「四段昇段の記」野月浩貴八段、木村一基王位、三浦弘行九段

「四段昇段の記」野月浩貴八段、木村一基王位、三浦弘行九段

ライター: 将棋情報局(マイナビ出版)  更新: 2020年01月07日

「将棋世界」に掲載された人気連載「四段昇段の記」から、野月浩貴八段木村一基王位三浦弘行九段のコラムをお届けします。

『南柯の夢』野月浩貴(1996年11月号掲載)

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生年月日 1973年7月4日
出身地 北海道
師匠 勝浦修九段
昇段履歴 1985年:6級(12歳)
1991年:初段(18歳)
1996年10月:四段(23歳)
2000年10月:五段(27歳)
2004年4月:六段(30歳)
2005年4月:七段(31歳)
2017年1月:八段(43歳)
三段リーグ成績 【第16回(94年後期)】10勝8敗
【第17回(95年前期)】8勝10敗
【第18回(95年後期)】12勝6敗
【第19 回(96年前期)】11勝7敗
同時昇段 近藤正和

96年3月7日、前期の三段リーグの、最終日僕は"W杯ドーハーの悲劇"級の精神的ショックを受けた。自力の二番手だったのが、二番手から昇段を逃したからだ。

それから数日間、打ちのめされ、涙にぬれる日々を送った。だが、「これを乗り切れたら自分は今以上に大きくなれるはず」と自分に言い聞かせて、次のリーグ戦が始まるまでの50日間を前向きに過ごし、4月23日の今期の開幕戦に臨んだ。

だが、そう簡単には壊れた将棋は元に戻らず、ズルズルと1勝3敗となる。

ここから4連勝してやや持ち直したかに見えたが、前期の最終戦で不覚と取ったK三段に、また負かされてしまうしまう。

ここまで5勝4敗。今期はもうダメだと諦めかけたときに、木村一基(かずき)三段から「まだまだこれからじゃん。頑張ろうぜ」と励まされた。この言葉で、僕は勇気づけられ、最終日を残して10勝6敗と、盛り返すことができた。

かずきとは、小学4年の冬、札幌で知りあって以来のライバルであり、同期入会で、この世界では数少ない本音で物を言える、そして尊敬できる大親友だ。

そして迎えた最終日の9月12日。

【図は▲5七銀まで】

1局目の安用寺戦。一分将棋の中で、図から☗8六歩を発見して勝ちとなり、最終局は自力勝負となる。が、I三段に敗れ、昇級の望みは、消費税率よりも低くなってしまう。だが、希望を捨てずに待つこと4時間半、かずきが「おめでとう」と手を差し延べてくれた。

師匠、そしてこの11年、応援していただいた方、いろいろとありがとうございました。

まだ四段になった実感は湧かないけれど、一つだけ実現したい夢がある。
それは......それはいつの日か、かずきと二人でタイトル戦で戦うことである。

『やっと』木村一基(1997年5月号掲載)

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生年月日 1973年6月23
出身地 千葉県四街道市
師匠 (故)佐瀬勇次名誉九段
昇段履歴 1985年:6級(11歳)
1988年:初段(14歳)
1997年4月:四段(23歳)
1999年4月:五段(25歳)
2001年12月:六段(28歳)
2003年4月:七段(29歳)
2007年4月:八段(33歳)
2017年6月:九段(44歳)
三段リーグ成績 【第8回(90年後期)】7勝11敗
【第9回(91年前期)】7勝11敗
【第10回(91年後期)】9勝9敗
【第11回(92年前期)】11勝7敗
【第12回(92年後期)】9勝9敗
【第13回(93年前期)】7勝11敗
【第14回(93年後期)】11勝7敗
【第15回(94年前期)】12勝6敗
【第16回(94年後期)】12勝6敗
【第17回(95年前期)】10勝8敗
【第18回(95年後期)】11勝7敗
【第19回(96年前期)】11勝7敗
【第20回(96年後期)】14勝4敗
同時昇段 小林裕士

前期上がれなかったのは悔しかった。愚かなことに、開幕5連勝してもう昇段も同然、と思ってしまった。恥ずかしいことにのぼせ上がっていた。

僕の子分であるN月君がそれまで不調で、「まだまだこれからじゃん、頑張ろうぜ」なんて余裕のあることを言っていた。自分が後半大崩れして、まさかこの男に頭ハネを喰らわされてしまうとは、このとき夢にも思わなかった。 残念だったね、と慰めてくれている沼師匠の前で、あふれ出てくる涙を抑えることができなかった。あの恥ずかしく悔しい思いは、いまも忘れることができない。

さて今期、開幕4連勝した。前期のことがあったので、油断することもなく、四番負けたものの全体的にまあ満足できる内容だった。

【図は▲8三金まで】

図は昇段を決めた対松本三段戦の投了図。ふるえちゃうかもしれないなあ、と思っていたけれど、最終日は自分でもびっくりするほど落ち着いて指せた。

ああ、やっと上がった。

奨励会に入ったのが昭和60年、それから11年と数ヵ月。6級から2年半で二段になったまではよかった。が、そこから三段になるまで2年半、そこからさらに6年半もかかってしまった。長く、そして苦しい奨励会生活であった。

奨励会、もっと端的に言ってしまえば三段リーグを指すようになってからの苦しみ、伸び悩んで棋士になれないかもしれないと思う不安感は、原稿用紙が何枚あっても書ききれないくらいだ。

でも、四段になって、自分が長年目指してきたことが達成できて本当によかった。

とは言っても、まだ棋士としてのスタートラインに立ったばかりだ。少しでも上位にいけるように、努力を続けて頑張っていきたいと思う。

『死ぬ気で掴んだ勝利』三浦弘行(1992年11月号掲載)

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生年月日 1974年2月13日
出身地 群馬県
師匠 西村一義九段
昇段履歴 1987年:6級(13歳)
1989年:初段(15歳)
1992年10月:四段(18歳)
1995年4月:五段(21歳)
1996年10月:六段(22歳)
2000年4月:七段(26歳)
2001年4月:八段(27歳)
2013年8月:九段(39歳)
三段リーグ成績 【第9回(91年前期)】7勝11敗
【第10回(91年後期)】8勝10敗
【第11回(92年前期)】13勝5敗
同時昇段 伊藤能

6月25日の三段リーグ、僕は伊藤(能)さんとの戦いで、必敗の将棋を拾い、3番手につくことが出来ました。2番手につけていた窪田―金沢戦が最終日にあるため、僕は自力昇段が可能となり、この日から落ち着いて寝ることが出来なくなりました。

大阪遠征の2日前、関東奨励会があり、その結果、2連勝すれば単独トップになれることが分かっていたので、極度の緊張感を持って新幹線に乗りました。

1局目、思ったより伸び伸びと指せたので、2局目のIさんにもこの調子でいけたらと思っていました。しかし正直いって、いちばん当たりたくない相手でした。

過去2戦、いずれも完敗しており、でも四段になるためにはこの相手に勝たなければと思いました。序盤、明らかな作戦負けでしたが、中盤盛り返し、終盤では何とか勝負形に持ち込んだと思っていました。

【図は▲6三歩まで】

図は☗6三歩と垂らした局面。ここではやや苦しいながらも、まだまだ頑張れると思いました。ここで☖4七とは☗6六銀とかわしても大丈夫。僕は☖6五桂の筋ばかり考えていて、それなら☗6八銀☖7七桂成☗同銀左と粘る順ばかり読んでいました。まだまだこれからと思った矢先に、Iさんは桂を持ちました。「☖6五桂か......」。しかし、次の手を見て僕は愕然としました。Iさんの手は6五ではなく8五にありました。

☖8五桂......。打たれた瞬間、僕にはこの手の厳しさが分かり、そして負けを悟りました。それでも☗6八銀には☖9五歩と今度は端を攻める手が生じる。堅い7筋だけではなく、盤面を広く見たIさんの大局観に痛い敗戦を喫しました。
この時点で自力は消滅してしまいました。

帰りの車中、一人落ち込んでいる僕に、遠征組のみんなが「残り5勝1敗の13―5なら楽勝でしょう」と慰めてくれました。

僕はまた気を取り戻し始めました。死ぬ気で、やっと目標にしていた5勝1敗を取りました。

いま思うと、帰りの車中で慰めてくれたみんなと、残りの対局では全員と当たっていました。


※本誌掲載時より一部編集

「四段昇段の記」シリーズ

(1)【久保利明九段、渡辺明三冠、窪田義行七段】編
(2)【野月浩貴八段、木村一基王位、三浦弘行九段】編
(3)【山崎隆之八段、稲葉陽八段、佐藤天彦九段】編
(4)【藤井聡太七段、佐々木勇気七段】編

将棋情報局(マイナビ出版)

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