ライター将棋情報局(マイナビ出版)

「四段昇段の記」山崎隆之八段、稲葉陽八段、佐藤天彦九段
ライター: 将棋情報局(マイナビ出版) 更新: 2020年01月11日
「将棋世界」に掲載された人気連載「四段昇段の記」から、山崎隆之八段と稲葉陽八段と佐藤天彦九段のコラムをお届けします。
『大事なもの』山崎隆之(1998年5月号掲載)
生年月日 | 1981年2月14日 |
出身地 | 広島県広島市 |
師匠 | 森信雄七段 |
昇段履歴 | 1992年:6級(11歳) 1994年:初段(13歳) 1998年4月:四段(17歳) 2001年8月:五段(20歳) 2004年11月:六段(23歳) 2006年8月:七段(25歳) 2013年7月:八段(32歳) |
三段リーグ成績 | 【第18回(95年後期)】7勝11敗 【第19回(96年前期)】11勝7敗 【第20回(96年後期)】9勝9敗 【第21回(97年前期)】11勝7敗 【第22回(97年後期)】12勝6敗 |
同時昇段 | 高野秀行 伊奈祐介(フリークラス編入) |
四段に上がってから取材のときに何度かこう聞かれた。
「将棋を覚えたのはいつ頃ですか」
〝5歳の頃です〞
うん、確かに6歳になる前だったと思う。
「誰に教えてもらいましたか」
〝父です〞
たまたま父が詰将棋をしていて、僕も一緒になってやったけど、解けなくてわんわん泣いたとき、父は僕に将棋を教えてくれた。
「奨励会はどのくらい」
〝5年半です〞
「最近では早いよね」
〝そうですか〞
僕はこう答えた奴が嫌いだ。事実しか答えてないロボットみたいだ。
「どんな棋士を目指してますか」
〝いろんな先生がいますが、自分は自分なので、人と違った棋士になりたい〞
この質問は自分らしく答えたつもりだ。でも少し作って答えたのかもしれない。いつの頃からか人に嫌われるのが怖くなり、人と話すとき自分の本心で話すことが少なくなった。
どんな棋士も目指してない。ただ相手も全力でこっちも全力で将棋を指したときの、よく言い表せないけど何か熱い感じが好きだ。
だから、プロの世界にきたのだと思う。
【図は▲7一角まで】
図はO三段との将棋で、☖4三金と寄られ、ここから二転三転の将棋にな った。
両者、一分将棋で緊張感があり熱くなった。最後の辺りで勝ったと思った僕が負けた。負けたのは悔しかったけど、けっこう楽しかった。
こうやって楽しむことが出来るのも、迷惑をかけたけどずっと見守ってくれた親や師匠や将棋センターの人たち、指してくれたオッチャンたち、そして励ましたり応援してくれた人たちのおかげです。
本当にありがとうございました。
これからも大切にしたいと思います。
『タイムスリップ』稲葉陽(2008年5月号掲載)
生年月日 | 1988年8月8日 |
出身地 | 兵庫県西宮市 |
師匠 | 井上慶太九段 |
昇段履歴 | 2000年:6級(12歳) 2008年4月:四段(19歳) 2011年3月:五段(22歳) 2012年5月:六段(23歳) 2013年8月:七段(25歳) 2016年2月:八段(27歳) |
三段リーグ成績 | 【第37回(05年前期)】5勝13敗 【第38回(05年後期)】13勝5敗 【第39回(06年前期)】13勝5敗 【第40回(06年後期)】12勝6敗 【第41回(07年前期)】12勝6敗 【第42回(07年後期)】13勝5敗 |
同時昇段 | 田中悠一 |
僕は小学6年生のときに奨励会に入った。そのときは何となく「プロになれたらいいなぁ」と思っていただけだった。半年もすると、兄の聡が奨励会を辞めた。それを機に、本当にプロになりたいかどうかを考えるようになった。
本格的にプロを目指すようになってからは、わりとスムーズに上がっていけたと思う。そして三段リーグに入った。
「まあ、普通にやれば半分は勝てる。いや、もっと勝てるんじゃないか」と甘く見ていた。5勝しかできないとは、夢にも思わなかった。
やっとの思いで降段点を逃れたとあっては、さすがにふがいなくて悔しくてたまらない。それまであまりしていなかった最新の将棋の棋譜並べと研究に、初めて真剣に取り組んだ。
そうして2期目の三段リーグを迎えた。僕は最終日に1勝すれば、プロになれるという状況を作った。だが油断もあってか連敗し、次点に終わった。時は流れた。高校を1年前に卒業し、将棋中心の生活に慣れてきた今期、 「そろそろプロにならないとまずいだろう」と思っていた。だが、気合を入れ直して臨んだにもかかわらず、成績は指し分けペースで、直接対決の吉田戦も完敗。
「ああ、今期もまた駄目か」と思ったが、「全部勝ってキャンセル待ちしよう」と開き直った途端に伸び伸び指せた。
最終日を迎え、僕は3番手になっていた。1局目に勝つと自力になっていた。このとき、勝てば1位か2位に、負ければ2位か次点という状況になった。これは奇しくも2年前の最終局と同じであった。まるでタイムスリップしたかのような感覚になった。
競争相手が負ければ上がれるという心の甘えをなくして、自分の力でプロの座をつかみ取る─あのときできなかったことを試されているのだと思った。
最終局は、プレッシャーのかかる一番で、よい手も悪い手も指した。自分らしい積極的な将棋を指せて、その上で勝てたことは、本当によかったと思う。
最後になりましたが、いつも心配してくださった師匠、支えてくれた両親、応援してくださった方々に深く感謝したい。プロになるのがかなり遅れたが、その分はプロ棋士として活躍することで、少しでも返していきたいと思う。
そして、「これからもよろしくお願いします」。
『新たな挑戦』佐藤天彦(2006年11月号掲載)
生年月日 | 1988年1月16日 |
出身地 | 福岡県福岡市 |
師匠 | 中田功八段 |
昇段履歴 | 1998年9月:6級(10歳) 2006年10月:四段(18歳) 2009年4月:五段(21歳) 2011年4月:六段(23歳) 2012年4月:七段(24歳) 2015年1月:八段(26歳) 2016年5月:九段(28歳) |
三段リーグ成績 | 【第32回(02年後期)】11勝7敗 【第33回(03年前期)】10勝8敗 【第34回(03年後期)】13勝5敗 【第35回(04年前期)】12勝6敗 【第36回(04年後期)】10勝8敗 【第37回(05年前期)】12勝6敗 【第38回(05年後期)】12勝6敗 【第39回(06年前期)】14勝4敗 |
同時昇段 | 戸辺誠 |
今期こそは、絶対に昇段したいと思っていた。だから8月23日の三段リーグで2連勝し、最終日に望みを繋いだ直後は落ち着かず、早く次の例会がきてほしいと思った。
だが、その考えは変わった。これ程までに追い詰められ、そして何かを達成したいと思うことはそうあることではない。
だからこそ、この2週間と少しの日々を大切に過ごそうと思った。どのような結果になろうとも、この時間は自分の人生の中でかけがえのない経験になる。だから、将棋をするときもそうでないときも、一瞬一瞬を心に刻みながら最終日に臨もうと決めた。
2週間の日々はゆっくりとすぎた。感情は落ち着きを取り戻し、充実した時間をすごすことが出来た。
だが、最終日の前日は違った。朝から落ち着かず、頭が空転する感じで何も考えられなかった。
当日の朝も緊張していた。気分が優れず、早く対局を始めたいと思った。
9月9日午前9時過ぎ、対局開始。
楽をして勝つことは絶対に出来ない。背筋が凍るような思いをしなければ勝利は掴めないと思った。そしてその通り、生きた心地のしない局面が頻出した将棋だったが、なんとか1局目を勝利。
そして2局目は優勢のまま終盤へ。
僕はこの1局が自力昇段の一番だとは知らなかったのだが、それでもここでは震えに震えた。だが、幸いこの1局にも勝つことが出来た。
以前の僕は、自分だけを見つめて将棋を指し、そしていつも強気だった。ただ、年齢制限で去っていく人たちを見たり、自分がその中で戦っていくことを経験することによって、無条件で強気でいるということは難しくなった。悲しみや、いたたまれなさを感じるようになった。
だが、これからはそれらのことを経験した上での強さを持ち、戦いたい。
目標はタイトル獲得。いまの力では到底及ばないが、確固とした目標として見据え、達成したい。
最後になりましたが、お世話になった師匠や先生方、応援してくださった皆様方に御礼申し上げます。本当にありがとうございました。これからも宜しくお願い致します。
※本誌掲載時より一部編集
「四段昇段の記」シリーズ
(1)【久保利明九段、渡辺明三冠、窪田義行七段】編
(2)【野月浩貴八段、木村一基王位、三浦弘行九段】編
(3)【山崎隆之八段、稲葉陽八段、佐藤天彦九段】編
(4)【藤井聡太七段、佐々木勇気七段】編
