奨励会を辞めるつもりだった。山本四段が猛者に揉まれた奨励会時代を振り返る【新四段インタビュー 山本博志四段前編】

奨励会を辞めるつもりだった。山本四段が猛者に揉まれた奨励会時代を振り返る【新四段インタビュー 山本博志四段前編】

ライター: 渡部壮大  更新: 2018年12月25日

2018年10月1日に新しく二人の棋士が誕生しました。今回はそのうちの一人、山本博志新四段に将棋を始めたきっかけや奨励会時代についてのお話を伺いました。奨励会時代で一番思い出に残っている対局も山本四段の解説付きでご紹介します。

増田六段や近藤五段と同リーグ。猛者に揉まれた奨励会時代

──将棋を始めたきっかけはなんでしょうか?

小学1年生の時に親がオセロのための盤を買ってきまして、その裏が将棋盤になっていました。それで興味を持つようになりました。父はアマ5級くらいの棋力で、最初は十九枚落ちでも負けましたね。

──当時はお父様がブログで将棋の様子を書かれていましたね。

道場や教室、大会の遠征に行くなど当時は楽しいことしか書かれてないですね(笑)。僕が奨励会に入会すると同時にブログは休止になりました。

──奨励会生活はいかがだったでしょうか。

奨励会試験には落ちたのですが、すぐに研修会から編入し、中2の1級までは順調に昇級することができました。ただ、そこで壁にぶつかって2級に落ちることになってしまいました。当時の1級には10代前半の増田康宏1級近藤誠也1級梶浦宏孝1級佐々木大地1級と並んでいたので、今思うと地獄の1級リーグなんですけど。

――その後は順調に昇級していったのでしょうか。

いえ、実は3級から4級にも一度降級していまして。プロになった人で2度も降級した人はかなり珍しいんじゃないかと思います。最初の降級はたまたま2勝8敗を2度続けてしまったという感じで、落ち込みはしましたがすぐに3級に戻り、2級に上がったのでその時はたいしたこともありませんでした。

ただ、2度目の降級の時はそのまま2級で停滞したので落ち込みました。2級に落ちるとかなり後に入ってきた4級の知らない子とも手合がついたりで。降級してさらに降級の可能性が出てきたときはもう続けるのはつらいと思い、師匠に会いに行きました。

本気で奨励会を辞めるつもりだったのですが、師匠に「もったいないと思うよ」と引き止めてもらって。つらかった時期だったので、その言葉がかなり救いになりましたね。

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──師匠の言葉で踏みとどまったのですね。

それからは初段までの期限を決めることにしました。二度目の2級は長かったのですが、1年後にようやく1級に戻ることができました。それから少しして期限の前に初段になれたのですが、その時は嬉しかったですね。せっかく初段になれたのだから、奨励会を続けてみようと前向きな気持ちにもなれました。

ただ、その後に体調を崩してしまい、高校に行くのもつらいくらいでした。家に帰るとずっと横になっているような状態です。しかし、それまでは毎日学校帰りに友達と遊ぶような生活だったので、体調を崩した結果、将棋の時間だけは増えましたね。普通に勉強できるような体調ではなかったので、横になってスマホで局面を並べながら研究をしていました。その状態になって、はじめてプロを志す人間の勉強量になったと思います。この時期の三間飛車の研究が、今の自分の土台になっていますね。大学にも行くつもりだったのですが、体調のこともあって進学はできませんでした。

──大変な生活だったのですね。今は体調の方は大丈夫でしょうか。

少しずつ良くなって、現在は落ち着いています。二段には約2年間いましたが、連敗することがほとんどなく、楽しい時期でした。この時期は色々な戦法を指していましたね。

三段リーグは厳しいところと聞いていましたが、実際に戦ってみてその重さが分かってきました。わくわくしながら臨んだ1期目は7勝11敗で厳しさを味わいました。2期目こそ11勝をあげて自信になりましたが、3期目、4期目と8勝に終わった時はつらかったですね。ただ、三段リーグは厳しかったですが、対局そのものには充実感がありました。

奨励会員では異例の棋書出版が好調のきっかけ?

──プロになれなかったら、ということを考えたことはありますか。

それはありますよ。奨励会を辞めたら、というのは考えてしまいます。ただ、自分の場合は実家暮らしで、辞めてもすぐに食べることに困ることはないだろうなと楽観的な気持ちでした。もし将棋から離れることになったら小説を書いてみたいかなとは思っていました。

──三段リーグ時代には師匠と共著で「三間飛車新時代」を執筆されました。共著とはいえ、奨励会員が将棋の本を出版するのは異例のことですよね。

師匠には対等の立場でやろうと言っていただきました。奨励会員の立場で本を出版するのは批判などされるのも覚悟していましたが、いざ本が出版されると好意的に受け取っていただき、今まで以上に多くの方から応援してもらえるようになりました。それまで奨励会員という立場を続けてきて、はじめて陽の目を見ました。「絶対にプロになるぞ」とエンジンが掛かったきっかけにもなりました。

──その状態で迎えた第64回三段リーグは序盤から好調で、最終日は1勝すればという状況でした。最終日を迎える前の心境は。

前日は眠れなかったですね。1勝すればという状況でも、1つ負けたら後がなくなりますし。午前中の1局目を負けた後は、弁当を食べる気にもならず近くのカフェでぼーっとしていました。最終戦は競争相手と同門の方で、相手の気迫を感じましたが、何とか勝つことができました。

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奨励会時代の思い出の一局

──奨励会時代の思い出の一局を教えていただけますか。

第58回三段リーグ戦16回戦の佐々木大地三段戦です。この将棋は三段リーグで唯一の横歩取りになりました。

【第1図は▲7七桂まで】

後手が私で、先手が▲7七桂と跳ねた局面です。ここから△5二玉▲7五歩△4二玉とするのが当時山本流と言われていた進行です。善悪は微妙ですが(笑)。以下は50数手目で双方秒読みになる力の入った将棋になりました。

【第2図は▲5三桂成まで】

飛車を押さえこんでいることもあり、攻めを切らすことができそうだと思っていました。△5二歩▲同成桂△4四歩と進み、▲3四銀なら△3三歩で受けきれます。しかし△4四歩に▲5四歩が銀を見捨てる勝負手。△5一歩▲3四桂△5二歩▲2二桂成△同玉▲5五角と進んでまだまだ熱戦が続きます。

【第3図は▲5五角まで】

ここから△7七歩成▲同金△3八角成▲同玉△5六金と攻めて食いつきました。相手も一番負けを覚悟した局面と言っていて、優勢になったはずなのですが、この後は決めきれませんでした。

二転三転の熱戦で200手を超え、負けはしましたが力を出し切れました。相手はこの星が生きて最終的に四段昇段を決めたこともあるので、より印象深いです。

 

今回は苦しみながらも駆け抜けた奨励会時代のお話を伺いました。次回は師匠やライバル、目標とする棋士について語っていただきます。

新四段インタビュー

渡部壮大

ライター渡部壮大

高校生でネット将棋にハマって以来、趣味も仕事も将棋な人。
将棋の月刊誌、週刊紙、書籍などの編集部に在籍経験あり。
アマチュア大会の最高成績は全国ベスト16だが、もう少し上に行けないかと日々努力中。

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