『前田九段の毒にも薬にも......』その2「地獄の太鼓」

『前田九段の毒にも薬にも......』その2「地獄の太鼓」

ライター: 前田祐司九段  更新: 2026年01月18日

 皆さんは対局していて優勢な局面になると、自然に鼻歌が出てきませんか? 私の場合は脳内で、決まって音楽が聞こえていました。本当は声に出して歌いたいのですが、まさかそれはネェ~。相手を怒らせてもしまうし、できませんよネ。
 私が若くて元気いっぱいだったころは駒が躍動し、一升しか進めない"歩"であっても、香車のように一気に二升も三升も前に進むようなイメージがありました。すべての駒がイナセなおアニイさんよろしく"肩で風を切って歩く"ように、どんどん前に進むものですから、対局も楽しくて仕方なかったのです。
 で、局面が優勢になると、その時、なぜか決まって脳内に歌が響いてくるのですが、それは「ローン・レンジャー」という曲の場合が多かったのです。

 ローン・レンジャーと言っても、"住宅ローン"のローンではありませんヨ。現在、67歳以下の人にはピンとこないかも知れませんが、元は1930年代にアメリカのラジオで放送が始まった西部劇を題材としたドラマ。日本ではテレビ版の放送が1950年代末から始まりました。黒い仮面を付けた主人公、ローン・レンジャーが、その愛馬(白馬)「シルバー」にまたがり、無法者をやっつけにいくというドラマで、日本では馬にまたがる様からアメリカ版「鞍馬天狗」として親しまれました。馬にまたがり発進するときの掛け声が、「ハイヨー、シルバー」。こう言えば、思い出す人も多いのではないでしょうか(これが日本では有名なセリフになりました)。なお、「ローハイド」とお間違いないように。

 さて、ローン・レンジャーの歌━━それはイタリアの作曲家、ジョアキーノ・ロッシーニが作った「ウィリアム・テル序曲」(オペラ、「ギョーム・テル(ウィリアム・テル)」の序曲)がテーマ曲になっていました。♪タ~ンタカタ~ン タカタッタ~#と文字で書いても分かりませんよね~。ローン・レンジャーはYouTubeでテレビ番組も見られますので、それで聴いてみてください。

 私の子供のころはこのローン・レンジャーのテレビが大人気でした。そのオープニングで仮面のヒーロー、ローン・レンジャーが白馬にまたがり、片手でピストルをぶっ放しながら小高い丘を目指して駆け上がります。そのBGMが「ウィリアム・テル序曲」。勇壮なトランペットのファンファーレが鳴り響き、「ハイヨー、シルバー!」の掛け声とともに発進するのですが、その馬の足音と、曲の♪タカタッタ~タッタッタ~#がシンクロし、少年だった私の心もタッタタッタと踊ったものでした。

 今、考えてみると、私は子供のときから今日まで、景気のよい音楽が大好きなのですね。それは、まったく変わっていません。ちなみに今のお気に入りは、歌劇「カルメン」の第1幕への前奏曲(闘牛士)です。

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 ところが、四十路を過ぎた辺りから、対局中に景気のよい音楽はパッタと聞こえなくなりました。そのころになると、"新進若手棋士"と呼ばれたのはとうの昔となり、いつしか"ベテラン"と呼ばれる領域に入っていたのです。

 "〇歳はお肌の曲がり角"という言葉がありますが、40歳前後は棋士にとっての曲がり角かもしれません。実際、男性は数え歳で42歳は厄年ですからね。

 そのぐらいの歳になると、棋士は「強豪棋士」と呼ばれる人、また、「ベテラン棋士」と呼ばれる人に分かれる気がします。「強豪棋士」とは、「いくつになっても衰えが見られず、強さを保っている人」のことで、「ベテラン棋士」は「めっきり年老いて、棋力が衰えた人」という意味です。四十路を過ぎ、私は「ベテラン棋士」と呼ばれるようになっていきました。

 対局すればだいたい勝てる相手="お得意さん"だった先輩棋士の多くは引退し、代わりに増えたのが元気いっぱいの若手棋士。私は、自身の気付かないうちに"狩る側=ハンター"から、"狩られる側=獲物"になっていたのです。

 そんな私に対局中、聞こえてきたのは、「ウィリアム・テル序曲」に代わって「太鼓の音」だったのです。

 そのころの私の将棋は、だんだんと負けが込んできていました。とはいえ、若手棋士が相手でも、たまには優勢な局面になるときもあります。ところが、例えば夕食休憩後、対局が再開すると決まって、徐々に雲行きが怪しくなっていくのです。逆に、それまでうなだれていた若手棋士の顔は、心なしか元気を取り戻してくるように見えました。そうなると、どこからか脳内に太鼓の音が響いてくるのです。

 その音は横溝正史の小説よろしくオドロオドロしたもので、まるで地の奥底から響いてくるような音でした。ドン、ドン、ドンと初めはゆっくり響いてくるのですが、ジョーズの映画のようにだんだん速く、そして音量(怨霊)も高まっていくのです。そればかりか、音に加え、今度は"絵"も付いてくるようになり、死に神が手招きをしている情景も同時に浮かんでくるではありませんか。ヒェ~!! クワバラ クワバラ!! どうかお代官様、お許しを~!!
と、祈るのですが、それらは消えることはありませんでした。当然、将棋は負けでしまいます。

 私はこれを『地獄の太鼓』と名付け、その後、四国巡礼の旅に出たのでした......というのは筆の走りすぎですが対局中に気になっていたのは事実です。

 しかし、まったく収まる気配はなく、当初、小さかったその響きも、年齢を重ねるたびに音量(怨霊)は増していきました。

 長年の体験から言えることですが、初めから旗色の悪かった将棋を負けるのはそんなに身体に堪(こた)えません。一番堪えるのは、勝勢だった将棋を負けること。例えば、それまで完璧な演技をしていた体操の選手が着地で失敗し、尻餅をついてすべてを"オジャン"にする光景を思い浮かべてください。これは堪えますヨ。

 それと似たように、年齢的に"ナニをやっても勝ち"、あるいは"こちらが優勢"という時期を過ぎて"着地"の年代になると、"ナニをやっても負け"また、"最初からこちらが不利"という状況になるようです。ただしソレ、知らず知らずにやってくるのですね。で、気付かないまま、ズルズルとそのぬかるみにハマって、いつしか浸(つ)かりっ放しとなって、オジャンになるというわけです。

 歳を取ると勝てなくなるのは、将棋の世界に限らず"勝負の定跡"(一部の強豪棋士には当てはまりませんが...)。世の中は順送りなのでしょう。

 四十路を過ぎてしばらく経って、「歳を取るというのはこういうことか。なるほどネェ~」と、先に引退していった先輩方の気持ちを理解したのでありました。

 なお、引退してからは、ピッタッと太鼓の音は聞こえなくなりました。

前田祐司九段

ライター前田祐司九段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。 早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。 決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。

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