前田九段の〝お目を拝借〞第5手「誕生、梅の九段」

前田九段の〝お目を拝借〞第5手「誕生、梅の九段」

ライター: 前田祐司九段  更新: 2019年08月20日

将棋界の慶事、「昇級・昇段」

今年は台風の当たり年のようで、先日は大型の台風10号が通過していきました。異常気象なのか、最近の夏は困ったものです。しかし、アタクシ、太ってはいますが、実は夏が大好き。お祝いしたい気分になるのです。そこで、今回は将棋界の慶事のお話をしたいと思います。

棋士にとって一番の慶事、それは「昇級・昇段」です。通常はこれが1セットになります。つまり、所属しているクラスが上がれば、同時に段位も上がるのが昇段システムの基本。このほかにもいくつか別の昇段規定があります。なお、一度上がった段位は下がりません。

また、昇級・昇段以外の慶事に、「勤続25年」「勤続40年」の表彰等、いくつかの祝い事があります。

奨励会を卒業し(=三段リーグを勝ち抜き)四段になると、晴れてプロとなり四段に昇段。そして「棋士」と呼ばれ、順位戦のC級2組に編入されます。ここが棋士としてのスタートライン。

棋士は日本将棋連盟の「正会員」、いわば正社員で、(私の時代の当時のシステムでは)給料・賞与・対局料が支給され、身分的にも経済的にも安定します(三段までは無給)。ほとんどの棋士は、「生涯で一番嬉しかった時は?」の問いに「四段に昇段した時」と答えますが、将棋界は前述のようなシステムですので、頷いていただけるのではないでしょうか。

四段後の昇段は、(当時は)順位戦を勝ち抜き、C級2組・四段からC級1組・五段に「昇級・昇段」、というように1セットで進みます。私の例で言えば、C級2組=四段からC級1組=五段→B級2組=六段→B級1組=七段というように昇級・昇段しました。順位戦は約1年かけて戦いますので、1セットでの昇級・昇段は(早くても)1年後になります。

また、クラスが上がるごとに収入も3割アップ。ただ、その分、競争も激しく、ニッコリ笑う人の数も1年間で各クラス2人だけなのです(ただし、C級2組からC級1組への昇級だけは3人)。もちろん、降級する人もおります。

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B級1組・七段に上がった私の理想は、もうひと頑張りしてさらに高見のA級・八段まで1セットでの昇級・昇段でした。しかし、能力不足はいかんともしがたく、諦めざるを得ませんでした。

ただ、"昇段"については当時、別の規定がありました。それは、「年功による昇段」で、ある年数を数えると一段昇段するというもの。早い人で4~5年、どんなに遅い人でも10年で昇段するという規定です。それをもとに、31歳で七段になった私は、41歳で八段、51歳で九段という青写真を描いていたのですが......。

「世の中、一寸先は闇」。突然ルールが変わり、七段から八段への昇段条件が「七段昇段後、190勝」というようになったのです。いわゆる「勝ち星による昇段」です。昇段が順位戦に偏りすぎているとの批判が上がり、ルール改正が行なわれたためでした。

"ヒェ~!! そんなご無体な、お代官様!!"--私には突如、目の前に関所が設けられたようなものとなり、そのため七段から八段に昇段するまでにナンと、15年もの歳月がかかることになったのです。私はアラフィフの46歳になっていました。

また、八段の次は九段ということになりますが、それには「八段昇段後、250勝」という規定となり、生きているうちに九段を名乗るという夢は、はかなくついえたのでありました。トホホホホ~。

現在、「寿命が尽きたら即日、一つ上の段位を贈ってあげるネ」という決めがあり、私が九段を名乗れるのはあの世へ行ったときとなります。が、人間、生きているうちが花。死んでからではネェ~。

「勤続40年」の壁・・・

結局、九段昇段は諦めるしかなくなりましたが、私でも手が届きそうな慶事が一つ残っていました。それは、前述した「勤続40年」の表彰。これならなんとかなりそうです。

私の四段昇段は昭和49年(1974年)の9月4日、引退が平成26年(2014年)6月4日。満40年には3カ月、不足していますが、オ・マ・ケしてもらえるだろ~と、甘く考えたのですね。過去には2年ほど足らなくてもオマケしてもらった棋士がいましたから......。

で、私は「勤続40年の表彰をします!」という将棋連盟からの連絡を心待ちにしていたのです。

しかし、「勤続40年」の表彰は受けられませんでした。こういう例えが適切かどうか分かりませんが、ある飲み屋に、40年来の常連客がいるとします。で、その夜の御勘定が¥10,138だったとしましょう。この場合、粋な店主であれば、「前ちゃん、1万でいいよ」と言いませんかネェ~? 端数はまけとくヨ、と普通はなるンじゃないの~?(なって、ほしいよねぇ~)

でも、現実は厳しかったのです。その夜、常連客はヤケ酒を飲みに、二軒目へと走ったとの噂が伝わってきました。

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"冥土の土産"の昇段?

月日は流れ、平成が終わろうかという今年3月、いつもと違う封筒に入った手紙が将棋連盟から送られてきました。開けて見ると、「前田の殿様、いや、もとへ。前田祐司八段先生様におかれましては、平成31年4月1日付けにて九段へ昇段されます。誠にオメデタイこって、表彰式をやるからぜひ来てネ」との文面。エッ!? 何かの間違いじゃないノ~と、疑ったのは言うまでもありません。まったく昇段の心当たりがなかったからです。

私が知っている八段→九段の昇段規定は、前述したように「八段昇段後、250勝」でした。私は八段昇段後、83勝で引退しておりますので、遠くおよびません。ただ、別の規定で、引退後、1年ごとに10勝が加算されるということは知っていました。今年の3月で引退して5年が経ちますので、50勝が加算され合計133勝になります。が、それでもまだ117勝が不足です。

ところが、件(くだん)の封筒が送られてきてから少しあとで知ったことですが、将棋連盟のホームページのお知らせ欄に、私の昇段理由が「退役棋士昇段規定により」とあり、そこで初めて「そういう規定があるンだ」と知ったのです。

「勤続40年」の"オマケ"はありませんでしたが、「退役棋士昇段規定」という、オマケの王様のようなものがあったとは......。私も齢(よわい)65歳。たぶん、「前田も老い先短かそうだから、"冥土の土産"にお一つどうぞ」という贈り物なのでしょうね~。

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2019年4月18日に関西将棋会館で催された昇段者免状授与式の時の模様。前列むかって左から3番目が前田九段。

生きているうちに九段を名乗れるとは思っていなかったため、今回の昇段はまさしく冥土の土産。素直に喜びたいと思いますが、こうなってみると下記の状況も昇段を喜ぶ理由になるかもしれません。それは昇段の喜びを倍加させる理由でもあります。

実は、昨年9月末から血圧が高くなり、病院に通い様子を見ていたところ、11月上旬、メデたく、いや正式に「高血圧症」の診断が出されました。さらに、今年3月、ほしくなかった「糖尿病」も加わってきたのです。高血圧→糖尿病とくれば、順番として次に予想されるのは「認知症」でしょう。▲7六歩△3四歩▲2六歩のような道理ですからネ。幸い今は正気を保っていて、九段昇段の喜びを味わうことができていますので、問題はないのですが......。

こういう健康状態ですので、本人の頭がしっかりしている間に九段を名乗れたことは、本当に嬉しく、この上もないことと感じております。

と、斯様(かよう)に、棋士にとって昇段は嬉しいものなのです(スミマセン、喜びすぎて......)。

というわけで、当コラムは看板を書き換え、「前田八段の~」から「前田九段の〝お目を拝借〞」になりました。

単なる「卵丼」が、その上に「カツ」が新たに乗っかり、「カツ丼」に昇格した当コラム。読者の皆様、これからもよろしくご愛読のほど、お願い申し上げる次第であります!!

【追記】

プロ棋士の段位は四段から九段までで、十段はありません。よって、九段が段位の最高位になります。

九段には錚々(そうそう)たる方々が名前を連ね、その戦績はまばゆいばかり。控えめな性格? の私としては、同じ肩書きを名乗るにはいささか憚(はばか)りがあり、「松竹梅」でいうところの末席、「梅の九段」を名乗らせていただきたいと思っております。「うめのくだん」。音の響きも良さそうだし、これだと「名前負け」することもなさそうです。

ちなみに、「松竹梅」の私的定義は下記ように考えておりますデス。

「松の九段」=順位戦のA級を経験した棋士&タイトルを獲得した棋士。
「竹の九段」=八段昇段後、250勝を挙げた棋士。
「梅の九段」="オマケ"でもらった棋士。

前田九段の〝お目を拝借〞

前田祐司九段

ライター前田祐司九段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。 早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。 決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。

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