将棋地口・第14笑 『なんにもならない裏の柿木』

将棋地口・第14笑 『なんにもならない裏の柿木』

ライター: 谷木世虫  更新: 2018年10月31日

昔、将棋道場という所に通い始めたころ、どうして平日の真っ昼間に将棋を指している人がいるんだろう、と思ったものでした。今、なぜか将棋クラブの席主をしている自分を棚に上げて言うのもおかしな話ですが、その時は一種のカルチャーショック的な衝撃があったのです。もちろん、頭の中では「土日が休みの人ばかりではない。仕事によっては平日が休みの人もいるんだ」と理解していたものの、やっぱり不思議な気がしたのです。

他人が仕事をしている最中、自分は遊んでいられるというのはちょっとした優越感があり、贅沢なこと。逆の場合は羨ましくもあるのですが、その平日の今日、外は秋晴れが広がり、室内にいるような天気ではないというのに、当将棋クラブには20人近い"好き者"が来ておりました。ありがたいことです。

「あぁ~ア、そんな手があったのか」

「なァ~に、ただやってるだけだヨ。なんにも考えちゃいないんだから」

「ただやってるだけにしちゃ、ずいぶんと立派な手ではゴザンセンかってンだ」

局面の形勢が良かろうと悪かろうと、好き者、イコール幸せ者の皆は、存分に将棋を楽しんでいます。世の中、昼間から好きな将棋を楽しめるということは、実に平和なこと。これが永久に続くことをただただ祈るばかりです。と、柄にもなく殊勝なことを思っていると、そこにもう一人、"好き者"がやって来ちゃったのです(おっと、失礼。お客さんでした)。

「チワ~ス! 今日は大勢いるね~」

クニさんという常連さんで、棋力はアマ1級。私は早速、手合いを付け、楽しんでもらうことにしました。

「えっ、ツボさんとやるの~?」

「はい、ちょうど空いていますから、角落ちで教わってください」

「ヨッ、クニさんとは久しぶりだナ」

逆にツボさんは、これで1勝は確実というリアルな顔をしています。

私は、強い人に当たらないと強くはなりませんからと言い、クニさんの背中を押しました。

ツボさんはだいぶ駒落ち、また、将棋の要領が分かってきたようで、大きなミスもなく進めていきます。そして、図の局面となったとき、逆にツボさんから自虐的なジョークが聞かれたのです。

「香を浮いた手は、なんにもならない裏の柿の木かな~?」

これは、指した手が意味のなかった場合に言われる洒落です。日の当たらない所には何も実がならないものですが、果たして柿の木が日の当たらない裏庭にあったとき、本当に実がならないかどうか......私には分かりませんが、この洒落はそうしたことを言ったもので、"実のない手"という意味なんです。

「いやいや失敗したな。でも、クニさんも強くなったじゃないの」

ツボさんから優しい言葉が聞かれましたが、こういうときはそのあとが怖いもの。ほめられたクニさんは気が緩んだか、その後、指し手がヨレ始め、ツボさんに実力を出されて負けてしまったのです。ツボさんは上機嫌。そして、次の言葉で締めました。

「なんでもなっちゃう表の柿の木、ってとこだネ」

【図は△1二香まで】

*図の上手△1二香は、次に△1一飛と回り、△1四歩と反撃する狙いです。

これに対し、下手も▲1八香と浮き、▲1九飛と回る指し方もありますが、ちょっと消極的。

図でクニさんは▲2五桂と積極的に跳ね、桂交換を目指しました。この狙いは、以下△2五同桂▲同飛に△1一飛なら▲1六桂(参考図1)にあります。こういう狙いが持てれば有段の域といえ、クニさんは普段、かなり鍛えられている気がします。

【参考図1は▲1六桂まで】

参考図1で、上手が弱気に△4二玉なら、▲2四歩△同歩▲同桂△2三歩▲1二桂成(参考図2)と、目障りな香を消し去ることができます。▲1六桂~▲2四歩が下手の狙い筋です。

【参考図2は▲1二桂成まで】

しかし、駒落ちの上手は図々しい者。ツボさんは参考図1から△1四歩と開き直ります。下手は当然、▲2四歩としますが、以下、△1五歩▲2三歩成△同銀▲2四桂△同銀▲同飛△2三歩▲2九飛△1六歩(参考図3)と一本道に進み、下手は銀桂交換の戦果を上げました。

【参考図3は△1六歩まで】

と、ここまでは上手く立ち回っていたクニさんでしたが、参考図3での▲8八玉は、大事を取りすぎた緩手となってしまったのです。すかさずツボさんに△1七歩成とされ、▲4五歩△2七桂(参考図4)で、何やら怪しい雲行きに......。

【参考図4は△2七桂まで】

参考図3では▲4五歩と角筋を通し、△1七歩成に▲同香△同香成▲1二歩△同飛▲1三歩(参考図5)と進めるべきでした。

参考図5で、1)△1一飛なら▲1二銀、2)△2二飛なら▲1一銀△2一飛▲1二歩成。いずれも下手、大いに優勢です。

【参考図5は▲1三歩まで】

将棋地口

谷木世虫

ライター谷木世虫

東東京の下町、粋な向島の出身。大昔ミュージシャン、現フリーランス・ライター。棋力は低級ながら、好きが高じて道場通いが始まる。当初、道場は敷居が高く、入りにくい所だったが、勇気を出して入ると、そこは人間味が横溢した場所だった。前回は、将棋道場で聞かれる数々の「地口」をシリーズで紹介したが、今回は「川柳」がテーマ。これも地口同様、ユーモアと機知に富み、文化として残したいものとの思いで、このコンテツの執筆になった。

このライターの記事一覧

前田祐司

監修前田祐司九段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。
早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。
決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。
  • Facebookでシェア
  • はてなブックマーク
  • Pocketに保存
  • Google+でシェア

こちらから将棋コラムの更新情報を受け取れます。

Twitterで受け取る
facebookで受け取る
RSSで受け取る
RSS

こんな記事も読まれています