藤井四段と羽生三冠の共通点とは。自分を信じて考え続けることの大切さ【子供たちは将棋から何を学ぶのか】

藤井四段と羽生三冠の共通点とは。自分を信じて考え続けることの大切さ【子供たちは将棋から何を学ぶのか】

ライター: 安次嶺隆幸  更新: 2017年07月13日

プロ棋士の対局では、一手に1時間、2時間という長い時間をかけて指し手を決めるということがよくあります。それだけ考えても、実際に指せる手は一手だけ、読みの大半は実際の指し手には表れないのです。その一見、無駄とも思える読みの時間が、プロ棋士にとってはとても大切なものなのです。

莫大な時間を費やしても、指せる手は一手だけ

プロ棋士が一手を指すのに、1時間も2時間も費やしていると聞くと、将棋に詳しくないからすると2時間もの間一体何を考えているのだろうと不思議に思われるかもしれません。こういうとき棋士は「自分がこの手を指したら、相手はこんな嫌な手を指してくるかもしれない。そうしたらこうなって、その先はどうなって・・・」と、先の先まで読んで、読んで、読み続けているのです。

羽生三冠はあるインタビューで読みの数を聞かれたときに、「(読む手数は)直線で30~40手、枝葉に分かれて300~400手」と答えています。激しく動き回るスポーツではないのに1回の対局で体重が3~4キロは減ると言いますから、考える事に費やすエネルギーは大変なものなのです。

しかし、そうやってものすごくたくさんの手を読んでも、 その読みが全て無駄になってしまうかもしれないのです。 長い時間をかけて考えてはみたけれど、その結果やっぱりこの手はダメだということも当然あるわけです。むしろダメだという結論に達する手がほとんどです。そうしたらここまで読んだものを捨ててまた一から考えることになるのです。

1時間とか1時間半とかを費やして考えた手は、指したいと思うのが人情のような気がします。せっかく長い時間をかけて読んだのだから、この際これで良しとして指してしまおう、という誘惑にかられることもあるのではないかと想像します。

しかし、その手ではやっぱり駄目だという結論に至り、その手を指すと相手にこんな手を指されてしまう・・・とわかったら、棋士はその手を全部白紙にしてもう一度読み直しているのです。もう一度初めから読み直すというのはとても勇気がいる作業だと思います。しかもプロ棋士が読む手は一手や二手ではありません。何百でも頭の中で読み進めては捨てていく。その勇気たるや、凡人には想像を絶します。

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(第88期棋聖戦 第2局より )

読みの無駄を無駄で終わらせない努力

「そこまではちょっと無理なのではないですか?」と、以前羽生三冠に何回か食い下がって聞いたことがあるのですが、「いいえ。その読みの無駄は決して無駄にはなりません。 形が変わるかもしれないけれど、必ずどこかで応用できます」という答えが返ってきました。 きっぱりとそう言い切れる。そこがやはり羽生三冠のすごいところだと思ったものです。

羽生三冠の著書に『変わりゆく現代将棋 上・下』 (毎日コミュニケーションズ刊)という本があるのですが、そこにはまさしく読みの無駄が書いてありました。

「こうやるとこうなって、その後はこうなって、こういう局面になるから、この手はやっぱり少し疑問だ」などとご自身の読みの一部を披瀝なさっています。私は読んだだけでなく、それを追って実際に駒を並べてみたので、「え?せっかく並べたのに。だったらこれじゃなくても良かったんだ」とか「じゃあこっちなんだ」と面食らうこともあるほど、複雑な読みが書いてあります。そこまでをオープンにしてしまう姿勢に驚くと同時に、いつもこういう作業をなさっているのだと舌を巻いてしまいました。

さらに、そういうふうに書けるということは、様々な手の道筋をはっきりと覚えているということを意味します。こういう時はこうなって、ああなって、だから疑問な手だ、でもこういう時なら、もしかしたら使える手もあるかもしれない、などとちゃんと整理されているのです。 ということは、無駄に思える読みの作業は先の言葉通り、やはり決して無駄ではないのです。その時は実際に指せずに使えなかった、一見無駄のように見える思考かもしれないけれど、自分の中では絶対に無駄にはならない作業をしていることになるのです。

こういう作業を蔑ろにしないのは、将棋が相手だけでなく、自分との戦いでもあるからです。自分との戦いという観点から考えてみると、しっかり読んで指した手はたとえその対局に負けたとしても自分自身に納得がいきます。

しかし途中でいい加減に指して負けたとしたら、たとえ勝っても、後には自己喪失・自己嫌悪だけが残ってしまう。棋士はこれを最も恐れているのです。 なぜなら、将棋は全てが自己責任、結果は全て自分で背負わなければならないからです。

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今やるべきことに勇気をもってチャレンジする

最近の藤井四段の対局姿を見ていて感じることは、自分を信じて、「目の前の一手にとことん食らいついて読む」という姿勢です。あの羽生三冠のデビューの時の対局姿とダブって見えてしまうのは私だけではないでしょう。

自分自身を信じる気持ちがなければ、どうやって自分の手を指していくというのでしょうか。自分を信じる気持ちが一番大切なのです。だから一流の棋士は読みの無駄を恐れずとことん読む。そしてダメだとわかったとき、その手を潔く捨てることができるのです。

子どもたちにとっても自分自身を信じるために今やらなければならないことはたくさんあります。 そのときに役に立たなかったとしても、そこでの経験は、必ずどこかで生きてくるものです。今、取り組むべきことに、勇気をもってチャレンジして欲しいものです。

子供たちは将棋から何を学ぶのか

安次嶺隆幸

ライター安次嶺隆幸

東京福祉大学教育学部教育学科専任講師(元私立暁星小学校教諭)。公益社団法人日本将棋連盟学校教育アドバイザー。 2015年からJT将棋日本シリーズでの特別講演を全国で行う。中学1年生のとき、第1回中学生名人戦出場。その後、剣持松二九段の門下生として弟子入り。高校、大学と奨励会を3度受験。アマ五段位。 主な著書に「子どもが激変する 将棋メソッド」(明治図書)「将棋をやってる子供はなぜ「伸びしろ」が大きいのか? 」(講談社)「将棋に学ぶ」(東洋館出版)など。

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