ライター前田祐司九段
『前田九段の毒にも薬にも......』その3「斬るデェ~」
ライター: 前田祐司九段 更新: 2026年01月25日
正確な日時は忘れてしまいましたが、東京・将棋会館で"立てこもり事件"が起こったことがあり、今回はその一席です。
棋士は皆、口は達者ですが、腕っ節の方はからきしダメ(最近は数人、豪腕の持ち主もいるカナ?)。ですから、対局に勝ったとき、負けて悔しい相手から殴られる心配はありません。まっ、当然ですがネ。極めて平和で楽園の世界ですが、ある時、野獣が襲来し、"大変とは大きく変わること也"となったのです。
その前に、イントロダクションを......。
昭和55年(1980年)から始まった、「大山十五世名人と行く将棋の旅」という、13年も続いた企画がありました。
天下の大山名人(康晴十五世名人=故人)と一緒に船旅(往路は船、復路は飛行機)ができるとあって、毎回、大勢のファンが参加し、企画は大当たり。旅行会社は大儲けしたはずです。
それはともかく、第1回から皆勤賞というファンがおりました。私の知っているかぎりではお二人です。お一人は東京、もうお一人は広島からの参加。
東京のお人は、詰将棋作家としても有名なAさんで、将棋界はかなりお世話にもなっていました。広島のお人は将棋も強いのですが、"豪腕"で名を馳せていたBさんです。
Aさんは東京ということもあり、大山名人と懇意。Bさんは広島在住ということもあり、一部の人にしか"豪腕"ぶりは知られていません。

そのお二人に共通しているのは、素面(しらふ)のときは温厚な紳士ということ。また、お酒を召されるともう一人の人格が現れる、ということです。元雑誌社の社員でAさんの"お酒のお守り役"をしていたある人によると、Aさんが酔っぱらったときの口癖は、「君を消すのは簡単だよ。マカオから殺し屋を500万円で呼ぼうか?」だそうです。私は臆病で弱虫ですから怖い思いはしたくないので、極力、お二人の近くには行かないようにしていました。特にBさんはとてもとてもワイコ~(=怖い)な人で、私が22歳のときにお会いし、酔ったBさんに散々、絡まれ、往生した経験もあります。後年、顔を合わせたとき、「前田君、あの時はすまんかったノ~」と謝ってくれましたが......。
ちなみに、数回目の旅行のとき、東の酒乱・Aさんと、西の酒乱・Bさんをわざと相部屋にしたことがありました(誰がそんなイタズラを考えたか、今となっては分かりませんが)。「毒には毒を以って制す」という効果を期待したのと、「龍虎、相搏(う)つ」とばかり、両者の大ゲンカを見たかったのでしょうネ。しかし、龍虎はお互いに牽制し合い、残念ながら戦いは起こらなかったのです。酒乱とはいえ、絡む相手はしっかり選んでいたわけです。それが証拠に、10数年におよぶ旅行で、お二方が大山名人に絡んだことは、ただの一度もありません。
前置きが長くなりましたが、そんなBさんがある時、東京・将棋会館4階にある「桂の間」に理事を2人、人質に取り、3時間ほど立てこもったのです。理由は今でも分かりませんが、相当酔っぱらっていたようで、日々の鬱憤、また、将棋界への不満もあったのだと思います。
内側から鍵を掛け、大トラになったBさんは、「斬るデェ~斬るデェ~」と恐ろしい声を響かせていたといいます。これは、「カミソリで、喉笛を掻っ切ってやるケンの~!」という意味。Bさんはいつも、床屋さんでヒゲを剃るときに使うような二つ折りのカミソリを持ち歩いていましたので、この話を聞いたとき、私は即座に"斬るデェ~"の意味を理解しました。なんといっても"豪腕"ですから......。
幸い将棋会館に血の雨が降るようなことはなく、立てこもり事件は無事、収まったとサ、となりました。
しかし、当然、この件は棋士総会で取り上げられ、追及されたものの、大きな問題にはなりませんでした。昭和の時代は「酒のうえの失敗には寛容」だったのと、事件の前までは"フンぞり返って威張っていた"2人の理事様も、以来、すっかりおとなしくなったからです(よっぽど怖い思いをしたんでしょうネ??)。












