「待つ」ということをどう捉えるか。時間が自分のものであることを意識する大切さ【将棋と教育】

「待つ」ということをどう捉えるか。時間が自分のものであることを意識する大切さ【将棋と教育】

ライター: 安次嶺隆幸  更新: 2017年11月21日

第30期竜王戦二日目、対局開始の数分間を観戦しました。対局者がまだ入室しない時間、二人を待つその数分間がなんとも言えない時間でした。入室した後、駒を並べ合う渡辺竜王、羽生棋聖の駒音を聞いている対局室の空気はまさに異空間でした。こらから、二人での一手ずつの積み重ねが始まるのです。

二人で交互に一手ずつ積み重ねていくということは、自分の手を指し終えたら、今度は当然、相手の手を待つことになります。「待つ」といっても、二人で一局を作り上げていくのですから、次に自分の手番が来るまでは自分に関係ないと知らん顔をしているわけにはいきません。相手の手番を待つ間をどう捉えて、どう使うかによって勝敗が変わってくるのです。

「待つ」時間に他のことをしてしまう子供たち

子供同士で対局させると、片方が指したら、すぐにもう片方の子も指すといった具合に、どんどん指し合っていきます。お互いの手と手が交錯することもあるほど、かなりのスピードで対局が進みます。しかしときおり、どちらかが勝負どころでじっくりと考える局面が出てきます。

そういうとき、その子が考えている間、残ったもう一人がどういう態度を取るか。この相手の手番を待つときの姿勢が問題なのです。もちろん、一緒に考えている子もいますが、なかには、じれったそうにそわそわしてしまう子がいます。マンガ本を取り出して読み始めたり、どこかに遊びに行ってしまったりする子もいます。

「待つ」ということは、我慢することでもあります。我慢が苦手な現代っ子にとっては、相手が考えている間、相手のためにじっとこらえて待つのは辛い作業でしょう。しかし、ここが肝心。相手の手番を待つ時の姿勢で、勝負が決まることも多いのです。相手の手番を待つ間も、けっして無意味な時間にしてはいけません。

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時間の捉え方で、どんな時間を過ごすのかが変わる

宮本武蔵と佐々木小次郎の「巌流島の決戦」の話を思い出してください。武蔵に2時間も待たされた小次郎はいらだち、武蔵の姿を見るなり憤然と「来るのが遅い!」と言って、勢い込んで刀を抜き、さやを水中に投げ捨てます。すると武蔵は、「小次郎、敗れたり。勝つつもりならば大事なさやを捨てたりしないはずだ」と喝破し、実際に勝負に勝ちます。小次郎は、なかなか現れない武蔵に焦らされ、待ち疲れ、結果それによって敗れてしまったのです。

2時間もの間、ひたすら「待つ」というのは大変なことです。講演会を聴きに行っても、つまらない話だとすぐに飽きてしまいます。眠くなってしまったり、早く帰りたくなったり、2時間は苦行の連続となるでしょう。しかし反対に、面白い話に引き込まれて聴いていると、あっという間に時間は過ぎていきます。同じ長さの時間でも、捉え方によって全く違う意味合いの時間になるわけです。

将棋では、相手の手番を待っている間は、休んでいてもいいですし、控え室に行っても構いません。ただし相手はその間、じっと考え続けています。つまり相手にとっては、意味がある濃密な時間が流れているハズです。かたや待っている方がその時間をただ「待つ」だけのつまらない時間と捉えてしまったら、その時点で"佐々木小次郎"のような心理状態になってしまいませんか?

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能動的に「待つ」という意味

そう考えると、待っている時間というのは、「我慢の時間」であると同時に、「怖い時間」でもあるのです。

例えば、羽生棋聖との対局中に、羽生棋聖が2時間長考したとします。羽生棋聖が真剣に考えているとき、その面前に平常心で座っていられるでしょうか。一体どんな手を考えているのだろう、と不安になってしまうのではないでしょうか。相当に強靭な精神力がなければ、その場で平然と待ってはいられないはずです。それだけ相手の手番を待つというのは、怖いことでもあるのです。

そこで、「待つ」ということを能動的に捉え直したらどうでしょうか。そもそも「待つ」のは、はたして「相手のため」なのでしょうか。確かに相手のために自分が我慢していると思ったら、それは辛い時間となります。しかし、その時間は「自分の時間」でもあるはずです。そう捉え直して、自分も一緒に考える時間にしたらどうでしょう。持ち時間が倍になるではありませんか。

そういう姿勢で目の前に座って待たれたら、今度は待たせている方が、プレッシャーを感じることになります。相手の手を自分も読んでみよう。きっとこういう手を考えているのだろう、と考える姿勢で待たれたら、やりにくいはずです。

こんな具合に相手の手番を待つ時間は、捉え方次第で退屈でつまらない時間にもなれば、逆に自分にとっても有効な時間にもなるのです。

平常心で相手の手番を待てる精神力を

待つ時間をどう捉えられるかは、相手との心の攻防があります。自分自身の気持ちをめぐる戦いもあります。最大限の力を発揮するためにも、最善の手を見つけるためにも、平常心で勝負に挑むことが大切です。

相手の手番を待つ時間を"生きた時間"として使えるようになるためにも、『待つ』ことの捉え方を変えていってほしいと思います。相手の手番でもじっくりと考えられるよう、日々の対局の中で実践していけるよう、考える力をつけていってほしいものです。

子供たちは将棋から何を学ぶのか

安次嶺隆幸

ライター安次嶺隆幸

東京福祉大学教育学部教育学科専任講師(元私立暁星小学校教諭)。公益社団法人日本将棋連盟学校教育アドバイザー。 2015年からJT将棋日本シリーズでの特別講演を全国で行う。中学1年生のとき、第1回中学生名人戦出場。その後、剣持松二九段の門下生として弟子入り。高校、大学と奨励会を3度受験。アマ五段位。 主な著書に「子どもが激変する 将棋メソッド」(明治図書)「将棋をやってる子供はなぜ「伸びしろ」が大きいのか? 」(講談社)「将棋に学ぶ」(東洋館出版)など。

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