ライター田丸昇九段
1972年に四段。2013年に九段。2016年10月に現役を引退。1989~1995年に日本将棋連盟出版担当理事を務める。著書に『実録 名人戦秘話 ~棋士生活40年 田丸昇の将棋界見聞記~』、『伝説の序章 天才棋士 藤井聡太』など。
ライター: 田丸昇九段 更新: 2021年01月30日
棋士が将棋を覚えたきっかけはさまざまです。私の場合、ある歌謡曲を聴いて将棋に興味を持ちました。
小学6年生だった1962(昭和37)年の夏休み。「吹けば 飛ぶよな 将棋の駒に...」という歌詞で始まる『王将』(歌・村田英雄)という題名の歌謡曲が、ラジオで頻繁に流れていました。100万枚も売れた大ヒット曲でした。
私は『王将』を何度も聴いているうちに、歌詞を覚えてしまい、よく歌っていました。しかし、将棋の世界はまったく未知でした。その曲のモデルが伝説の棋士の阪田三吉(贈名人・王将)と知ったのは後年のことで、「棋士」の存在すらわかっていませんでした。近所の友人らと「はさみ将棋」「まわり将棋」で遊ぶことはありましたが、いわゆる「本将棋」のルールは知りませんでした。
ある日、『王将』を口ずさんでいると、親類の人に「将棋が強くなってプロになれば、仕事にして食えるぞ」と言われました。その一言がなぜか胸の中に残り、本将棋を覚えてみたいと思いました。近所のHさんという大人の方に将棋のルールを教わると、将棋の面白さにたちまち引かれました。Hさんや近所の友人らと、毎日のように指しました。学校の授業中には、消しゴムを駒代わりに指す真似をしては、床によく落としたものです。
私は将棋にすっかり魅了されて熱中し、将棋の定跡書をぼろぼろになるまで読んで勉強しました。また、新聞の将棋欄を見て、将棋を仕事にしている棋士の存在を初めて知りました。
そして、中学生の頃には「棋士になりたい」と漠然と思うようになったのです。
1962年に将棋をテーマにした歌謡曲の『王将』が大ヒットすると、全国的に将棋の人気が高まり、将棋を覚えたり熱中する人が増えました。駒の生産地で知られる山形県・天童では、駒の売れ行きが驚異的に伸びたそうです。
あるテレビ番組では、大山康晴名人と歌手の村田英雄さんの対談が実現しました。日本将棋連盟は、将棋の普及に貢献した村田さんに初段の免状を贈呈しました。村田さんは将棋をまったく知りませんが、「『王将』を歌うときは、阪田三吉先生になったつもりで歌わせてもらいます」と語ったものです。
1997(平成9)年に十七世名人の永世称号を同時に取得した谷川浩司名人の就位式が開催されたとき、村田さんはお祝いに駆けつけました。阪田三吉のひ孫弟子に当たる谷川名人の横に立ち、自身の出世作である『王将』を心をこめて熱唱しました。
1962年8月。23歳の堀江謙一さんは太平洋をヨットで日本から単独横断し、3ヵ月かけてアメリカのサンフランシスコに渡りました。その大冒険は世界中の話題になりました。堀江さんは洋上での寂しさや辛さを吹き飛ばすために、『王将』をよくうなったそうです。
このように『王将』は、各方面に好影響を及ぼしました。1962年には、NHK「紅白歌合戦」で歌われ、日本レコード大賞の特別賞を受賞しました。
東京オリンピックが開催された1964年の秋。14歳の私は佐瀬勇次七段の自宅道場を訪れ、弟子入りを懇願しました。佐瀬一門には米長邦雄四段、西村一義四段と、有望な若手棋士がいたこともその理由でした。
佐瀬七段に入門試験として教えてもらった四枚落ちで、私はあっさりと負けました。当時の棋力はアマ初段。「もっと強くなったら考えよう」と言われる覚悟をしていたら、意外にも「入門を許可する」でした。私は、棋士になる道が開かれたことで、天にも昇るような喜びでいっぱいでした。
その後、私は1965年2月に奨励会に6級で入会し、1966年4月から師匠の佐瀬宅で内弟子生活を送りました。
この写真は、1967年の秋頃の佐瀬一門の棋士たち。
右から、西村九段(当時五段・25歳)、佐瀬名誉九段(同七段・48歳)、米長永世棋聖(同六段・24歳)、藤代三郎指導棋士七段(同三段・38歳)、沼春雄七段(同2級・18歳)、田丸九段(同1級・17歳)。
私は、師匠や兄弟子の指導を受けて修業し、奨励会入会から7年後の1972年の春に四段に昇段して棋士になれました。
この写真は、1976年1月にC級1組順位戦で対局した佐瀬八段と田丸五段(右・同25歳)の師弟戦(現行規定では、B級2組以下の順位戦で師弟戦は組まれません)。私は公式戦で師匠と何局か対戦し、勝って「恩返し」を果たしたことがありますが、敗れて「千葉の猛牛」の異名を持った往年の強さを痛感したこともあります。
私は12歳のとき、大ヒット曲『王将』を聴いたのが機縁となり、将棋の世界に進みました。奨励会に入会してから、2021(令和3)年で56年たちました。これまでの将棋人生では、いろいろなことがありましたが、つつがなく送れたことに感謝しています。70歳の古稀を迎えた現在の率直な心境です。
【写真提供は全て田丸昇九段】
ライター田丸昇九段