羽生善治九段が語る、大山康晴十五世名人との対局。米長邦雄永世棋聖も加わってガチンコ勝負の感想戦【平成の将棋界を振り返る】

羽生善治九段が語る、大山康晴十五世名人との対局。米長邦雄永世棋聖も加わってガチンコ勝負の感想戦【平成の将棋界を振り返る】

ライター: 羽生善治九段  更新: 2019年03月26日

「坊や、今日は対局かい?」四段に昇段してプロとして将棋会館に行った時に米長(邦雄永世棋聖)先生からよく挨拶代わりにこの言葉をかけて頂きました。

奨励会時代にあまり記録係を務めておらず、公式戦の雰囲気をよく知らないまま、四段になってしまったのでその言葉でだいぶリラックスする事ができました。

また、同時に大変な世界に来てしまった実感もありました。

当時はインターネットも無かったので棋士の名前と顔を知るのは将棋年鑑のプロフィールぐらいだったのですが、そこに掲載されていた写真も一部の人は長きに渡って更新されておらず、対局で顔を合わせて始めて実像を知る事もありました。それを考えると現代とは隔世の感があります。午前中の対局室はとにかく賑やかでほぼ、世間話で終わってしまう事も多く、持ち時間の長い対局が多かったこともあり、お昼休み明けから本格的な対局が始まる感じでした。

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第2期竜王戦決勝トーナメントでの模様。羽生はこの期に挑戦者となり、島竜王と七番勝負を戦い、4勝3敗1持将棋で竜王を奪取した。(写真は「将棋マガジン」より)

雑談の様々なエピソードは河口俊彦(八段)先生の「対局日誌」で紹介をされていますが、かなり話題を選りすぐって書かれていたことに後になってから気が付きました。

中原(誠十六世名人)先生や加藤(一二三九段)先生と始めて対局をした時にも緊張をしましたが、特別に印象に残っているのは大山(十五世名人)先生との対局です。

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大山康晴十五世名人との対局

大山先生の晩年の時期ではあるのですが、盤の前に座った時の貫禄と威圧感は半端ではありませんでした

また、いつも細かい工夫をされていて毎局、とても勉強になりました。

第1図は平成元年12月22日の第15期棋王戦の序盤戦の局面です。

【第1図は△7二飛まで】

今では滅多に見ないツノ銀中飛車に私が急戦を目指したところで、元気よく▲4五歩と仕掛けたのですが△7五歩とされてみると困ってしまいました。予定の▲4四歩△同角▲同角△同銀▲4一角は△5四角でうまくいきません。

5筋の歩を保留しているのがミソで、すでに術中に嵌っています。この後も終始、手厚く指されて第2図で私の投了となりました。駒損ですし、指せばまだ40手くらいは続きそうですがチャンスは無いと判断しました。

【第2図(投了図)は△7五銀まで】

終局後、感想戦が始まったのですが隣で対局をしていた米長先生は私が早く投げたのに釈然としなかったのか私の方の指し手を色々と指摘して下さいました

こうなると大山―米長戦の感想戦という感じで私は駒操作係に徹したのですが、感想戦でもガチンコ勝負という感じでかなり怖かったです。

盤外で様々な出来事があったのは平成の始めぐらいまでだったと記憶しています。

昨今の対局室はいつも静かで私語も憚られる雰囲気ですし、感想戦も落ち着いてあっさりと終わるようになりました。文字通り、平らに成った時代だったと思っています。

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羽生善治九段

ライター羽生善治九段

将棋界のトップ棋士として活躍中。タイトル獲得数99期、一般棋戦優勝回数45回。2017年12月、史上初の永世七冠の資格を得る。

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