中原誠名人VS米長邦雄八段、38年前の名人戦で生まれた歴史に残る妙手「▲5七銀」とは?【今日は何の日?】

中原誠名人VS米長邦雄八段、38年前の名人戦で生まれた歴史に残る妙手「▲5七銀」とは?【今日は何の日?】

ライター: 君島俊介  更新: 2017年04月27日

2017年現在、公式戦は男女合わせて年間3000局以上指される。その中で妙手、鬼手、珍手などが繰り広げられるが、歴史に残る指し手というのは少ない。そうした中でよく知られているのが、これから紹介する中原誠十六世名人の妙手だ。

1979年春、現在から38年前に行われた第37期名人戦は、6連覇中の中原誠名人に米長邦雄八段が挑戦した。この七番勝負は米長2連勝でスタート。「名人危うし」の声も出ていた。中原は第28期王将戦七番勝負で加藤一二三棋王に王将を取られた直後。第1局、第2局に敗れて、棋士になって初めて4連敗を喫した。対する米長は、並行して戦っていた第4期棋王戦(この年の名人戦開幕は3月中旬、棋王戦の決着は4月上旬)で、加藤棋王を3勝2敗で破り、NHK杯優勝など勢いづいている。それらの活躍により、初めて最優秀棋士賞を受賞していた。

第3局を中原が返して、第4局が4月26・27日に愛知県蒲郡市「銀波荘」で指された。銀波荘は現在もタイトル戦が行われる宿として知られる。

この期の名人戦は全局第1図の「矢倉24手組」だった。「矢倉を制するものは棋界を制す」という言葉のあった時代だ。米長の仕掛けから局面が激しくなり、一気に終盤戦へなだれ込む。

【第1図は24手目▲7四歩まで】

第2図は▲3三歩の王手に△同桂と取ったところ。一手争いの終盤戦で、▲5四角△3一玉▲3三桂成△同銀▲6二金と普通に攻めるのは、▲3三桂成に△4八飛成と銀を取られて、手数は長いが先手玉が詰む。かといって、図で▲6七金と馬を取るのも△4八飛成の王手が厳しい。

【第2図は82手目△3三同桂まで】

先手ピンチかに思われたが、中原に用意の手があった。数手前の長考で発見していたという▲5七銀が絶妙手だ。以下△5七同馬▲5四角△3一玉▲3三桂成△同銀▲6二金で先手勝勢に。取られそうな銀をわざと1手かけて相手に取らせるのは奇異だが、馬を遠ざけることで先手玉への詰めろが解消されているのが▲5七銀の意味だ。また、▲3三桂成と取ることで、△4八飛成に▲5八桂の合駒を用意している。

作ったような妙手に、観戦記を担当した作家の斎藤栄氏は「この一手(▲5七銀)のために、ここへきて観戦してよかった」と記した。急所の第4局を制した中原は第5局、第6局も勝って名人防衛を果たした。

今日は何の日?

君島俊介

ライター君島俊介

2006年6月からネット中継のスタッフとして携わる。順位戦・棋王戦・棋聖戦などで観戦記も執筆。将棋連盟ライブ中継の棋譜中継で観る将ライフを楽しむ日々。

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