島俊介

ライター君島俊介

2006年6月からネット中継のスタッフとして携わる。2016年現在は順位戦・棋王戦・棋聖戦などで観戦記を執筆。将棋連盟ライブ中継で棋譜中継を楽しむ日々。

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