前田九段の〝お目を拝借〞第4手「生涯、最高のジョーク」

前田九段の〝お目を拝借〞第4手「生涯、最高のジョーク」

ライター: 前田祐司九段  更新: 2019年05月31日

現在の対局はプロ・アマ問わず静かで、マナーは格段に向上しましたが、私が将棋を覚えたころ、アマの対局ではしょっちゅう地口が聞かれました。「初王手、目の薬」、「取るに取られぬ魚屋の猫」、「百も承知、二百も合点」などなどです。特に、天下の読売新聞、その人気観戦記者の「陣太鼓」先生(山本武雄九段=故人)の観戦記は、これらの地口が随所に散りばめられ、ファンを大いに楽しませていました。

しかし、プロの対局中にこうした地口は発せられないだろうと思っていたのです。ところが、プロの将棋でもけっこう地口は話されるのです。「そうか、そうか、草加・越谷・千住の先よ」、「弱った魚は目で分かる」、「ヤンヤ! 一声、三千両」、「千葉県・市川市・市川・1丁目・1番地・市川・一郎」等々、頻繁に連発されます。

ちなみに、「ヤンヤ!~」は、将棋関係者がよく行く新宿・歌舞伎町の酒場、「すぐき」のことで、カラオケを歌うとすぐ、「ヤンヤ! 先生、素敵!」と声が掛かり、その掛け声が3千円という意味です(勘定に上乗せして3千円取られる)。また、「市川市~」は、市川一郎八段(故人)のこと。市川先輩には次のようなエピソードがあるのです。

ある日、酔っぱらって大トラになった市川先輩は一晩、留置されることになり、警察の取り調べを受けました。そこで名前と住所を聞かれたとき、「ちばけん・いちかわし・いちかわ・いっちょうめ・いちばんち・いちかわ・いちろう」と答えたのですね。ほとんど「いち」と言う言葉の連呼。これを聞いた警察官は酔っぱらいにからかわれたと思い、「テメェ~、ふざけるナ」と激怒。しかし、翌日、名前も住所も本当のことだと判明。警察官は市川先輩に「平謝り」だったということです。

こういう話を対局中にたびたび聞かされていると、たまには気の利いたジョークを一発カマシてやれ、という気分になっても不思議ではありませんよね~。

昭和60年(1985年)の4月にB級1組に上がり七段となった私は、初めてこのクラスの順位戦を戦い、翌昭和61年3月、3勝7敗で最終の11回戦を迎えました。これに負ければ降級が決定。私には勝利しか残留の道はない状況です。

B級1組の最終局とあって、控室である「桂の間」(東京・将棋会館4階)は超満員。あちこちに「継ぎ盤」が用意され、検討されています。

ここで面白いことを一つ。こういう場合の検討は、8対2、あるいは7対3の割合で圧倒的に降級に絡む将棋が人気なのですヨ。これが、我が"将棋村"の住人の特徴なんです。変わっているというか、要は"人が幸せになる事案より、不幸になる事案の方が好き"なのですネ。

というわけで、降級に絡む私の対局は注目の的なんです。

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対局者は控室で検討されていることは知っていますから、局面が煮詰まる終盤は特に、覗きに行く棋士はおりません。それどころではありませんし、どうせ悪口を言っていると思うからです。

しかし、開き直っている私はイタズラ心が生じ、顔を出してビックリさせてやろうと、控室に行くことにしたのです。 まさかくるとは思っていない控室は、慌てて継ぎ盤の局面を崩します。人の不幸を肴に盛り上がっていただけに、皆、バツが悪そうになり、ドンヨリした空気に一変してしまいました。

継ぎ盤は新たに昇級を争うQさんの将棋に変更されます。と、しばらくして誰かが、「Qさんが昇級するかも知れないね」と、ポツリと呟いたのです。Qさんは好人物ですが、言動が過激すぎ、当時は皆に煙たがられ、控室の全員が反Qさん派で、彼の昇級は望んでいません。

なお、この最終局の時点で、昇級は5人が関係しており、Qさんも、私の相手もその中の一人です。両者とも、昇級には勝利が絶対条件となっており、私の相手が(私に)勝てば、Qさんが勝っても上位になる状況でした。また、Qさんが勝っても、もう一人に勝たれてしまうとQさんの昇級はなくなります。

そこで、私は楽しい空気を壊した責任を感じ、罪滅ぼしのつもりでジョークを一発、かましたのです。

「皆さん、ご安心ください。大阪で対局しているQさんの昇級は絶対あり得ません。そンな状況になったら私は、『人間魚雷』になりますから」

つまり、私は自爆して相手が勝つようにする→結果、Qさんの昇級を阻止できる、と言ったのです。

このジョークは大受けに受けました。大爆笑とともに一気に部屋の空気が明るくなり、全員に笑顔が戻ったのです。皆さんの幸せのために我身を滅ぼす=降級の決意表明をしたのですから、そりゃ~大受けしますヨ。人間の行為で一番尊いのは「自己犠牲」ではないのかしらン?

なお、本当に私が人間魚雷になったかどうか、それを問われる状況は生じませんでした。仮に公約を実践しなければならない状況になっても、人間魚雷にはなれなかったでしょうね~。棋士の本能として、やはり勝ちたいですから......。

結局、Qさんは負け、昇級は9勝と8勝を挙げた人がしたのです。

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「将棋マガジン」の人気コラム「対局日誌」

私の発言に、控室にいた河口老師(俊彦八段=故人)は大喜び。当時、彼は、「将棋マガジン」(日本将棋連盟発行の月刊誌。現在は休刊)の人気コラム、「対局日誌」で健筆をふるっていました。

老師は仕事熱心な人で、対局開始の午前10時にはすでに控室でスタンバイし、終局まで詰めていました。原稿の"ネタ集め"に余念がなかったのです。それまでになかったスタイルの「対局日誌」は、身内をはじめ読者からも大評判で、「将棋マガジンは〝対局日誌〞で持っている」と評価されたくらいです。大評判の裏には、地道な取材活動があったわけです。

早速、「人間魚雷」は「将棋マガジン」誌で活字になり、その後、先崎さん(学九段)や小野さん(修一八段=故人)にも原稿のネタにされました。余計なことを言ったため、将棋ファンからは行く先々で、「あなたが人間魚雷の前田さんですか?」と言われ、往生したのです。

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活字となった「人間魚雷」エピソード

えっ? ところで、お前の降級はどうなったかですか? 翌日の午前0時15分、ナンとか勝利し、降級は免れました。初めてのB級1組の戦いは、長かった~!

前田九段の〝お目を拝借〞

前田祐司九段

ライター前田祐司九段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。 早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。 決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。

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