佐藤天彦名人が、驚嘆の声をあげた一手とは?「鮮烈さも然ることながら、合理性もあって、勝利に導いた一着」

佐藤天彦名人が、驚嘆の声をあげた一手とは?「鮮烈さも然ることながら、合理性もあって、勝利に導いた一着」

ライター: 常盤秀樹  更新: 2019年04月29日

――平成の将棋界を振り返るということで、佐藤天彦名人に2つを挙げて頂きました。共に羽生善治九段と谷川浩司九段の対局ですね。1つは、平成8年の第9期竜王戦七番勝負第2局、そして、前後しますが、もう一つは、同年の2月に羽生六冠が谷川王将に七冠をかけて戦った第45期王将戦七番勝負第4局についてですね。

はいそうです。

――では、最初に第9期竜王戦七番勝負第2局ですが、終盤に着手された谷川九段の△7七桂を挙げて頂きました。これについて少しお話いただけますでしょうか?

この対局ですが、家でテレビを見ていました。解説を聞きながら自分自身でもどうさすのかな、と考えていたところ、この△7七桂を谷川九段が指されました。当時、私は小学生でしたが、見たこともない筋で、こんな手もあるんだ!と驚きました。まずは、手自体の見た目の鮮烈さも然ることながら、合理性もあって、勝利に導いた一着だと思います。その後の谷川九段の△6八角からの一気の寄せるという素晴らしい寄せだったと思います。

【図1は△7七桂まで】

――当時佐藤名人はまだ小学生でしたが、すでにその手の意味をつかみとっていたわけですね。

既に私は奨励会を受験する前後でしたので、ある程度の棋力はありました。ただ、特にテレビの解説でも言及していませんでしたので、指された瞬間は、驚嘆の声が上がったのを憶えています。今でしたら、ソフトが予測するかもしれませんが(笑)

――なるほど。

とても美しい手だと思いました。7六銀の銀を取り込んでから△7七桂と打てば相手にしてもらえないし、銀を打ってしまうともったいない。桂馬を先に打っておくと同桂には、銀を取ってから7七桂へのあたりが厳しくなる。見た目の美しさと、合理性が非常に高いレベルで一致している手だと思います。そういう意味でも、インパクトの強さだけでなく、当然ですが、深い読みに裏打ちされていることが、とても印象に残っています

――ご自身も多くの対局をされていますが、この対局を挙げられた理由は何でしょうか?

自分自身の対局は、また別物として考えているところがあります。自分がまだ奨励会に入る前の純粋な一将棋ファンとして見ていたころでしたので、特に鮮烈な印象として記憶に刻まれましたことが大きいとも思います。

――実はこの将棋ですが、不思議なことに当時の『将棋世界』を読み返してみると記事としての採り上げはしていないのです。

えぇ!そうなんですか!

――恐らく校了日の関係もあったと思います。

なるほど、竜王戦とは時期が違いますが、確かに名人戦でもそうで、1局目に比べ、どうしても2局目の扱いは小さくなりますね。自分は2局目に勝つケースが多いので、少々残念ですが(笑)

――翌月号で第3局の解説の冒頭部分でこの△7七桂について少し触れています。そこでは、現地の衛星放送の収録の中で、この手が指された時に「おぉ!」という驚きの喚声が上がった、ということが書かれていました。ですので、現地でも△7七桂のインパクトは強烈だったことが窺えます。

どういう立場で見ていたかによると思いますが、プロとして見ていたらまた異なる感じ方があったでしょう。当時は私も谷川九段の将棋をたくさん並べていて、鋭い終盤の寄せに魅力を感じていた時期でもありましたので、まさにこの対局でその神髄を見ることができたように感じました

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佐藤天彦名人

――それでは、もう一つの対局ですが、第45期王将戦七番勝負第4局ということですが、この対局は当時も多くの注目が集まり、報道もされました。羽生六冠が王将を奪取して七冠を達成した将棋です。改めて、佐藤名人にとってのこの1局は、どういう意味があるのでしょうか?

実はこれも衛星放送で見ていました。その前年に同じように七冠をかけ羽生六冠が谷川王将に挑戦し、千日手を含むフルセットで谷川王将が防衛をして、子供心に谷川王将の強さを感じました。ただ、この対局は、こう言っては何ですが、あっけなく見えました。前年に同じような状況で防衛したあの谷川王将が3連敗となり、迎えた第4局は、世間の羽生七冠に対する期待みたいなものが相当にあったと思います。それを前に、さすがの谷川王将もその雰囲気に呑まれてしまうものなのか、と感じました。

将棋も終盤は結構差がついてしまっているのですが、▲6四桂△同歩▲7二角成など本来は相手玉に迫っている手なのですが、淡々と形作りをして、そのあっけなさというのが印象に残っていますね。

【図2は▲6四桂まで】

――将棋自体がやや淡白な感じだったというのでしょうか?

ええ、そうですね。もちろん展開によってどんなに力のある人でもそうなるというのがあり、当時の自分でもそういった理屈は分かっていたような気がするのですが、当時の状況で、さすがの谷川王将でも濁流に流されてしまうかの如く力を出し切れなかった、ということが非常に印象深かったです。もっともその後、先ほど話をしました竜王戦で谷川九段は、竜王を奪取し、翌年の名人戦で名人に復位されるというドラマもあるのですが。

――当時は、世間を含め取材のマスメディアも羽生七冠達成を口こそ出さなかったでしょうが期待していた感じもあったと思います。谷川王将もそういった空気を肌で感じていたと思います。

それは、間違いなく感じていたでしょうね。一度は、羽生さんの七冠達成を阻止し、その強さは別格ですが、翌年の王将戦での4連敗という結果とのギャップ、それが具現化されたのが第4局だったのかなと思います。同時に、あの谷川九段ですら、そうなってしまうものなのかということを感じました。

――まぁ、今でいえば藤井聡太七段が29連勝の記録をつくった時などがそうかもしれません。

そうですね。見ている人たちは歴史が変わる瞬間を見たい、という気持ちがあるでしょうから。

――最後に、改元をまたいで名人戦七番勝負が行われ、平成最後と新しい元号での最初のタイトル戦を戦うことになります。一つの区切りとしてシリーズを戦うことの気持ちはいかがでしょうか?

自分自身の年齢と元号の年数がほぼ同じで、そういった意味では平成と共に歩んできたという実感があります。そういった中で、平成という時代の最後に名人でいることができるのは、素直にうれしいことです。元号が変わり、特別何かが一変するということはありませんが、そうは言っても日本人として気分的に変わると思いますので、しっかりと臨んでいこうと思います。また、平成将棋界を牽引してきた羽生九段の世代との戦いもまだまだ続きますが、新しい元号の時代は、自分より下の世代との戦いが中心となってくるのは間違いありません。元号が変わることは、その区切りとして捉え、今後はそういった世代にも立ち向かっていきたいと思います。

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佐藤天彦名人

このインタビューは、3月に行ったが、奇しくも、その後原稿を頂いた谷川浩司九段のコラムで△7七桂について記されていた。そして更に、この△7七桂が指された第9期竜王戦七番勝負第2局の対局場は倉敷市「倉敷芸文館・藤花荘」であり、今期名人戦七番勝負第3局の対局場と同じである。谷川九段の指した△7七桂と同じ位素晴らしい指し手が現れるような対局を令和となって初めてのタイトル戦でも期待したい。

撮影:常盤秀樹

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取材協力佐藤天彦名人

奨励会時代から将来のタイトルホルダーとして期待され、第74期名人戦で羽生善治名人に挑戦し、名人を奪取。クラシック音楽を聴くのが趣味で、ファッションやライフスタイルにも注目を集める。

「棋才 平成の歩」平成の将棋界を年表・コラムで振り返る特設サイト

常盤秀樹

ライター常盤秀樹

日本将棋連盟の職員として将棋界を20年以上見てきた。タイトル戦中継に際してのITインフラの準備や設営に従事。その傍ら、対局写真や棋士、女流棋士の写真も数多く撮影。給料の多くがカメラやレンズ代に消える。

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