ライター将棋情報局(マイナビ出版)

「四段昇段の記」久保利明九段、渡辺明三冠、窪田義行七段
ライター: 将棋情報局(マイナビ出版) 更新: 2020年01月06日
「将棋世界」に掲載された人気連載「四段昇段の記」から、久保利明九段と渡辺明三冠と窪田義行七段のコラムをお届けします。
『四段になった日』久保利明(1993年5月号掲載)
生年月日 | 1975年8月27日 |
出身地 | 兵庫県加古川市 |
師匠 | 淡路仁茂九段 |
昇段履歴 | 1986年:6級(10歳) 1989年:初段(13歳) 1993年4月:四段(17歳) 1995年4月:五段(19歳) 1998年11月:六段(23歳) 2001年4月:七段(25歳) 2003年4月:八段(27歳) 2010年3月:九段(34歳) |
三段リーグ成績 | 【第11回(92年前期)】13勝5敗 【第12回(92年後期)】14勝4敗 |
同時昇段 | 川上猛 |
最終日は3月3日。この日は一生忘れないと思います。
四段昇段の一番も忘れることがないと思います。
17局目、対金沢戦は、三段リーグ2期目にして初めて居飛車をやりました。
これには理由があって、①相手が振り飛車であったこと。②居飛車にしたほうがよくなる変化があったことです。
僕はこの日まで13勝3敗。2局のうち1局勝てば昇段でした。それなら1局残して上がってやろうという気持ちで将棋を指していました。
しかし、その気持ちが強すぎてなかなか思うように手が進みませんでした。途中、この将棋は千日手になり、内心「よかった」という気持ちがありました。なぜなら、数手前に違う手を指されると自信がありませんでした。いろいろと考えているうちに、指し直し局が始まっていました。
しかし、その将棋は全くいいところがなく負けました。
投了する数手前に、2、3番手の川上(猛)、田村(康介)両三段が勝っているというのが聞こえてきました。
そのとき、ふと前期のことが脳裡に浮かんできました。
前期も最終戦、勝てば昇段という一番がありました。「よく考えると状況がよく似ている」ことに気づきました。
18局目、対O三段戦。僕はいつものように四間飛車、相手は穴熊でした。「そういえば、前期の最終戦も四間飛車対穴熊だったな」と思いました。ほとんど状況は一緒、将棋の戦型も一緒になると、少しいやな思いがしました。しかし、前々日の研究会のときの師匠の「他の人は必ず連勝すると考えて、自分が勝つしかないと思え」という言葉を考えながら、最終局を戦っていました。
【図は▲5九竜まで】
終盤になるにつれて、カメラや人の数が多くなってきました。その頃、田村三段が勝ったのを知り、「勝つしか上がれない」と自分に言い聞かせながら戦いました。しかしこの頃、相手のO三段に疑問手が出てよくなったと思いました。
最終手を指して相手が投了したとき、頭が真っ白になりました。と同時に大量の汗が出てきました。
正直なところ1局目を負けたとき、「また前期のようなことになるのかな」という弱気な心がありましたが、勝ててホッとしています。
まだスタートライン、これからだ!
『面白いところ』渡辺明(2000年5月号掲載)
生年月日 | 1984年4月23日 |
出身地 | 東京都葛飾区 |
師匠 | 所司和晴七段 |
昇段履歴 | 1994年:6級(10歳) 1997年:初段(13歳) 2000年4月:四段(15歳) 2003年4月:五段(18歳) 2004年10月:六段(20歳) 2005年10月:七段(21歳) 2005年11月:八段(21歳) 2005年11月:九段(21歳) |
三段リーグ成績 | 【第25回(99年前期)】10勝8敗 【第26回(99年後期)】13勝5敗 |
同時昇段 | 飯島栄治 |
初参加だった前期の三段リーグ、最終日に連勝し勝ち越すことができた。勝ち越したことで、三段としてやっていける自信がついた。
そして迎えた今期の三段リーグ。序盤の6局を終えた時点で3勝3敗と五分の成績。しかし、ここから6連勝と星を伸ばすことができた。
【図は▲7七桂まで】
そして11勝4敗で迎えた大阪でのI三段との一戦。図の局面は横歩取りの将棋で、いま☖5四銀に対して☗7七桂と跳ねたところ。ここで僕は、☖6四歩で決まりだと思っていた。☗7五歩から☗8五歩と飛車を追われても、☖8三飛と逃げれば大丈夫。しかし、先に☗8三歩成があるではないか。僕はこの初歩的な手筋をうっかりしていたのだ。
予定変更で☖4三金としたが、これでいいはずがない。以下いいところなく負かされた。戻って、☖5四銀では☖5四飛とし、5筋の歩交換を狙い、じっくり指せば面白かった。序盤から、ずっと苦しいと思っていたが、図の前の数手で急に指しやすくなった。しかし、ここで大悪手の☖5四銀を指してしまった。僕は、負けたことよりも、何も考えずに指してしまった自分が情けなくなった。
帰りの新幹線の中は、悔しさからか、一睡もすることができなかった。その後、数日間は「どうしてあそこでもう少し考えなかったんだろう」という思いが消えなかったが、まだ自力だったので、もう一度頑張ろうと思い、立ち直ることができた。そして最終日は、優勢になってからも、焦らずに落ち着いて指せたと思う。
将棋は、最後まで何が起きるか分からない。必勝の将棋を負けたり、必敗の将棋を勝つこともある。僕はこれが将棋の面白いところだと思っている。これからも、将棋を楽しむことを忘れずに頑張っていこうと思っている。
最後に、いままで御世話になった所司先生、北習志野将棋クラブの皆様、高砂歩みの会の皆様、両親にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
『AGREEMENT』窪田義行(1994年5月号掲載)
生年月日 | 1972年5月18日 |
出身地 | 東京都足立区 |
師匠 | (故)花村元司九段 |
昇段履歴 | 1984年:6級(12歳) 1988年:初段(16歳) 1994年4月:四段(21歳) 1998年8月:五段(26歳) 2007年1月:六段(34歳) 2016年6月:七段(44歳) |
三段リーグ成績 | 【第10回(91年後期)】6勝12敗 【第11回(92年前期)】12勝6敗 【第12回(92年後期)】8勝10敗 【第13回(93年前期)】9勝9敗 【第14回(93年後期)】13勝5敗 |
同時昇段 | 北浜健介 |
「ウワッ!」五度目の打撃に、私は堪らず落下し始めた。背後に迫る海原にも気づかぬ如く、必死に手足をバタつかす。 そんなとき肉体が音もなく受け止められ、天高く浮かべられた。奇跡と悟って呟く。
「運命の女神が、私を援けてくれた!」
2月7日正午過ぎ。昇級戦線でほぼ最悪の位置にいた。5敗目を喫し、あと4戦を全勝してもよくて頭ハネ......考えると滅入った。
しかし、何を想っていようが午後の対局は始まる。私の四間飛車(今期17局用いた)にT三段は何と鳥刺し。面喰いつつも制勝。
21日午後。中座(真)三段に相振りを匂わされ中飛車に。終始、強引気味の指し回しで勝ちきる。この辺を振り返ると、腹を括れていたとも考えられるが、負けていたら「ヤケを起こしたばかりに......」と漏らす破目になったかも。いかなる結果が出ようと「過程」に対し等しい評価を下すなんてことは難しい。
2日後の関西での結果が届くと、先の関東とも照らして好転を実感した。まだ「よくて......」の目は残っているので、とりあえず勝つ決意だけを固める。
3月1日から2日未明。この一日弱は忘れがたい時間となった。最後の記録とすべく臨んだA級最終戦加藤(一二三)九段―小林(健二)八段戦。盤上も両先生の闘いぶりも、大いなる糧となった。
日付が変わり、すべての死闘もそれぞれの結末に帰して後の打ち上げの席で、桐谷(広人)六段から伺った一言。「周りの星は気にするな」。日頃、付け焼き刃の類は好まない私だが、なぜか今回は鵜呑みにする気になったのだ。思えばここですでに「受け止められて」いたのかもしれない。有吉(道夫)九段からも、大山(康晴)十五世名人に関するお話を伺い、正直感動するとともに恩師・花村(元司)九段の思い出が「力」となって甦った。
【図は▲2四同飛まで】
消える如く一日が過ぎて最終の3日。隣の対戦すら見ずにどうにか1勝。昼食後の木村(一基)三段戦は手将棋模様から図に至り、以下☗5三歩成☖5二歩☗5四歩と打ち合いで千日手に。悪くないと見ていた将棋なので気になったが、ともかくも指し直しで勝利。直後「援けられた」ことを知ったのだった......。
最後に表題にも関連して宣誓したい。「私は、四間飛車で勝つために棋界にいる。決して離れることはない!」
※本誌掲載時より一部編集
「四段昇段の記」シリーズ
(1)【久保利明九段、渡辺明三冠、窪田義行七段】編
(2)【野月浩貴八段、木村一基王位、三浦弘行九段】編
(3)【山崎隆之八段、稲葉陽八段、佐藤天彦九段】編
(4)【藤井聡太七段、佐々木勇気七段】編
