損することを恐れず、広い視野を保つ大切さ【将棋と教育】

損することを恐れず、広い視野を保つ大切さ【将棋と教育】

ライター: 安次嶺隆幸  更新: 2017年09月28日

子供たちは将棋から何を学ぶのか

将棋では、自分だけが得したり、自分だけ損したりすることはありません。欲深く「自分だけ得」をしようという態度では、相手に見透かされてしまいます。お互いに一手ずつ指すなかで、1点ずつのやりとりをしていくのです。その根底には、自分だけ得をしようという計算ではなく、損して得を取る、「お互いさま」と言う精神が流れているのです。

一時的に損したように見えても、代わりに得るものがある

「損して得取れ」というのは、一時は損をしても先の大きな利益を得るようにせよ、という意味です。ただ世知辛い現代にあっては、損だ得だというと、計算高く思われてしまうかもしれません。しかし将棋においては、そもそも何が損だかわかりません。ですから、一時は損をしたように見えても、結果としては損にならないという意味に捉えていただければと思います。はじめからのちのちの得を狙ってやろうということではありません。

例えば誰かにプレゼントをするとします。そんなとき、どれにしようか選んでいる段階から相手の笑顔を想像して、こちらも微笑んでいるもの。プレゼントを喜んでもらうことで自分も幸せな気持ちになれます。購入金額はお財布から減ってしまいますが、それは損とは言えません。有形のものが無形のものに変わっただけで、むしろ幸福度は高まっています。「相手はこのプレゼントをどんな顔で受け取ってくれるだろう」と想像するだけで、ほくそ笑んでしまいます。そんな損と得の関係に、将棋の「損して得取れ」は近いと言っていいでしょう。

「この駒をどうぞ取ってください」と相手に差し出すと、相手がそれを取ってくれる。一見、駒を取られて損をしているように見えますが、相手が"取ってくれた"とも言えるのです。「ありがとうございます」と相手が取ってくれたからこそ、「すみませんね。ではあげた代わりに、私はここに駒を進めさせていただきますよ」とできるわけです。

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強欲な悪だくみは損して見透かされる。1点ずつのやりとりを繰り返す

将棋は、一手ずつ交互に指し手を交換します。お互いに、お互いの手を読み合っていますから、「悪いけれど、この駒をいただきますよ」「どうぞ、わかっていましたからかまいませんよ。その代わり、私はこうさせていただきます」といった無言の会話がなされています。

このやりとりを、プレゼントに見せかけた「罠」のように誤解されるかもしれませんが、1点あげて代わりに10点を取ろうというわけではありません。そういう詐欺のような手は見透かされ、相手はその手には乗ってくれません。「そんな悪だくみはすっかりお見通し。そんな駒は取ってあげませんよ」となってしまいます。

がばっと「10点ください」という態度では、相手にしてもらえません。お互いに一手ずつしか指せないので、1点ずつあげたりもらったりして、50点対50点が51点対49点になったり49点対51点になったり、そうしたやりとりをしているのです。自分だけ得をしようという計算ではなく、「お互いさま」と言う精神が流れているのです。

しかも、たとえ負けたとしても、それすらも損とは言えません。負けて悔しい気持ちを折りたたみ、「どこが悪かったのでしょうか」と目の前の相手に謙虚な気持ちで教えてもらう姿勢があれば、負けは損ではなく得になる。仮に負けても、相手がすべてをかっさらい、自分には何も残らず大損してしまうということにはならないのです。「将棋は負けて強くなる」、この事は今の将棋ブームに欠かすことのできない大切なメッセージだと思っています。

負けを教えてくれた相手は、負けたこちらの悔しさを察して、自分の嬉しい気持ちを折りたたんで感想戦に付き合って、一緒になって最善手を検討してくれる。損どころか、むしろ大きな得になると言えるではありませんか。

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(第42期棋王戦 第5局より)

対局者との「縁」を大切に

現在は自分さえよければいい、と言う風潮が蔓延しているように感じます。学校でも、以前は同じクラスになったら、その縁を大切にしたものです。ところが今は、縁という言葉は思いつきさえしなくなっているように思います。

「どうぞうちの子をどんどん叱ってやってください」。一昔前は、そういう保護者の方が多かったのですが、今では、「うちの子を傷つけないようにしてください」という言葉ばかりです。傷つくという一時のマイナスを恐れ、「損をしたくない」「1円だってあげたくない」、そんな"損得勘定"を感じるのは、私だけでしょうか。

そんな中、将棋は二人で対峙して一緒に最善手を模索していくことになります。見ず知らずの二人が盤面を挟んで一つの世界を作っていく。その奇跡的な出会い=縁によって大きな精神的な収穫を得られたら、どれほど子供たちの成長に寄与することになることか。その意義ははかり知れないものがあるように思います。

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大局観を持ち、大きく、広い視点で判断を

"損得"にからんで付け加えると、将棋では駒の価値も、序盤戦と終盤戦では変わってきます。序盤では、「歩」だってダイヤモンドの価値があります。序盤のうちはどの駒も大切な宝石です。しかし次第に戦局が進んでいき、終盤戦になれば飛車や角行という大駒ですら捨てて、相手の王様を寄せていくようになる。こうなると、ますます将棋では何が損で何が得なのかわかりません。

つまるところ、小さな損得にとらわれず、大局観をもって状況に応じた判断をしなければならないのが将棋なのです。損することを恐れて避けるのではなく、「損して得取れ」と、大きく、広く見る眼を養ってほしいものです。

安次嶺隆幸

ライター安次嶺隆幸

東京福祉大学教育学部教育学科専任講師(元私立暁星小学校教諭)。公益社団法人日本将棋連盟学校教育アドバイザー。 2015年からJT将棋日本シリーズでの特別講演を全国で行う。中学1年生のとき、第1回中学生名人戦出場。その後、剣持松二九段の門下生として弟子入り。高校、大学と奨励会を3度受験。アマ五段位。 主な著書に「子どもが激変する 将棋メソッド」(明治図書)「将棋をやってる子供はなぜ「伸びしろ」が大きいのか? 」(講談社)「将棋に学ぶ」(東洋館出版)など。

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