清水市代女流六段がこれまででもっとも印象に残った対局は?【平成の将棋界を振り返る】

清水市代女流六段がこれまででもっとも印象に残った対局は?【平成の将棋界を振り返る】

ライター: 常盤秀樹  更新: 2019年04月04日

平成の将棋界を振り返り、清水市代女流六段に思いで深い対局やその裏話について語って頂きました。

――平成の将棋界を振り返ってみて、清水女流六段がもっとも印象に残った対局、もしくは出来事でも構いませんが、お話頂ければと思います。

第18期女流王将戦三番勝負の第1局をアメリカ・アトランタで行ないました。ちょうど、アトランタオリンピック開催の年で、その直前に行ったので、あちこちでオリンピックの準備を進めている時期でした。

第1局のみならず、このシリーズ自体が印象的でした。全冠制覇(当時は女流タイトルは4つ)がかかっていたシリーズでしたので。多くのマスメディアでもとり上げて頂きましたので、世間の皆様に、女流棋界や女流棋士の存在についても広くアピールすることができ、そういう意味でも良い機会だったと思います。

――海外対局で印象的な出来事は?

私自身、海外が初経験でしたので、とても緊張しました。事前の準備やいろいろ現地のことを調べたりして、多くの時間を割きました。また、現地に到着してからは、時差ボケが酷く、対局中も睡魔に襲われるという初めての体験をしました。その時に、対局(勝負)というのは、盤上だけでなく、それ以外の精神的なものや健康面での管理など、さまざまな要因が影響することが身をもって経験しました。

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アトランタで行われた第18期女流王将戦五番勝負第1局の模様は、月刊『将棋世界』で掲載された。当時のページの一部。撮影:弦巻勝

――フライトは13~14時間程度かと思いますので、体調の調整も大変ですね。

でも、初の海外でアメリカという国のスケールの大きさを感じました。日本という国の良い点も感じてはいましたが、海外はまた違った良さがあり、行ってみないとわからない部分も多くあったと思います。

なんというか心が解放されたというか、それが対局にもいい影響を与えたことになったと思います。

この第1局は、全部で5泊7日でしたが、到着した翌日観光をしました。ただ、先ほども言いましたが、時差ボケの影響で昼間は眠く、夜は寝れないといった感じでした。でも、見るもの聞くもの全てが初めてで新鮮でしたので、特に辛かったといったことはありませんでした。

――このシリーズを3勝2敗で勝って女流王将を獲得し、その結果、女流タイトルを全冠(当時は四冠)制覇することになりましたね。

最終局は、東京の将棋会館で対局でしたが、対局の翌日から生活がガラッと一変しました。取材が多く入ってきて、1日に4~5件は掛け持ちしたり、講演やパーティーがあったりといった状態でした。当時は、よく倒れずにこれらをこなしていたと思います。

――ほぼ同じ時期に、羽生さんが七冠を達成しました。続いて清水女流の四冠達成は、世間一般の将棋に対するイメージを変えたと思います。

新聞や雑誌で女流棋士というものをとり上げて頂いたことで、世間ではそういった職業も存在するということが知れ渡ったかと思います。そしてまた、その記事をみて次の取材が入るといった良い意味での連鎖がありました。羽生さんが七冠を達成されたことも影響がありました。一緒に取り上げて頂いたことも多かったです。『将棋世界』の企画で羽生さんと対談をさせていただきました。実は、羽生さんと対談するのはそれが初めてでしたので、とても緊張した記憶があります。

――四冠達成のパーティーも開催しましたね。

そうでした。羽生七冠のパーティーが帝国ホテルで開催され、女流四冠達成パーティーは東京会館で開催して頂きました。もうあれから20年以上たっているんですね。

――では、もう一つ印象深いことを振り返って頂きますが、それは最近行われた第8期リコー杯女流王座戦ということですが。

久々のタイトル戦ということもありましたが、タイトル挑戦は願ってもなかなか叶うものではありません。日本将棋連盟の常務理事という職務を行いながら、将棋に割ける時間が少なくなっていた中でタイトル戦の舞台に出させて頂いたことは本当に良かったです。ファンの方の応援も今までとは異なってました。

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第8期リコー杯女流王座戦五番勝負第1局対局中の写真。以前も掲載した写真だが、緊張感漂う対局中のふとした瞬間、外の景色に目をやる清水女流六段。この写真は、まさにこれから終盤戦に入ろうかといった15時頃の対局中に撮影したもの。撮影:常盤秀樹

――と言いますと?

以前は、頑張ってタイトルを獲ってください、といったような応援が多かったです。この時のリコー杯女流王座戦では、挑戦者となってタイトル戦に出場して、また(清水女流六段の)将棋が見ることができて、ありがとうございます、といったような内容が多かったです。勝敗はともかく、自分の将棋を思う存分指してください、みたいな感じでした(笑)

――清水女流六段のファンの方は、清水女流六段と共に時間を歩んでいる方が多いかと思いますので、自分自身の人生と重ねて声援を送っているのでしょうね。



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第8期リコー杯女流王座戦五番勝負第3局対局中の写真。里見香奈女流四冠とのタイトル戦は数多く対戦してきたが、この時の対局はいつもと違う気持ちで挑んだという清水女流六段。撮影:常盤秀樹

――タイトル戦を数多く対局してきた中で、その他で印象的な出来事みたいなものはありましたでしょうか?

いろいろとハプニングみたいなこともありましたが、第11期女流王位戦で長崎の五島・宇久島での対局は印象的でした。島をあげて歓迎していただき、対局を終えた翌日に船で出港したのですが、その時におびただしい数の紙テープを投げて見送って頂いたのは、まるで映画のワンシーンのようで印象的でした。

また、大山名人杯倉敷藤花戦でも、倉敷に対局で行く度に、地元のファンの方から「お帰り!」と言っていただけるような繋がりができました。まだまだ他にもたくさんあって、これと言って限定できませんね。



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第8期リコー杯女流王座戦五番勝負の結果は3連敗で久々のタイトル奪取とはならなかったが、ファンの清水に対する声援はこれにとどまることはないだろう。撮影:常盤秀樹

――最後に常務理事として新しい時代の将棋界をどうしていきたいと思いますでしょうか?

将棋を知らない方へ将棋の魅力を伝えていく、ということは、常々思っていますので、引き続きにはなりますが、それについては継続していきたいと思います。また、今の将棋ブームはチャンスでもありますので、全く別の角度から将棋を楽しんでいただく、知って頂くということ、既成概念に囚われない切り口で普及活動ができればと考えています。

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清水市代

取材協力清水市代女流六段

1969年1月9日生まれ。東京都東村山市出身。(故)高柳敏夫名誉九段門下。クイーン名人・クイーン王位・クイーン王将・クイーン倉敷藤花の資格を保持している。タイトル戦登場数は70回、獲得は女流名人10期、女流王位14期、女流王将9期、倉敷藤花10期の合計43期。現在、日本将棋連盟常務理事を務めている。
常盤秀樹

ライター常盤秀樹

日本将棋連盟の職員として将棋界を20年以上見てきた。タイトル戦中継に際してのITインフラの準備や設営に従事。その傍ら、対局写真や棋士、女流棋士の写真も数多く撮影。給料の多くがカメラやレンズ代に消える。

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