兄が辞めたことが転機。「強い人と指したくて奨励会に入った」【注目の若手・稲葉八段インタビュー vol.2】

兄が辞めたことが転機。「強い人と指したくて奨励会に入った」【注目の若手・稲葉八段インタビュー vol.2】

ライター: 池田将之  更新: 2017年01月25日

前回は、稲葉陽八段の少年時代について語っていただきましたが、今回は奨励会に入会した頃の話についてインタビューしました。現在活躍している稲葉八段も入会した当初は、その世界の厳しさを知り、辛酸を舐めたようです。

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 ーー奨励会には、いつ頃から入りたいと思うようになりましたか?

「兄や船江(恒平五段)君が奨励会に入っていたということもありますし、『強い人と指したい』という気持ちが強かったと思います」

 ーー奨励会試験の思い出はありますか?

「受験者同士の一次試験を突破し、現役の奨励会員と対戦する二次試験で糸谷(哲郎八段)君に勝って合格を決めました。それが彼との初対面でした。ぼくが優勢になると対局中にわんわん泣いていたのが印象に残っています」

 ーー奨励会入会から約半年後、兄の聡さんが奨励会を退会しました。

「それまではアマチュアの延長上のような感じで奨励会にいました。兄が奨励会を辞め、奨励会の厳しさや、漠然とした気持ちではプロになれないんだなと思いました。そこからちゃんと勉強するようになり、四段を目指すことへの土台ができたと思います」

 ーー昇級昇段を重ねて三段リーグに入りましたが、1期目は5勝13敗でした。

「5勝しかできなかったのは将棋をやってきて、いちばんのショックでした。堪えましたね。関西勢には全敗。関東勢には指し分けでしたが、感想戦で話についていけないことが多く、もっと序盤を勉強しないといけないと痛感しました」

 ーー2期目は13勝5敗。成績が入れ替わりましたが、惜しいところで昇段を逃しました。

「2期目はそれくらい勝ってやるという気持ちでやっていました。早く起きて学校に行くまで研究し、タイトル戦の記録係を務めるなど、勉強量を増やしました。13勝できたことで自信はつきましたが、昇段を逃したのはショックでした。将来、よい経験になるだろうと言い聞かせてはいましたけど」

 ーーそれからも常に10勝以上を挙げていましたが、昇段を決めたのは6期目でした。三段リーグの怖さはどこにありましたか?

「コンスタントに勝っていて自信があるはずなのに上がれない。期を重ねるにつれて『このまま四段になれないんじゃないか』という気持ちを持つようにもなりました。昇段を決めたときは、人並みですけどホッとしました」

現在活躍中の稲葉八段でも三段リーグ在籍中は、不安や心配な気持ちだったということは、プロ棋士になるには、いかに厳しい道程かということがうかがえます。次回は、プロ棋士となってから今までを振り返って、自分自身の将棋や勝負について語っていただきます。

取材協力稲葉陽八段

2000年に6級で井上九段に入門。2008年に四段。2016年に八段。2013年の第21期銀河戦で優勝。2017年の第75期名人戦でタイトル初挑戦。

稲葉八段インタビュー

池田将之

ライター池田将之

2010年からフリーライターとして活動開始。2015年まで将棋連盟モバイル中継記者。現在は新聞社に観戦記、将棋世界で「関西本部棋士室24時」などの記事を執筆している。

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