ライター君島俊介
羽生六冠VS谷川王将、七冠達成が懸かった一局。「5三のと金に負けはなし」で勝負を決めた【今日は何の日?】
ライター: 君島俊介 更新: 2017年03月24日
1995年は戦後50年、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件といった大きな出来事があった。将棋界も羽生善治六冠王が前人未到の七冠独占を懸けて谷川浩司王将に挑んだ年だった。
羽生は七冠目のタイトルに2回挑戦。1994年度が1回目の挑戦になる。名人、棋聖、王位、王座、棋王を持つ羽生は、1994年末に竜王獲得。史上初の六冠王になり、それと並行して第44期王将戦七番勝負でも谷川浩司王将への挑戦権を得た。
1月12日に開幕した七番勝負の第1局と第2局の間に、阪神淡路大震災が起こり、神戸出身の谷川も被災。七冠を目指す羽生と震災に被災しながらも奮闘する谷川との構図になった。
番勝負はフルセットになり、第7局は3月23・24日に青森県十和田市「奥入瀬渓流グランドホテル」で行われた。史上初の七冠王なるか、まだ雪が残る奥入瀬に約50社、約150人の報道陣が駆けつけた。2016年末の藤井聡太四段のデビュー戦や2017年2月の三浦弘行九段の復帰戦では報道陣が約50人だったから、当時の注目度の高さがうかがえる。
注目された対局の戦型は相矢倉。この七番勝負は第3局以降、矢倉の3七銀戦法(第1図)が指された。
【第1図は25手目▲3七銀まで】
先手の羽生が積極的に攻める。だが、谷川に好防があり、24日の14時52分に千日手となった。控室に千日手が伝えられると、「どちらが勝ったんですか」と聞いた人もいたという。将棋をほとんど知らない人も多数取材に訪れていた。
24日の16時に開始された指し直し局は千日手局と同じ戦型。しかも、千日手局の指し方を認め合うように40手目まで同じ進行になった。手を変えたのは谷川。羽生が指した速攻策ではなく、穏やかな指し方を選んでペースをつかむ。
第2図から△5三同金▲5一飛△4一桂▲5四歩△4四金▲5三歩成と、と金を作って先手が優位を広げた。図では△4二金右とかわし、▲4三歩成△同金左▲1一角成△2二銀とするほうが難しかった。
【第2図は91手目▲5三歩まで】
「5三のと金に負けはなし」の格言どおり、勝勢になった谷川が、受けなしに追い込み、21時18分に羽生が投了した。
ここでの挑戦には失敗した羽生だったが、六冠すべて防衛して再び挑戦。その猛烈な勢いを今度は谷川にも止められず1996年2月14日に史上初の七冠独占を果たしている。