前田九段の〝お目を拝借〞第12手「非常識が常識」

前田九段の〝お目を拝借〞第12手「非常識が常識」

ライター: 前田祐司九段  更新: 2020年04月16日

令和2年も卯月4月。それも、もうすぐ皐月。月日の経つのはホント、速いものです。新型コロナウイルスの脅威はまだ去らず、その心配は月日の件とは逆に、早く過ぎ去ってほしいものと思っております。いつまでも家にジッとしていては、ストレスが......。

さて、世間ではいろいろ問題が生じますが、棋士生活も長く送ってくると、不測の事態が起こるもので、今回はそんなお話です。

アマチュアの人からよく受ける質問の一つに、「棋士は長い時間、駒を動かさずにどうして盤の前に座っていられるのでしょう?」というものがあります。

ひと言で言えば〝慣れ〞ですね。駒は動いていないものの頭はフル回転し、数10手先の局面がいくつも頭の中に浮かび、目の前の将棋盤に映ります。これは、小さいときから将棋ばかりやっているからで、自然と身体が覚え、黙っていても頭の中で駒が動くようになるためです。つまり、〝慣れ〞ナンです。

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ところが、棋士生活も20年を過ぎ、年代も四十路になってくると、突如、回路が乱れ、盤面が消えてしまうのです。これはヘボ棋士の私だけに起こることかもしれず、羽生さんをはじめとした一流棋士には生じないのでしょう。 それでも、盤面が消えるだけなら再度、集中のしようもあるのですが、40歳代になったある時、消えたあとにすぐ、「晩酌セット=生ビール、焼き鳥、枝豆、お新香」が現われたことがありました。これがまた、鮮やかな絵で、とてもリアルだったのです。

時刻は確か午後5時を回ったところ。一般のサラリーマンの世界ではそろそろ仕事が終わり、同僚を誘って飲みに行くころといえます。しかし、我々の業界では当時、午後6時10分からが夕食休憩。その後も対局は続くのです。また、(今も)対局中にアルコールの摂取は許されていません。対局の日は、体がそれを知っているのですが、その日は私の気持ちのどこかに、「飲みたい」という思いがあったのかもしれませんネ。

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それにしても不思議な現象です。私は一瞬、目がおかしくなったのかと思い、眼鏡を外し、目をこすりました。すると盤上から晩酌セットが消えたのです。やれやれと思って再度、盤上に目をやったのですが、ナンと、またも見えるではありませんか! しかも、さっきよりもっとリアルで生ビールの瓶に付いた水滴がシズル感を伴って迫ってきたのです。さらに、さっきはなかった「冷や奴」まで付いてきました。手を伸ばせばすぐ、つかめるような感じです。

私は確かにアルコール類は大好きですヨ。でもネ、対局中にそれを思ったり、いわんや絵として見えるナンてことは、これまで一度もなかったのです。

B級1組から降級して早いもので5年が過ぎようというころ。クラスはB級2組に甘んじていますが、まだまだやれるつもりだったものの、こういう現象が起こると、否応なく〝歳〞を感じました。


それを境に勝てなくなったのですが、これはたぶん脳味噌が弱ったからでしょう。

一局の将棋に勝つには、朝から深夜まで働き続ける〝強い脳味噌〞が必要です。将棋指し仕様にできている私の脳味噌は、(1)将棋(2)お酒(3)カラオケ(4)麻雀の四つから成っており、場面に合わせて切り替わります。例えば(1)のチャンネルになると、朝から深夜までずっと、将棋専門の放送になるという具合。ところが脳味噌が弱り、スタミナ不足を起こしたのか、はたまた長年の飲酒で軽度のアルコール依存症になったのか、四十路に入ると夕方、私の脳味噌は自動的に(2)のお酒のチャンネルに切り替わるようになったのです。


では何故、脳味噌が弱るのか? もちろん加齢の問題が第一ですが、ほかにもう一つ、歳とともに「常識を知ってくる」からだと思っています。つまり、常識で将棋の諸々を判断しようとするのです。言い換えると、〝常識(教養)が邪魔をする〞ようになるワケね。

若いうちは毎日が将棋漬けで、明けても暮れても将棋。常識どころか、ほかのことを気遣う気持ちはありません(しません)。しかし、それでも世間は、「若いから」とまだ、大目に見てくれます。

ところが、歳を重ねてくると周囲の見方は変わり、「なんだアイツ、偉そうに」と、白い目で見られるのです。例えば、私の子供が小学生のとき、PTAの集まりがあり、昼食時に喫茶店に入ったのですが、皆さんはコーヒー、私はビールを注文。当時、昼間のビールは市民権がなく、父兄さん方は私に対してよそよそしい態度になっていきました。私はこの時、常識とか気遣いということを教えられ、覚えたのですが(少し遅いかナ)、なんとなく、「将棋指しの常識は、世間とだいぶ違うナァ~」と感じたのです。

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ただ、世間の常識は将棋指しにとって百害あって一利なしといえる気がします。定跡を覚えると将棋は強くなりますが、「常識を覚えると将棋は弱くなる」というのが私の持論。

常識を持ち合わせていない脳味噌からは、奇手・妙手・鬼手の類が湯水のごとく湧き上がり、決して枯れません。 と、このように言うと、格好良く聞こえますが、これは誇張ではなく、プロ棋士には誰でも当てはまること。よって、プロから見れば奇手などは、「いつものように、将棋指しの常識をもって普通の手を指しているだけ」となります。

常識は、法律などで規制できない、人間社会の営みをつくる(モラルの底辺をつくる)大切な要素。しかし、将棋界では「強い人ほど常識の持ち合わせが少ない」と感じています。もちろん、ごくごく少数ながら羽生さんのように〝常識があって強い〞棋士もいます。「常識は社会生活の運転技術。定跡は将棋の運転技術」。棋士にとってその両立は至難の業なのです(でも、羽生さんは50歳を過ぎても、晩酌セットは現われないことでしょう)。

前田九段の〝お目を拝借〞

前田祐司九段

ライター前田祐司九段

1954年3月2日生まれ。熊本県出身。アマ時代から活躍し、1970年、71年と2年連続でアマ名人戦熊本県代表として出場。1972年に4級で奨励会入会。1974年9月に四段となり、2000年9月に八段となる。 早見え、早指しの天才肌の将棋で第36回NHK杯では、谷川棋王、中原名人を撃破(※肩書きは当時)。 決勝戦で森けい二九段を千日手の末、勝利し棋戦初優勝を飾った。2014年6月に現役を引退した。

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