将棋地口・第4笑『風呂屋の釜』

将棋地口・第4笑『風呂屋の釜』

ライター: 谷木世虫  更新: 2018年04月25日

 今日はいつになく寒い日で、外ではチラチラ雪が降っています。桜が咲いた卯月(うづき=四月)というのに、やはり地球温暖化の影響でしょうか。オヤ? 温暖化なのに雪が降っているというのも、おかしな話ですネ。

 それにしてもこんな日は、何をしてもノラないものです。気持ちが内向きになるというか、やる気が起きないのです。当然ながらお客さんも少なく、早めに店仕舞いをしたい気分。

 しかし、そういう邪心を起こすとなぜか、お客さんがやって来るのですネ。

「まいど~。今日みたいな日は仕事をする気にならないので、早めに切り上げて来ちゃいましたヨ」

 寒さを背負いながらやって来たのは、営業畑のサラリーマンの常連さんでした。彼もまた、私と同じ思いだったようです。

「まったく、なかなか暖かくなりませんね。でも、昨年の夏のように暑いのもイヤですけどね」

「ホント、ホント。なかなかちょうどいいというのはないですねぇ~」

 私は席料をもらいながら常連さんと挨拶を交わしましたが、それはどこか銭湯の番台で主人が客と話しているのに似ていて、ふっとおかしさが込み上げてきました。私は一瞬、早く帰って熱い風呂にでも入りたいと思いましたが、せっかく来てくれたお客さんがいるのです。即座にその思いを打ち消しました。そして、常連さんの手合いが付くまで、「ちょっと待ってください」と伝えたのです。

 すると常連さんは、馴染みのマーちゃんの将棋を見学しに寄って行きました。

「まいど!」

 マーちゃんは、いつもの人懐(ひとなつ)っこい声で柔らかな顔を向けてきました。彼は以前、不幸なことに交通事故で足を悪くしてから、それまでのトラックの運転手を辞め、奥さんがやっている仕事を手伝うようになっています。以来、当クラブでは平日の昼間の常連さんです。

 棋力はアマ2級ですが、そう遠くない時期に入品(にゅうほん=初段)になるでしょう。その素直な人柄から常連の皆が、いわば彼の応援団で、二段・三段陣が駒落ちで手取り足取り教えているのです。

今も相手の三段さんと二枚落ちを戦っていて、戦況はマーちゃんの優勢といったところ(本当は勝勢なのですが、マーちゃんが勝ちきれるかどうか......)。

「だいぶ強くなりましたね」

 と、脇に座った常連さんが声を掛けました。

「お蔭さんで! どうです、この局面は? ここからが、いつも問題なんですがね~」

 二人の対局は図の局面を迎えていて、ここはマーちゃんの進歩が試される局面。マーちゃんも懸命に考えています。

「まったく、皆が教えるもんだから最近はマーちゃんに勝てなくてサ。ちょっと前ならすぐ引っかかってくれたのに、罠にかからないんで困るヨ」

と、これは相手の三段さん。そして、

「でもまぁ、終盤は間違えることが多いし、まだまだ俺の敵ではないナ。修業が足らないヨってね」

ところがそれを聞き、マーちゃんは考えを中断させ、弾むような声で洒落を言ったのです。

「まったく風呂屋の釜だね~」

その心は、"湯=言うばかり"というもので、口先ばかり達者な人に嫌みとして使われる洒落です。

しかし、三段さんも熱くなったか、黙ってはいませんでした。

「それをいうなら蕎麦屋の釜だ」

【図は△4三歩まで】

*図から、下手が▲4六飛と逃げると上手に△5四銀と備えられ、棋力の差を考えると紛れてくる可能性が高くなります。

正着は▲6四飛と切る手(参考図1)。

【参考図1は▲6四飛まで】

▲6四飛以下、△同玉▲5五角△6三玉に▲5四銀が好手になります(参考図2。△5四同玉は、▲6四金で詰み)。

【参考図2は▲5四銀まで】

▲5四銀から、(1)△5二玉なら▲7三角成、(2)△7四玉なら▲7五歩△8三玉▲7四金(参考図3)という要領で、下手の勝ちは明白です。

【参考図3は▲7四金まで】

下手は飛車を渡しましたが、△3九飛などの王手には▲5九銀で怖いことはありません。

将棋地口

谷木世虫

ライター谷木世虫

東東京の下町、粋な向島の出身。大昔ミュージシャン、現フリーランス・ライター。棋力は低級ながら、好きが高じて道場通いが始まる。当初、道場は敷居が高く、入りにくい所だったが、勇気を出して入ると、そこは人間味が横溢した場所だった。前回は、将棋道場で聞かれる数々の「地口」をシリーズで紹介したが、今回は「川柳」がテーマ。これも地口同様、ユーモアと機知に富み、文化として残したいものとの思いで、このコンテツの執筆になった。

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前田祐司

監修前田祐司九段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。
早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。
決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。

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