うまくいかなくても後悔しない生き方とは?【子供たちは将棋から何を学ぶのか】

うまくいかなくても後悔しない生き方とは?【子供たちは将棋から何を学ぶのか】

ライター: 安次嶺隆幸  更新: 2017年07月22日

将棋は勝ち負けがハッキリする、厳しい勝負の世界です。最後まで諦めずに勝ちを目指していかなければならない一方で、勝つことだけにこだわっても勝てないものです。そんな何とも割り切れないところで、どのようにして活路を見出し、どのように勝ちにつなげていくかを模索することは、そのまま人生をいかに生きるかという遠大なテーマにも重なってきます。

長く果てしない将棋の道のり

将棋は二人で一手ずつ積み重ねて一局を作っていき、その様子は長い道のりを二人で手を携えて歩いて行く様なものだと前回の記事でお伝えしました。

特にプロの対局においては、その道のりは非常に長きに及びます。抽象的な意味ではなく、実際問題としても非常に長い時間をかけて一局を指します。対局は大抵、午前10時から始まるのですが、終局は深夜23時とか24時になることもあり、ときには日が改まってしまうこともあります。そして、その長い戦いの後にも感想戦を行い、一局の反省もする。まさに精魂尽き果てるほどの長い道のりなのです。

プロ棋士の対局ではそうした長い道のりを、2人で共に作っていくわけです。その際、2人にとっての重要課題は、どの場所にたどり着くか、つまりどちらが勝つかではありません。大事なのは、そこまでの道のりをどういうプロセスで歩くかということです。

自分が一手指す。次に相手が一手指す。そして自分の手番にまた一手。お互いが一手ずつ指して、少しずつ少しずつ進んでいきます。それは、一歩一歩注意深く高峰に挑んでいく登山家の姿を彷彿とさせます。

目の前に立ちふさがる岩壁を見上げて、その頂を目指します。一人が岩の出っ張りに手をかけて、次はあそこの岩の裂け目を使おうと踏み出す。二人で協力して登るわけですから、相手がそうしているときも、もう一人は「自分だったらこの岩を使うな」と当然考えています。足場が確保しにくい場所では、ここにハーケンを打ち込むしかないなとか、少しルートをずらした方がいいかとか、お互いを尊重しながら注意深く道を選び、前進していくのです。

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(第65期王将戦第3局より)

考え抜いた一手だから結果に納得できる

その果てしない道のりを歩むとき、どう進むかをとっさに決めることも可能です。将棋に戻って言えば、「この手でいいや」とパッと思いついた良さそうに見えた手を1秒で指すこともできるわけです。

しかし将棋では「ちょっと待てよ。他に可能性はないのだろうか」と考えてみるのです。そして1時間じっくり考えた末に決断して、一手を指します。意味深いのは、結果、「やはり最初に見えた手でいこう」となることもままあるという点です。

たった1秒で決めても、1時間長考しても、同じ手を指すかもしれないというところに、将棋の妙があります。

しかし、結果だけ見れば同じ指し手であったとしても、その意味合いは大きく変わります。じっくりと考えた時間の分だけ、本人は納得しています。考え抜いて一手を指すからこそ、その結果に納得でき、勝っても負けても責任を取る覚悟ができるのです。

1秒で決めて指すこともできますが、それでは不安が残ってしまうのです。いい加減に指しても勝てる時はありますし、勝てれば他人の眼はそれでごまかすことはできるでしょう。しかし自分自身は最善を尽くさなかったことを知っているのです。仮に勝てても、その勝利は苦い味になってしまいます。

熟考して決めた道は、後悔がない

私自身に置き換えて、例えば授業をする時の態度を考えてみましょう。小学生が相手ですから、教える内容はそんなに難しいものではありません。乱暴に言ってしまえば、誰にだって教えられるような内容です。しかし、ろくな準備もしないでいい加減に授業を行うと、子供の予想外の質問にたじろいでしまったり、及び腰になってしまったり、子供の声に耳を傾けてあげる余裕をなくしてしまいます。結局、手を抜いた反動に思わぬ形で見舞われて、あとで後悔することになるのです。

人生の歩み方も、全く同じではないでしょうか。誰もがそれぞれの人生において、さまざまな選択をして生きています。どう歩むか、自分の心の深いところに針を下すようにして熟考して決めた道は、仮にうまくいかなくても、何があっても、後悔はしないはずです。

人間は弱い。誰だって、そうやって一瞬一瞬最善を尽くして生きなければならないことは頭では分かっているはずなのに、それがなかなかできないものです。安易な気持ち・考えで選んでしまい、やり直しはきかない人生で痛い目にあってしまってから、もっと最善を尽くせばよかった、熟考して決めればよかったと後悔するのです。

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じっくり考えて出した結論に責任を持てる自分を目指して

幸い、将棋は何度でもやり直しがききます。たとえ負けても感想戦で、歩んできた一局の道のりを巻き戻して、「あの時じっくり考えるべきだったのだ」と学べるのです。幼い頃からこうしたじっくり考えて結論を出すという実体験を重ねることは、後の実人生で大いなる力になってくれるはずです。

将棋を指すと言う実体験も、『勝つことは自分に克つこと』だと学べることでしょう。将棋を学ぶことで、人生の歩み方をも学ぶことにもなるのです。

子供たちは将棋から何を学ぶのか

安次嶺隆幸

ライター安次嶺隆幸

東京福祉大学教育学部教育学科専任講師(元私立暁星小学校教諭)。公益社団法人日本将棋連盟学校教育アドバイザー。 2015年からJT将棋日本シリーズでの特別講演を全国で行う。中学1年生のとき、第1回中学生名人戦出場。その後、剣持松二九段の門下生として弟子入り。高校、大学と奨励会を3度受験。アマ五段位。 主な著書に「子どもが激変する 将棋メソッド」(明治図書)「将棋をやってる子供はなぜ「伸びしろ」が大きいのか? 」(講談社)「将棋に学ぶ」(東洋館出版)など。

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