心に突き刺さった谷川九段の△7七飛成。山口絵美菜女流1級が振り返る平成将棋界

心に突き刺さった谷川九段の△7七飛成。山口絵美菜女流1級が振り返る平成将棋界

ライター: 山口絵美菜  更新: 2019年04月24日

私が生まれたのは平成6年。その年に何があったのか?なんとなく気になって調べてみると「ロマンスの神様」が大ヒット、「平成狸合戦ぽんぽこ」が放映されて邦画で一位、トッポやウィダーインゼリーが新商品として世に出たりしていました。ウィダー、私と同い年なのか。将棋界はと言えば、羽生善治先生が次々にタイトルを奪取・防衛して当時は六冠。残る一つである王将を谷川浩司先生が保持。その翌年の平成7年、羽生先生は七冠制覇を達成して空前の将棋ブームが訪れました。あくまで想像ですが、きっと藤井フィーバーの時のような熱狂があったのでしょう。将棋界がノリにノッテいた年、首は座っていても物心はついていない私は東京から宮崎へと引っ越しました。もう少し早く生まれて入れば...あと10年早く、いや、せめて平成元年に生まれていれば...この将棋ブームで将棋に出逢っていたかもしれないのに!ただひたすらにうらやましい。もしもタイムマシーンができたなら、この時期の将棋イベントに潜り込みたいと思うくらいにジェラシーを感じています。

将棋のしの字も知らずにすくすくと育った私は小学4年生になりました。平成16年のこと。家で見た「ハリーポッターと賢者の石」に出てくる等身大の自ら動くチェスがきっかけで、我が家は空前のチェスブーム、そしてボードゲームブームがやってきました。家族で対戦していく中で、「ジャパニーズチェスだよ」と父が取り出してきたのが将棋盤。そこからあっという間に将棋のとりこになった...のは弟だけで、私は何が面白いかわからずじまい。一人将棋に黙々と打ち込む弟を冷めた目で見ていました。当時指した将棋の思い出といえば、手加減をして指してくれている父が「今はチャンスが来てるよ」と教えてくれて、角をただで取れたくらいのもの。角の価値もわからず、角を取って何になるのかと、あまりピンとこず...翌年の平成17年に近所に将棋道場ができ、冷めていた私もとうとう将棋を始めることになるわけですが、その理由は「月謝」。道場の一人で通うと月3000円、二人で通うと4000円という破格の価格設定と「一人も二人も送迎の手間は一緒」という両親の押しに負け、気が付けば私も弟と一緒に週6日将棋道場に通い詰めるようになっていました。もっとドラマチックな出逢い方をしたかった...そんな平成16年は瀬川晶司先生がプロ編入試験を受けた年。『将棋世界』や今は休刊している『週刊将棋』を読みながら、ようやく私の「平成の将棋史」の始まりです。

ある日のこと。将棋道場にたくさんの段ボールが届きました。箱を開くと、そこにはびっしりと詰められた『将棋世界』。平成7年1月号からのバックナンバーが入っていました。「後進の育成のために」と寄付されたそれを本棚に並べるのを手伝っていると「これに載ってる棋譜を全部並べたら三段をあげるよ」と道場の先生が一言(※段位認定の資格を持っている先生でした)。私は当時アマチュア5級。ハートに火が付いた平成7年1月号から怒涛の勢いで棋譜を並べ始め、平成の将棋史をなぞり始めました。初めの号には升田幸三九段の奥様の手記が掲載されていた記憶。観戦記やコラムもくまなく読み(当時は棋士や女流棋士のコラムがよく載っていました)、一局ごとに対局者や棋戦名、手数や戦型、対局場までまめにメモして記録を残していました。心折れそうになりつつも、平成14年までは全部並べたような。早く三段をもらいたい一心で高速で並べてしまったせいで、内容を覚えている棋譜がほとんどないことが残念でなりません。

それでも、心に突き刺さっている一局があります。最終手は△7七飛成で、それを指したのは谷川先生。ほかの配置で思い出せるのは▲6八玉・7八銀、△3七と。最終手△7七飛成に感動したことと、わずかばかりの局面の情報が思い出せる限界で、あとは棋譜データベース頼み。条件や局面を入力し、願いを込めて検索してみると、該当する将棋が一局ヒット!記憶が間違っていなくてよかった。ヒットしたのは平成12年6月9日にホテルニューアワジで行われた棋聖戦五番勝負第一局▲羽生善治四冠△谷川浩司棋聖(いずれも肩書は当時)

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第71期棋聖戦五番勝負第5局 撮影:中野英伴

終盤の鮮やかさに思わず投了図を図面用紙に書き起こした覚えがあります。投了図以下が即詰みだったので、それに似た詰将棋を作ろうと試行錯誤して、初めて詰将棋を創作するきっかけにもなった将棋。きっと、並べていてもちっとも意味は分かっていなかっただろうけれど、指した瞬間の感動は理解を超えた鮮やかさがありました。

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第71期棋聖戦五番勝負第5局 撮影:中野英伴

きっと次の元号に代わっても、そんな将棋が、たくさんのドラマが、盤上で花開くのでしょう。将棋界にあこがれる人間として、ある種傍観者のような立ち位置で過ごした時期が長かった平成の時代。女流棋士という立場で迎える次の時代は、私も将棋史とともに歩みを進めていきたいものです。

「棋才 平成の歩」平成の将棋界を年表・コラムで振り返る特設サイト

山口絵美菜

ライター山口絵美菜

1994年5月生まれ、宮崎県出身の女流棋士。2017年に京都大学文学部を卒業し、在学中に研究した『将棋の「読み」と熟達度』を足掛かりに、将棋の上達法を模索している。
将棋を覚えるのが遅かったため「体で覚えた将棋」ではなく「頭で覚えた将棋」が強くなるには?が永遠のテーマ。好きな勉強法は棋譜並べ。

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