「同学年」対決!―第36期竜王戦七番勝負展望―

「同学年」対決!―第36期竜王戦七番勝負展望―

ライター: 田名後健吾  更新: 2023年10月04日

 優勝賞金4400万円の将棋界最高棋戦。第36期竜王戦七番勝負が、10月6・7日(金・土)に東京・渋谷区「セルリアンタワー能楽堂」で行われる第1局からいよいよ開幕する。

 竜王3連覇を目指す藤井聡太竜王(七冠)に挑戦するのは、俊英・伊藤匠七段。まもなく21歳となる伊藤七段は、藤井竜王と同学年。常に年上との対戦が多かった藤井にとって、フレッシュな挑戦者を迎えるシリーズとなる。

 2020年10月1日にプロデビューした伊藤七段は、竜王戦3回目の出場にして挑戦者となった。むろんタイトル初挑戦である。ランキング戦5組優勝から決勝トーナメントに進出。出口若武六段(6組優勝)、大石直嗣七段(4組優勝)、広瀬章人八段(1組5位)、丸山忠久九段(1組4位)、稲葉陽八段(1組優勝)と並みいる強豪を破って挑戦者決定三番勝負に勝ち進み、タイトルホルダーの永瀬拓矢王座を2-0で下しての挑戦権獲得は見事。下位クラスの棋士でも実力さえあればチャンスが与えられるのが竜王戦の特色だが、これまで5組優勝から挑戦者は出ておらず、伊藤七段が初の快挙。まさに「竜王戦ドリーム」である。

 伊藤匠とはいったいどんな棋士なのか。藤井竜王のことは他の多くのメディアで語り尽くされているので、本欄では伊藤七段の歩みに焦点を絞って紹介したい。

藤井聡太を泣かせた男?

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写真・田名後健吾

 2002年10月10日に東京で生まれた伊藤七段は、5歳のときにお父さんからルールを教わって将棋を覚えた。そしてすぐにその面白さに気づいてのめり込み、のちに師匠となる宮田利男八段が主宰する三軒茶屋将棋倶楽部に通うようになった。
 めきめきと上達した伊藤少年は、2010年に小学2年生で出場した第9期全国小学生倉敷王将戦低学年の部で準優勝、JT将棋日本シリーズこども大会(東京大会・低学年の部)で優勝し、頭角を表す。
 藤井聡太とは、東京と愛知で離れていたためほとんど接点がなかったが、2012年に開催された出版社主催の小学生大会(小3)で対戦している。このとき敗れた藤井少年が大号泣したエピソードがのちに広まり、いまや伊藤七段は「藤井聡太を泣かせた男」としても知られる。

常に先を行く存在

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写真:八雲

 伊藤は2013年9月、小学5年生の時に奨励会に6級で入会。1年早く入会してスピード昇級を重ねていた藤井は常に先を行く存在で、伊藤が初段のときには史上最年少で四段昇段を果たし、伊藤が17歳で四段に昇段したときにはすでに王位・棋聖の二冠になっていた。このときの心境を、四段昇段時にこう記している。
《そこからの彼の活躍は凄まじく、こちらも意識せざるを得なかった。彼はいつも勝っていて、見る度に自分が情けなく思えたが、早く上がらなければ、と刺激になった。いまは大分離されているが、いつか大きい舞台で対戦してみたいと思う。》(『将棋世界』2020年12月号「四段昇段の記)より)
 焦りを感じた伊藤は、将棋漬けの環境に身を置くため高校を1年生の1学期で退学し、退路を断った。その強い信念が実を結び、三段リーグを5期で抜け、17歳で晴れてプロ棋士となった。藤井と誕生日が3ヵ月遅いので、当時の最年少棋士だった。
 伊藤は、宮田師匠が開いてくれた昇段祝賀会で「3年以内にタイトル戦に挑戦する」と誓いを立てたという。順位戦初参加となる2021年度でC級1組へ昇級、新人王になるなど活躍し、無敵を誇る藤井を抑えて勝率1位に輝いている。竜王戦ランキング戦は2年連続優勝で昇級。2度目の決勝トーナメント進出でついに挑戦権を獲得し、公約を実現して見せた。しかもシリーズの相手が藤井竜王なのだから、感慨もひとしおだろう。出会いから11年、最高の舞台で戦うこの七番勝負は、そういう意味でも注目だ。

七番勝負の見どころ

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写真:田名後健吾

 100万円を超す高性能のパソコンを駆使して、AIで序盤研究を行っている藤井竜王。伊藤も日頃の研究の中心はAIでの序盤研究だそうだ。ソフトの導入は奨励会初段の頃からと言うから、かなり早いほうである。
 奨励会時代から教わっている永瀬王座とのVSをはじめ、月に10~15回の研究会に参加しているという伊藤は「自分にオフはない。趣味は将棋」と言うほどの将棋の虫。それだけに研究には自信を持っており、このシリーズでは藤井対策をたくさん用意しているようだ。
 両者の公式戦の対戦は過去に2局あり、藤井の2勝。だが、この程度の局数では参考にならない。藤井にとって普段交流がない伊藤は手の内がつかめない相手である。
 昨今のタイトル戦では、藤井に対して実戦例の少ない局面へ誘導する戦い方をする棋士が増えている傾向にある。それは藤井の研究の及ばない将棋に持ち込んで力で戦おうという意思で、自然な戦略といえる。
 しかし、伊藤はこのシリーズおいて「これまでのスタイルをあまり変えずに、普通に戦うつもり」(『将棋世界』11月号インタビューより※絶賛発売中!)と語っている。自分の研究の成果をぶつけて、真っ向勝負を挑むつもりのようだ。

【戦型は?】
 伊藤の得意戦法である「相掛かり」と、「角換わり」が中心になると思われる。次いで「雁木・矢倉系」か。
 ここで、伊藤七段の手番別成績を見てほしい。

年度 先手 後手
2021年度 21勝7敗(0.7500) 24勝3敗(0.8888)
2022年度 15勝8敗(0.6521) 22勝6敗(0.7857)
2023年度
(未公開のテレビ棋戦は含まず)
16勝2敗(0.8888) 8勝2敗(0.8000)

2023年9月30日時点

 お気づきかと思うが、後手番での勝率の高さが目を引く。作戦の幅が狭い後手番を苦にしないのは大きな強みといえる。
 伊藤の持ち味は受けにありと見る棋士は多い。あの粘り強い「負けない将棋」の永瀬拓矢王座に競り勝った伊藤の受け(過去の対戦はなんと伊藤の4勝1敗)には、藤井も要注意だ。

【封じ手】
 「持ち時間が長い対局が好き」という伊藤七段にとって、持ち時間8時間の竜王戦はうってつけのタイトル戦といえよう。ただし、二日制タイトル戦は「封じ手」が重要なポイントとなる。自分の都合のよい局面で封じ手を迎えれば、一晩じっくりとその後の展開を考えることができる。そのためには微妙な駆け引きが必要であり、タイミングを間違えてしまうと、構想を悟られたくないがために無駄に時間を浪費せざるを得なくなることが往々にしてある。この点は経験豊富な藤井竜王にアドバンテージがある。

【和服】
 筆者は、後述する伊藤七段のパーティーでお父さんとお話をする機会があり、対局で着る和服について伺ったが、「匠と一緒に白瀧呉服店をたずねて3着作りました」とのこと。和服は高価なので大変な出費だったと想像するが、息子の晴れ舞台にとても嬉しそうなご様子だった。
 毎年、竜王戦第1局は、能舞台での対局の一部を観客を入れて公開するのが恒例になっている。運よく観戦チケットをゲットできた幸運なファンは、新調した和服を着て橋掛かりを颯爽と歩く伊藤七段の雄姿を楽しみにしたい。(抽選に漏れたファンは、ABEMAのリアルタイム中継や『将棋世界12月号』の写真をお楽しみに)

宮田師匠の願い

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写真・田名後健吾

 去る9月某日。宮田八段は、地元・三軒茶屋の高層ビルの展望レストランを貸り切って、竜王戦に挑戦する伊藤七段を激励する内輪のパーティーを開いた。
 実は半年前の4月にも、前期順位戦C級2組において全勝で昇級を果たした斎藤明日斗五段の祝賀会を同所で開いている。その際に宮田八段は酔いに任せて「おい斎藤、本田、伊藤。頼むからいまのトップ棋士の藤井聡太とタイトル戦を戦ってくれ。俺はもう70歳なんだから、あと5年以内に頼んだぞ!」と叱咤激励していたが、その願いは伊藤七段の竜王挑戦であっさりと叶うこととなった。それだけに、終始笑顔が絶えなかった。
 冒頭の挨拶で宮田八段は、伊藤に向かって「第6局(宮田八段の故郷の秋田県で開催)まではいってくれよな」と話していた。現地で陰ながら健闘を見守るつもりのようだ。挑戦者になってくれたことだけでも満足の様子だったが、第6局が竜王奪取の決着局となれば、師匠への最高のプレゼントになるだろう。
 パーティーの最後で伊藤七段は、挑戦を祝ってくれたお客さんたちに向かって、「3年前に四段昇段した時にお祝いをしていただいてから、タイトル挑戦を目標にしてきましたが、こんなに早く実現できて自分でも驚いています。ただ、決して順風満帆な私生活というわけではなくて、昨年度の順位戦では9連勝から昇級を逃すというかなりの絶望を味わい、今年4月の斎藤明日斗さんの昇段祝賀会の時には大勢の方々にお気を遣わせてしまいましたが、そういった苦い経験で奮起して、今期の竜王戦では実力以上の結果を残すことができました。七番勝負では、藤井聡太さんという強敵が相手ということで、大変厳しい戦いになるかなと思いますが、自分が入門した時から師匠の宮田先生に『将棋界では、竜王を取って賞金の半分を師匠に返すことが師匠への恩返しだ』と教わってきたので、師匠がお元気なうちに(タイトル獲得を)実現したいと思っています(笑)」と健闘を誓った。

田名後健吾

ライター田名後健吾

1997年、日本将棋連盟入社。機関誌『将棋世界』編集部に配属される。2007年より同誌編集長となり、株式会社マイナビ出版移籍後の2023年6月まで16年間務める。同年7月より、同誌編集と並行してフリーランス活動もスタート。

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