羽生三冠が「下がることに意味はない」という言葉に込めた想いとは?

羽生三冠が「下がることに意味はない」という言葉に込めた想いとは?

ライター: 安次嶺隆幸  更新: 2017年08月30日

将棋の駒で、前進できない駒はありません。将棋の駒は、常に前へ前へと進む様にできています。駒を前に進める、踏み出す勇気が必要です。羽生三冠はよく、「下がることに意味はない」とおっしゃいますが、今回はこの言葉に込められた想いを一緒に考えていきましょう。

常に前向きに。一日に一歩でもいいから前に進めたか。

ちょっと専門的になりますが、「中段玉は寄せにくし」という格言があります。中段玉と言うのは、王様を中段(4、5、6段目)のいずれかに置くことです。中段に王様がいると敵陣に近くて怖いのですが、実は、中段にいる方が攻められたときに上にも下にも逃げやすく、相手からすれば詰ませにくいものなのです。

攻め込まれているとき、追い詰められそうなとき、怖そうに思っても上に逃げる方が負けにくいわけです。一番詰めにくいのは、もっと敵陣深くまで上がってしまう形です。王様が敵陣に入ることを「入玉」と言いますが、この状態になると、相手の駒の後方に陣取る形になるため、詰められることはほぼなくなって負けません。

ですから逆に、攻める側からすれば「玉は下段に落とせ」といって、下に下にと追い込んでいくのが良いとされています。

もちろん、将棋というのはただ前に攻めれば良いというものではありません。ですから羽生三冠の「下がることに意味はない」という言葉はもっと広義に捉えて、常に前向きの姿勢でいることの重要性を示唆しているといった方が正確でしょう。

前向きの姿勢――例えば「今日は1ページ本を読めた」「今日は1枚絵が描けた」など、何でも構いませんが、私たちも一日にたったの一歩でもいいから前に進むことはできるはずです。何か一つでも自分自身で選び取り、納得できることがやれたか。昨日の自分よりも成長しているのか。子供たちにはそんな風に考えて、前向きの姿勢で毎日を過ごしていって欲しいと思います。

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純粋な子供たちが発しているメッセージ

もっとも、そんなことは子供たちには取り立てて言う必要などないのかもしれません。 これまでの記事でも将棋から子供たちに身につけて欲しいことを述べてきたのと同様に、日々の指導でも同じ気持ちで接しています。羽生三冠の「下がることに意味はない」という言葉からは、日々前進することの大切さを子供たちに伝えたいと思っているのですが、ふと気づけば、子供たちは私がそんなことを言うまでもなく、ぐんぐん前に進んで日々を過ごしています。 むしろ逆で、私の方がいつも子供たちから教わっているのです。

子供たち、特に低学年の子たちは、一瞬一瞬を全力投球で生きています。今笑っていたかと思うと、ちょっとしたことで喧嘩が始まり、そうかと思うとすぐに仲直りの握手をして、次の瞬間には涙も乾いてケロリとして喧嘩した同士でもう遊んでいます。大人の何倍も何十倍も、楽しそうに笑ったり泣いたりしています。表情もくるくる変化して、いたずらを叱っているときでも、うっかり笑ってしまいそうになるほどです。

そんな子供たちの姿はきらきらと輝いていて、大人の眼にはまぶしく映ります。 彼らは「今日はこれだけ成長した」なんて思ったりもしません。その瞬間その瞬間に、真剣勝負で体当たりしています。失敗してしまったらワーッと泣いて、次の瞬間にはすぐに立ち直っているのです。その変化はめざましく、こちらは必死になって追いかけないと、とてもついていけません。

大人のほうがこだわり続けていることも、当の子供たちはそんなこだわりなどさらり捨てています。その様子を見ていると、「どうしてそんな小さなことをいつまでも気にしているの?」と無言のメッセージが発せられているようで、ハッとさせられます。「ああ、大事なことを忘れていたな。こういう生き方をしなくてはいけないのだ」と私は子供たちにいつも教えられています。

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今までの自分を脱ぎ捨てて、新たな自分を作り出せるか

子供たちを見ていて痛感するのは、こだわりのなさです。大人にとっては、こだわりはある意味、アイデンティティや自分らしさの証だったりして、大切に守ってしまいがちです。しかし、そもそも「こだわり」という言葉は、くだらないことに執着するという意味です。今ではプラスの意味で使われることが多くなりましたが、こだわりとは、いわば自分が知らない間に被ってしまった殻のようなもの。それをいったん捨てなければ、本当の意味での成長は難しいのではないでしょうか。

私たちは果たして、今までの自分を脱ぎ捨てて、新たな自分を作り出すことができるでしょうか。大人になればなるほど、それをするのは勇気がいることです。しかし、プロ棋士は毎回毎回、将棋の対局でそれをしているのです。これまでの自分をためらうことなく捨てられる、その勇気はすごいことだと思います。羽生三冠のおっしゃる「下がることに意味はない」という言葉にも、前向きの姿勢でこだわりを脱ぎ捨てて対局に臨んだという決意のほどが込められている様に感じます。

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(第65期王将戦 第2局より)

成長するために挑戦し続ける

羽生三冠は著書『決断力』(角川書店刊・角川oneテーマ21)で、「成長するために逃げずにあえて相手の得意な戦型に挑戦する」という旨のことを記していらっしゃいます。一日にたったの一歩でもいいから前に進めたか。たぶん羽生三冠はそういう心持ちで、常に将棋盤の前に座って研究しているのだろうと思うのです。

成長するために、挑戦し続ける。そんな気持ちで日々を過ごしていきたいものですね。

子供たちは将棋から何を学ぶのか

安次嶺隆幸

ライター安次嶺隆幸

東京福祉大学教育学部教育学科専任講師(元私立暁星小学校教諭)。公益社団法人日本将棋連盟学校教育アドバイザー。 2015年からJT将棋日本シリーズでの特別講演を全国で行う。中学1年生のとき、第1回中学生名人戦出場。その後、剣持松二九段の門下生として弟子入り。高校、大学と奨励会を3度受験。アマ五段位。 主な著書に「子どもが激変する 将棋メソッド」(明治図書)「将棋をやってる子供はなぜ「伸びしろ」が大きいのか? 」(講談社)「将棋に学ぶ」(東洋館出版)など。

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