将棋地口・第18笑(最終笑) 『取るに取られぬ魚屋の猫』

将棋地口・第18笑(最終笑) 『取るに取られぬ魚屋の猫』

ライター: 谷木世虫  更新: 2018年12月30日

今年もとうとう、♪もういくつ寝るとお正月~という時季を迎えました。いや、迎えてしまいました。もう少し時が止まっていてほしいのですが、こればかりはそうもいきません。時が止まっているのはサザエさんの家だけで、前述の歌もワカメちゃんやタラちゃんだけが歌うご時世になっています。年末やお正月の風情がなくなって久しく、もうすっかり寂しさも通り越していますが、できればもう少しゆっくりと、また、"それらしさ"があればと思います。

しかし、当将棋クラブに来ている面々は、年末もお正月も、そしてお盆も関係ない人ばかりで、世間がどういう状況であろうと将棋を指してさえいれば幸せなのです。これ、見方を変えると、「家にいられない人」、あるいは「帰宅拒否症候群の人」と言えなくもありません。そういう人達のお蔭で私は生活をしているので、彼らを否定できませんが、ちょっとかわいそうな気もするのです。でもまっ、当クラブが「難民救済センター」だと思えば、社会に貢献していると思うこともでき、ちょっと気がラクになります。

「世間は忙しそうだけど、こうして気持ちよく攻めていると、世間はどうでもいいンだよネ~、それ王手だ!」

今、嬉しそうに指しているのは栗さんというアマ五段の年配の人。とっくに定年になり、今は悠々自適な生活を送っています。端で見る分には悩みなどなさそうですが、そういう栗さんにも一般人並みに相応の悩みがあるようです。

「そりゃ~そうさ、俺だって普通の人間ヨ」

と言って、話してくれた悩みは、将棋を指しに来るにあたっては奥さんの機嫌を取るのが大変というものでした。ナンじゃそれ、そんなの悩みじゃないジャンと思うのですが、本人にとっては切実なことのようです。

「うちのカァ~ちゃんは強いのヨ。将棋で言えばプロ四段というところだゼ。俺が仕事をしていたころは会社人間で、家のことはかまわなかったから、今になってそのしわ寄せ、いや、報いがきている気がするけど、チットは家のこともしろってしょっちゅう言われてンのよ。俺ンちもボロくなって、アチコチ傷ンでるからな~。でもよ、家にいればいたで、ゴロゴロしてンじゃないよって言われることもあってサ、いったいどっちなんだって思うんだ」

栗さんは将棋を指しながら、まるで人生相談所にでも来ているような話、この場合は愚痴でしょうか、それを話し始めたのです。対戦相手の人も他人事ではないようで、"同類、相い哀れむ"といったように頷いていました。

そんな栗さんの将棋が図の局面になったとき、次の地口が聞かれたのです。

「あ~あ、取るに取られぬ魚屋の猫かヨ」

この地口は地口の代表的なもので、その駒を取りたいのは山々なれど、取ると相手の厳しい手が待っているため、やっぱり取れない、という意味です。魚屋に飼われている猫は、毎日、豊富にエサがあるものの、魚は飼い主であるご主人の商売物のため、手が出せないということ。

栗さんは自重気味に、

「まったく俺ンちみたいだな。これを取っちゃうと、サザエさんの歌になっちゃうよな~」

と言いながら、次のように口ずさんだのでした。

「♪お魚くわえたドラ猫、追っかけられ~て、裸足で逃げてく、悲しいドラ猫~、ってか! まったく、帰るに帰れぬ魚屋の猫だ」

*今年の3月から連載してきたこのコラムも、今回でいったん店仕舞いになります。ここまでのご愛読に感謝すると同時に、皆様の棋力向上を心より願う次第です。また機会を見て続きをお伝えしたいと思いますので、そのときはどうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

【図は△9六香まで】

*図は後手が△9六香と打ったところですが、ここからお互いに香を打ち合う展開になっています。つまり、図から▲9九香(参考図1)△9八香成▲同香△9六香となり、再度、図に局面が戻り、現在、同一局面が3回目の局面です。このまま進むと、たぶん千日手になります。

【参考図1は▲9九香まで】

先手は栗さんで、本当は最初の図で▲9六同香と香を取りたいのです。以下、△9六同桂▲7九玉で参考図2。ここで先手が2手、続けて指せれば▲5五香という絶好の一打があります(参考図3)。この狙いは、もし後手が△5五同銀と取れば、▲同歩△同馬▲5八香(参考図4)という田楽刺しにあります。こうなれば先手の一番理想的な展開となりますが、いずれにしろ▲5五香が打てれば先手が面白いのです。

【参考図2は▲7九玉まで】

【参考図3は▲5五香まで】

【参考図4は▲5八香まで】

しかし、▲7九玉の参考図2の時、手番は後手。ここで後手には△3七歩成(参考図5)の好手がありました。

【参考図5は△3七歩成まで】

対して先手が▲3七同馬と取ると、△同竜▲同歩△3五角(参考図6)で、見事に王手飛車を掛けられてしまいます。これは先手がいけません。かといって、△3七歩成に馬も銀も逃げられないのでは......。

【参考図6は△3五角まで】

という事情から、栗さんは「取るに取られぬ魚屋の猫」と言ったのですが、結局、千日手が妥当と思い、最初の図で▲9九香とし、以下、千日手になりました。

将棋地口

谷木世虫

ライター谷木世虫

東東京の下町、粋な向島の出身。大昔ミュージシャン、現フリーランス・ライター。棋力は低級ながら、好きが高じて道場通いが始まる。当初、道場は敷居が高く、入りにくい所だったが、勇気を出して入ると、そこは人間味が横溢した場所だった。前回は、将棋道場で聞かれる数々の「地口」をシリーズで紹介したが、今回は「川柳」がテーマ。これも地口同様、ユーモアと機知に富み、文化として残したいものとの思いで、このコンテツの執筆になった。

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前田祐司

監修前田祐司九段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。
早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。
決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。
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