いつ将棋はゲームから教育へと変わるのか【子供たちは将棋から何を学ぶのか】

いつ将棋はゲームから教育へと変わるのか【子供たちは将棋から何を学ぶのか】

ライター: 安次嶺隆幸  更新: 2017年07月19日

先日、NHK総合TV「ニュースシブ5時」の解説をしました。テーマは将棋の「負けました」の後の、感想戦

その時、スタッフの人から、「何故将棋では負けた方が相手に「負けました」と言えるのでしょうか?」と質問されました。直前まで、勝ちを求めていた対局者、そのどちらかが自分の負けを認めて、心を折りたたむ瞬間。底には葛藤があるでしょう。「心を折りたたむ作業」へ移る心理。そんな答えのヒントが本日のコラムに隠されていると私は思うのです。

自分が一手を指したら、次の一手は相手にゆだねる。将棋はそうやって一手ずつ交互に指していくものです。自分も、相手も必ず一手ずつのやりとり。自分だけが二手も三手も指すことはできません。そうして、お互いの一手ずつを積み重ねていくことによって、「二人で」一局を作り上げていくのです。

将棋は、二人で作る芸術とも言えるのです。

対局者の二人が紡ぐ芸術作品

一手一手を積み重ねていく作業は、キャンバスに一筆一筆色を重ね、絵を描いていく芸術家の仕事と同じと言えるでしょう。それを対局のたびに、二人の対局者で行います。それが、将棋は「対局者二人の芸術品」と称されるゆえんです。その一手一手の軌跡は、対局の手順を示した記録「棋譜」という形で残されます。

絵画を観たり音楽を聴いたりして芸術家の仕事を鑑賞できるように、将棋の棋譜も後世にまで残ります。対局者二人がよりよい手を模索し合った名局の棋譜を「二人の作品」としてたどることができるのです。

二人で積み重ねて一局を作るということは、長い道のりを二人で手を携えて歩いていくようなものです。相手がいてくれるから一局が成立する。さらには、お互いの積み重ねの中には、自分の存在意義があります。だから、お互いへの感謝の気持ちが最後の「ありがとうございました」という礼になっているのです。

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(第62期王座戦第5局より)

対局の勝ち負けを超越した学びへの道

「お互いさま」――これは、以前の日本人がよく使っていた言葉です。「おかげさま」と感謝し、「お互いさま」と認め合う、そんな付き合いがふつうにありました。しかし、そうした人間関係が希薄になっている現代、大人も、子供も、どうしても自己中心的になってしまいがちになっているように感じます。

最近は「自分さえよければいい」という子供が増えています。しかし、将棋では「自分さえよければいい」という考え方は通用しません。将棋は相手と対時し、一手一手交互に指し手を交換して一局を作っていきます。ですから、相手の手の意味を考え、間いかけるように次の自分の着手を考える、ということをお互いに無言のうちに行う、いわば「無言の会話」が盤上で繰り広げられているのです。

さらに対局後に行われる感想戦では、勝負の勝ち負けを超えて対局した者同士がその対局を巻き戻して、どの手がいけなかったのか、どうすればよかったのかを、今度は無言ではなくお互いに考えをさらけだして検討していきます。

プロ棋士にしてみたら、感想戦で敗因を検証していく中で、「ここでこういう手も考えられる」とか、「ここはこうしたほうがよかったのではないか」と相手に披瀝するということは、裏を返せば、自分の手のうちをばらすことでもあります。次の勝負の結果だけにこだわるなら、正直いって損な作業とも言えるでしょう。しかし、そんな自分の損得勘定を乗り越えて、棋士はより高いレベルの最善手を探るために感想戦に臨むのです。

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(第62期王座戦第5局より)

体験をシェアし、実体験として捉える「伝え合い」の文化へ

子供たちは将棋を通じて、相手と共に物事に取り組み、相手とともに生きていくこと、つまり「共生」の感覚を身につけていくことができるのです。

これは教育の観点からいうと、「学び合い、伝え合い」の作業だといえます。

また、負けたほうは敗れてしまったという悔しい気持ちをぐっとたたんで、勝ったほうも、負けた相手の気持ちを察して感想戦を行うことから、学びと同時に相手への思いやりの気持ちも育んでくれます。しかも勝った者は、また次も勝つとは限りません。今度は自分が負けるかもしれない。そのときは勝った相手が感想戦に付き合ってくれる。まさに「お互いさま」の精神が自然に養われ、現代の子供たちが陥りがちな「自分さえよければいい」という考え方を矯正してくれるわけです。

私が指導する将棋クラブでは、何人もの児童がそれぞれの対局を行います。私はゆっくりと机の間をまわってその中から一組を決め、その子たちの指し手に注目して対局を追っていきます。

とてもいい手を指したら、その局面で対局時計を止めてほかの子どもたちを呼び寄せます。「みんな、この手を見てごらん」。そうすると、対局中の自分たちの局面を中止して、その盤面のそばに集まるのです。そしてみんなでその局面を見つめ、その子の手の意味を一緒に考えるのです。

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将棋がゲームから教育へと変わる瞬間

みんなでともに一つの局面を観て、考える。その子になったつもりになって、その意味を必死に見つける作業をする。そういうことをしているときこそ、将棋が教育に変わる瞬間だと私は考えています。

冒頭の質問に「将棋は、相手のことを考え続ける競技ですから」とお話ししました。

自分だけでなくお互いの気持ちや思いを分かち合うことが、今の教育、さらに今の世の中に必要なことなのではないでしょうか。子供たちが将棋を通して、それを学んでくれることを心から願っています。

子供たちは将棋から何を学ぶのか

安次嶺隆幸

ライター安次嶺隆幸

東京福祉大学教育学部教育学科専任講師(元私立暁星小学校教諭)。公益社団法人日本将棋連盟学校教育アドバイザー。 2015年からJT将棋日本シリーズでの特別講演を全国で行う。中学1年生のとき、第1回中学生名人戦出場。その後、剣持松二九段の門下生として弟子入り。高校、大学と奨励会を3度受験。アマ五段位。 主な著書に「子どもが激変する 将棋メソッド」(明治図書)「将棋をやってる子供はなぜ「伸びしろ」が大きいのか? 」(講談社)「将棋に学ぶ」(東洋館出版)など。

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