ライター夏芽
【今日は何の日?】12月12日は米長永世棋聖最後の公式戦対局。相手は現王将の郷田真隆九段
ライター: 夏芽 更新: 2016年12月12日
米長邦雄永世棋聖は、1943年6月10日、山梨県増穂町の生まれ。佐瀬勇次名誉九段門下で、1963年に四段昇段。1973年、第22期棋聖戦で初タイトルを獲得し、1985年には第23期十段戦で中原誠十段を破り、棋聖、王将、棋王と合わせて史上3人目となる「四冠王」に輝いた。1993年、第51期名人戦では7度目の挑戦で悲願の名人位を奪取。49歳11か月での就位は歴代最高齢記録である。タイトル戦登場は48回。獲得は名人1期、十段2期、棋聖7期、王位1位、棋王5期、王将3期の合計19期。「泥沼流」「さわやか流」と呼ばれる力強い棋風と、「米長哲学」と言われる勝負師としての理念は多くのファンを魅了した。そしてそのマルチな才能は将棋界だけにとどまらず、東京都の教育委員、テレビやラジオの審議会委員なども務めた将棋界を代表する棋士のひとりである。
第53期王将戦、12月9日の対森内俊之竜王(当時)戦
その米長の最後の公式戦となったのが、いまから13年前(2003年)の12月12日。第53期王将戦の挑戦者決定リーグで、相手は現王将の郷田真隆九段だった。この期、米長は二次予選で三浦弘行八段、藤井猛九段というA級棋士ふたりを倒してリーグ入りを果たす。しかしそのリーグ中盤の4回戦前日に現役引退の意向を表明した。それを知った対戦相手の佐藤康光棋聖は和服で対局に臨み、朝はスーツ姿だった米長自身も午後から和服に着替えている。続く5回戦の森内俊之竜王、そして最終戦の郷田も両者和服。それぞれが大先輩に敬意を示した。
最後の対局▲郷田-△米長戦は相居飛車の力戦形。米長は居玉のまま5筋に飛車を転回し、中央突破を目指したが、郷田が鋭く切り返して攻め合いの展開を制した。図はその投了の局面。この将棋は、両者ともに一分将棋になるまで時間を使いきった。米長の通算成績は1103勝800敗(1持将棋)。
この年の5月、米長は日本将棋連盟の専務理事に就任し、秋には将棋界で7人目となる紫綬褒章を受章している。引退時はちょうど60歳。人生の節目といえる年齢だが、現役を退いても将棋の普及に対する姿勢は変わらなかった。2年後の2005年には将棋連盟の会長に就任。公益社団法人への移行を目指し、2011年にその認可を受けた。
2012年1月にはコンピュータソフト・ボンクラーズと対戦し、後に出版された自戦記『われ敗れたり』は将棋ペンクラブ大賞(文芸部門)を受賞。現行の電王戦、叡王戦へとつながる大きな功績を残している。同年12月18日、前立腺癌のため死去。69歳だった。