「駒を仕舞う」という作法があらわす日本の心とは?【子供たちは将棋から何を学ぶのか】

「駒を仕舞う」という作法があらわす日本の心とは?【子供たちは将棋から何を学ぶのか】

ライター: 安次嶺隆幸  更新: 2017年06月10日

囲碁や将棋のような室内競技に限らず、スポーツなどあらゆることで「道具は大切に」と言われます。こと将棋に関しては、1枚でも駒がなくなると成立しなくなってしまいますので、数えながら仕舞う文化が染みついています。そして、駒の仕舞い方をひとつとってみても、そこには日本文化の美徳が詰まっているのです。

対局の後はすべての駒がひとつになって

お互いの指し手の最善手を模索していく感想戦を終えると、敵味方の区別なく駒をひとつずつ数えながら、一つの駒箱にしまい、最後に「ありがとうございました」の礼をもって対局が終了します。

将棋においては、対局開始の「お願いします」のあいさつの後はずっと無言で対局が進みます。棋士が大きな声を発したり、目を引くアクションをしたりすることはありません。その対局者の静かな姿とは裏腹に、盤上に目を転じると、駒たちが激しい戦いをしています。一枚一枚の駒が様々に動き回り、駒が成ったり、取られて相手の「持ち駒」になったり、めまぐるしく行き交っています。そんな激しい戦いを繰り広げた駒たちも、最後には一緒になってひとつの同じ箱に仕舞われるのです。

囲碁やチェスの場合は、色で敵味方が分かれているため、白と黒に分かれて箱に入ります。一方、将棋の駒はひとつの袋に入れられ、駒箱の中に仲良く納まります。こうして敵味方の区別なくひとつの箱に仕舞う終了の作法は、礼と和を尊ぶ日本の心を象徴的に表していると言ってもいいでしょう。

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駒の織り成す音のささやき

プロ棋士の世界では通常、上位者が数えながら駒を仕舞うことになっています。対局者二人で知恵を出し合い、考え抜いて動かしてきた駒たちを、王将・玉将、飛車2枚、角行2枚、金将4枚・・・などと数えて、駒に対する愛情のようなものを感じさせるしぐさで、そーっと駒袋へと仕舞っていきます。

そのとき、駒と駒とが触れ合って、「カタカタ」と小さな音がするのです。その音は、あたかも駒が「よくがんばったなぁ」「いい対局だったね」と棋士に向かって優しくささやいているようにも聞こえます。

そばにいる人にしか聞こえないようなかすかな音ですが、そんな駒のささやきを聞きながら心を込めて丁寧に駒箱に仕舞っていくプロ棋士の姿を見ていると、次に対局するときまでお互いがさらに研鑽を積み、よりよい最善手を研究してくることを祈り誓っているようにも感じられます。本当に美しく、感動的な光景です。

対局後のプロ棋士の姿に感じる美徳

2008年の第21期竜王戦で、「羽生善治ー深浦康市戦」を私は拝見しました。その対局は決勝トーナメント4回戦で、最後の「ありがとうございました」の礼がなされたのはもう深夜でした。その時目にした深浦王位(当時)の態度に、駒をひとつの同じ駒箱に仕舞う精神に通じる美学を感じさせられ、いたく感動しました。

あの対局は夏の暑い盛りに行われました。長い時間の対局中に、棋士は水やお茶を何リットルも飲みますから、対局が終わったときには、対局場には空になったペットボトルが何本も並んでいました。それを深浦王位は自分自身で片付け、両手に何本も抱えてお辞儀をして部屋を出て行かれたのです。

読者の方々は、そんなの当たり前じゃないかと思うかもしれません。

しかし、深浦王位は精根尽きるまで戦った末、負けを喫し、その後深夜まで感想戦を行っていたのです。その後のことですから、対局場にいた若手の誰かに「片づけておいてくれ」と頼めば済む話です。それを黙って自分で片づけて辞するということを、いとも普通になさった。これはなかなかできることではありません。

他の競技を見てみると、選手が試合に専念できるよう、そうした片づけはたいていスタッフの役割となっています。たとえば大リーグのダッグアウトがテレビ中継で移ることがありますが、バットがその辺に転がっていたり、飲み物がバーンと放り投げてあったり、お世辞にもきれいとは言えない状況です。おそらく大リーグでは試合後、選手たちはそのまま引き上げ、片付けはスタッフにやってもらうシステムになっているのでしょう。

ところが深浦王位は、自らの手でさりげなく片づけをして、その場から立ち去っていかれました。対局場もきれいにする、自分のものは自分で片付けるといった、当たり前のようだけれど実は案外当たり前ではないことをきちんとするプロ棋士の姿は、はたで見ていて、清々しい感動を与えてもらいました。

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(第51期王位戦 第2局 感想戦より )

道具を大切に扱う姿

激しく戦いを繰り広げてきた駒たちを敵味方の区別なく同じひとつの箱に仕舞うことといい、深浦王位のような所作といい、ふとしたところに将棋の心が表れるものだと、私は思うのです。将棋には、日本文化の中で生まれてきた美徳がいたるところに張り巡らされているのです。

子供たちは将棋から何を学ぶのか

安次嶺隆幸

ライター安次嶺隆幸

東京福祉大学教育学部教育学科専任講師(元私立暁星小学校教諭)。公益社団法人日本将棋連盟学校教育アドバイザー。 2015年からJT将棋日本シリーズでの特別講演を全国で行う。中学1年生のとき、第1回中学生名人戦出場。その後、剣持松二九段の門下生として弟子入り。高校、大学と奨励会を3度受験。アマ五段位。 主な著書に「子どもが激変する 将棋メソッド」(明治図書)「将棋をやってる子供はなぜ「伸びしろ」が大きいのか? 」(講談社)「将棋に学ぶ」(東洋館出版)など。

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