ライター安次嶺隆幸
嫌なことを引きずりがちなあなたにおすすめ?感想戦から得られる能力とは【子供たちは将棋から何を学ぶのか】
ライター: 安次嶺隆幸 更新: 2017年07月29日
人間というのは、嫌なことや気がかりなことがあったりすると、そのことにずっと囚われてしまうものです。「どうしてあのとき、あんなにこだわってしまったのだろう」と、後から考えると自分でも首をかしげてしまうようなこともあります。私も過去の出来事を引きずってしまい、前に進めなくなった経験が未だにあります。
そんなとき、自分を客観的に観る感想戦をしてみると、一歩を踏み出せるようになります。悩んでいるときこそ、より広い視線を持てるようにするための工夫が求められるのです。
ひとつのことに囚われすぎると、周りが見えなくなってしまう
悩んでいるときというのは、どうしても広い視野で物事を考えることができなくなってしまうものです。
それは将棋も全く同じです。一旦、気持ちがある箇所にとらわれてしまうと、その周辺の駒だけに気を取られてしまい、他の部分への注意がおろそかになってしまいます。本人は一生懸命真剣に考えているのですが、どうやってもその部分の局面は打開できず、また、別の部分で展開していた戦いでも攻め立てられ、いくら頑張っても負けてしまう。そういうことがあるのです。
子供たちに将棋をやらせると、すごい速さで指し手を返していきます。ゆっくり考える暇もなく、パッパッと指し合って対局が進みます。そういう将棋の盤面を見ていると、ある部分はデザインされているけれど別の部分は全く意識されておらず、グチャグチャだったりします。飛車と角ばかり使って他の駒は遊んでいたり、歩をとることだけに専念していたり、意識が盤面全体に及んでいないことが往々にしてあるのです。
将棋に勝つためには、遊び駒があってはいけません。全体の戦況を常に眺めて、遊んでいる駒がいないか見つけて、それを働かせるように指すことがとても大切です。しかし細部に囚われすぎていると、盤面全体を見て、遊び駒を見つけるという作業が出来なくなってしまうのです。
視点を局面から盤面全体に移す様々な工夫
第三者にとっては盤面上の遊び駒を探し出すのはそう難しいことではありません。
「ほらほら、あそこの駒が遊んでいるよ。それなのにどうして飛車ばかりを動かしているんだ?」と一目瞭然でわかるものです。
ところが、対局している当人にとっては、それが眼に入らなくなってしまうのです。
将棋は一対一のゲームですから、自分一人の力で、すべて自分の決断で駒を動かしていかなければなりません。一人で盤面に向かい、自分だけの思考の世界に入り込んで長い時間じっと座っていると、いつのまにか自分が作り出したワナに囚われてしまって、そこから抜け出せなくなってしまうことがあるのです。
そこで子供たちには、「自分の手番になっても、パッとすぐに指してはいけない。まず四隅にある香車をぐるりと見て、それから一手を指すようにしなさい」と指導しています。そうすることによって、盤面を見る眼がふっと切り替えられて、全体を見渡せるようになるからです。
盤面を睨みつけて、じっと手を読みふけっているプロ棋士の対局を観戦していると、様々な工夫をしています。一旦お茶を飲んで一拍置いたり、扇子をあおいで調子を整えたり、肘をかけている脇息を利用して身を預け、盤面を見る視点を変えたりする姿を目にします。ときには大胆にも相手側に回って見ている棋士もいます。
皆さんそうやって、局所に固まってしまいがちな視線をそこから外し、全体を眺める工夫をしているのです。盤面における戦いは一ヶ所で繰り広げられているわけではありません。あちこちで小競り合いをしています。自分も相手も一手ずつしか指せないのですから、どの部分の戦いでも駒を取られずに済まそうなどとしても、それは所詮無理なこと。「そこはどうぞ」と、相手に渡さなければならない箇所もあるのです。
ひとつの局面にこだわって、そこだけでいつまでも頑張らなくていいのです。ある箇所は譲って、私は他の箇所の戦いで頑張ります、と広い視野で考える姿勢を忘れてはいけません。
(第39期棋王戦第2局より)
客観的にみつめ、素直に忠告を受け入れる姿勢を
人生でもそうでしょう。小さなことにこだわってばかりいたら、大局的に物事を捉えることができなくなってしまいます。冷静なときには頭では分かっていても、悩んでいるときには、なかなかそれができないものです。しかし、だからこそ、客観的に見る気持ちを忘れないように努めることが必要なのです。
将棋の利点は、そうした心理状態を感想戦で反省することができるところです。「あのとき、こういう気持ちだったから、この歩が使えなかったのだ」と反省できる。第三者から「こう指せばよかったね」と指摘されることもあります。誰かにそう言ってもらえると、「そうか、そういう道もあったのか」と理解することもできます。
実人生において、とくに大人になると、あえて苦言を呈してくれる人はなかなかいません。仮にいたとしても、それを言われた方が素直に聞けるかというと、それもまた、難しいものです。将棋においてその疑似体験をするということは、後々の実人生においても、必ずや子供たちの力になってくれると信じています。