「闘争心はいらない」羽生三冠の考える最も理想的な指し方とは【子供たちは将棋から何を学ぶのか】

「闘争心はいらない」羽生三冠の考える最も理想的な指し方とは【子供たちは将棋から何を学ぶのか】

ライター: 安次嶺隆幸  更新: 2017年07月26日

将棋では、相手と交互に一手ずつ指しながら、一局を作っていきます。対局者の二人が、お互いの力を合わせて彫刻作品を仕上げていく作業にも似ています。常に相手との間合いをはかり、相手のことをよく見て、相手の気持ちを察する作業をしているのです。

相手との間合いをはかって一局を作り上げる

二人で一つの作品に代わる代わるに一彫りずつ、彫刻を施していくようなものとすれば、一人が間違ったところを彫ってしまったら、作品としては大きく傷ついてしまいます。将棋では、相手に勝つことを目指しているものの、独りよがりではない、正しい道を模索していくことが大事になるのです。

常に相手との間合いをはかり、交互に指し手を積み重ねていくことによって無言の会話をしていく、それが将棋を指すということです。

最近の子供は、わりとそういうことが苦手なように感じます。先日も1年生の教室で、隣の子が泣いているというのに、知らん顔をして本を読んでいる児童がいて、「隣に泣いてる子がいるのに、どうして本なんか読んでいるんだ」と叱ったばかりです。

「顔色が悪いけど大丈夫?」とか、「どうしたの?元気ないねぇ」などと、仲間に声をかけてあげられない子が増えているように思います。それではいけません。将棋をやることが子供達のプラスになると思うのは、相手との間合いをはかるという実体験を通じて、相手の様子や仕草から気持ちを読み取り、無意識に気づかう心が生まれるからです。相手の心を「察する力」が、将棋から学べる最大の教育的効果だと思います。

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将棋というのは序盤が長い勝負です。対局が始まるときには、「歩兵」がずらりと前線に並んでいるため、いきなり王手になるようなことはありません。「私は歩を動かしましたよ」「じゃあ、私も動かしますよ」「今度は角を使いますよ」「では私も使いますよ」といった具合に、相手との間合いをはかって序盤はゆったりと始まるのです。

その間合いをはかるのは、ちょうど昔の武士が戦いの際に、「私はこれこれこういう者だ」と名乗りを上げているような感じ。そして、「お、お主なかなかやりますね」「お主こそやりますな」みたいに手合わせをしていくのに近いものがあります。将棋のこういう、いきなりバーッと切り込んでいかないところが武士道にも通じていて、いかにも日本的な美学を感じます。

盤上に表される、棋士の気持ちや心理状態

「私はこう行きますよ」「ほう、そう来ましたか。では私はこう行きますか」――間合いをはかりながら、こういう無言の会話が将棋ではやり取りされるわけです。

将棋に限らず、そもそもコミュニケーションというのは、そういうものではないでしょうか。日常生活でも、相手の言葉だけでなく表情や仕草、態度を見て、相手との間合いをはかり、相手の出方に応じてこちらも対応していく。そうやってお互いの心をやり取りしているものです。

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(第88期棋聖戦第3局より)

日常生活と将棋の対局とで決定的に違うのは、将棋は完全に駒のやり取りだけで会話をするという点です。対局中に相手の表情をうかがったり、相手とアイコンタクトをしたり、そうしたことは一切ありません。全ては盤上で展開されている駒たちが担っています。

将棋を覚えて、対局に慣れてくると、盤上の駒の動きを見ているだけで、「ちょっと勝ちに行っているな」とか、「攻めたいんだけど、ぐっと我慢しているんだ」とか、指している棋士の心理がわかってきます。盤面や指し手に、対局者の気持ちや心理状態が現れる、つまり人間が出るのです。それが分かるようになると、将棋の盤上の戦いが『三国志』でも読むかのように、壮大な人間ドラマに見えてきて、それは興味深いものです。

そんな眼で観戦していると、「どうぞ攻めて下さい」といった受けの姿勢で出てくるプロ棋士がいらっしゃいます。羽生三冠の「闘争心はいらない」と言う言葉、まさにその姿勢です。羽生三冠によれば、「自分は何もしない方がいい。はいどうぞ、あなたがやってください」というのが、最も理想的な指し方と言うことです。

そのすごさ、度量の大きさは、普段の人間関係に置き換えてみるとイメージがしやすいでしょう。「あなたにお任せしますから、どうぞご随意に」なんていうのは、「あなたがどんなふうに出てきても、全て受けて立ちますよ」ということを意味しています。これはよほどの自信がなければできない姿勢です。

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(第88期棋聖戦第3局より)

相手の出方を受けて立つ、間合いをはかったコミュニケーションを

相手の出方を待って受けて立つ姿勢は、子供たちへの授業にも通じます。教師主導で授業をしてしまうと、どうしてもつまらない授業になってしまいます。「なんでもいいよ。出してごらん」と大きく構えて、子供たちのつぶやきを聞き、表情を見ながら授業をするのが理想です。

もっとも、言うは易く、行うは難し。なかなかうまくはいかないのですが、そうありたいものです。

子供たちは将棋から何を学ぶのか

安次嶺隆幸

ライター安次嶺隆幸

東京福祉大学教育学部教育学科専任講師(元私立暁星小学校教諭)。公益社団法人日本将棋連盟学校教育アドバイザー。 2015年からJT将棋日本シリーズでの特別講演を全国で行う。中学1年生のとき、第1回中学生名人戦出場。その後、剣持松二九段の門下生として弟子入り。高校、大学と奨励会を3度受験。アマ五段位。 主な著書に「子どもが激変する 将棋メソッド」(明治図書)「将棋をやってる子供はなぜ「伸びしろ」が大きいのか? 」(講談社)「将棋に学ぶ」(東洋館出版)など。

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