ライター渡部壮大
将棋の月刊誌、週刊紙、書籍などの編集部に在籍経験あり。
アマチュア大会の最高成績は全国ベスト16だが、もう少し上に行けないかと日々努力中。
ライター: 渡部壮大 更新: 2019年01月15日
2018年10月に誕生した新四段にインタビューするこのコラム。前回は山本四段に奨励会時代のお話を伺い、思い出の一局を解説していただきました。今回は憧れの棋士やライバル棋士、愛する三間飛車について伺いました。
優しい師匠にものすごく怒られた。山本四段と小倉師匠のエピソードとは?
──プロになって以降の生活はいかがでしょうか。
将棋の指導や解説、イベント出演などの仕事などをいただくようになりました。取材は四段昇段当日を除くと今回が初めてですね。研究会は月に10回以上はやっていましたが、最近は半分程度になっています。
──師匠に怒られたことはありますか?
一度だけありますね。奨励会トーナメントで準決勝まで勝ち上がった時に食事休憩をのんびり取ってしまいまして。定刻より遅れることを対局相手に連絡したら快く了承されたので、悠々と15分ほど遅れて対局室に戻ったんですよ。そしたら小倉久史師匠(当時の奨励会幹事)が鬼の形相で立っていまして。ものすごく怒られて、準決勝は不戦敗になりました。一応3位決定戦はやらせてもらえたのですが、とてもそんな心境ではなくてあっさり負けてしまいました。当時の奨励会幹事は藤倉勇樹五段が厳しく、小倉先生が優しい方の幹事だったのですが、あまりにも僕が怒られていたのを見て「勝ち上がる力はあるんだから、ああいうのはもったいないよ」と藤倉先生に慰められましたね。
――普段から厳しい師匠なのでしょうか。
怒られたのはその一回だけで普段はとても優しい先生です。その後の奨励会トーナメントで優勝した時は大喜びで、自宅でパーティーも開いてもらいました
ちなみにプロになった後に「東京・将棋会館の近くで一人暮らしをしたい」というようなことを軽い気持ちで話したら、深刻な顔で「(地元の)江東区から出てはいけないよ」と言われてしまったので、そこは守ろうと思います(笑)
山本四段の昇段祝賀パーティーの様子
ライバルは同い年の近藤誠也五段
──目標とする棋士はいらっしゃいますか。
藤井猛先生のような棋士になりたいです。新しい戦法を作り上げたり、竜王を取ったりして。藤井システムは私にとっては将棋を覚える前のことで、歴史の中のできごとですが、2012年の王位戦の角交換振り飛車で戦ったシリーズは印象的です。藤井先生の将棋はたくさん並べました。
ただ、藤井先生は藤井システムのように立体的な攻めを得意とする将棋ですが、私は平べったい美濃囲いから攻めるのが好きなので、棋風は似ていないと思います。
──藤井九段とは指したことありますか?
一度も対局をしたことがないので、公式戦で当たるのを目指したいです。ただ、普通に指すと相振り飛車になってしまいそうなのが悩みです(笑)。私としては対抗形を指してみたいとは思っているのですが。
──ライバル棋士をあげるとするなら誰でしょうか。
同い年の近藤誠也五段です。奨励会に入ったのは向こうが半年早く、常に向こうが上をいく感じでした。近藤五段とは1万局以上指していて、人生で最も多く指した相手ですね。1級くらいまでは割と競っていたのですが、そこで2級に落ちてからはどんどん離されてしまいました。
ちなみに5級から4級に上がった時だけは同時だったのですが、僕の方が30分早く勝ったので、その瞬間だけは追い抜いていたと言えます(笑)。その時は彼が負けるのを期待していましたね。
スピーチする近藤五段
特に三段時代に新人王戦で対戦したのが思い出深いです。熱戦の末に、力を出し切って負けたのですが、力の差を感じて悔しかったですね。
【第1図は△6四歩まで】
第1図から▲3六銀に△3一玉とされました。こちらの手の内を熟知しているからこその一手で、序盤から攻め込む目論見が外れました。
【第2図は△3四桂まで】
第2図から▲4四銀打も印象に残る勝負手です。以下△同歩▲同銀△同角▲同角△2五歩▲4五角と進んで激戦に持ち込むことができました。
【第3図は▲6七角まで】
攻め続けましたが、相手に丁寧に受けられて決めることはできませんでした。ここで△4七飛成が決め手です。最後は鮮やかに決められて力の差を感じる完敗でした。
おわりに
──いまは振り飛車から居飛車に転向する棋士も多い時代ですが、将来的にはいかがでしょう。
居飛車に転向はしない気がしますね。奨励会時代に居飛車もある程度指した上で、今の三間飛車を選んだので。自分には振り飛車が合っていると思いました。デビュー戦も先手なら初手▲7八飛で行こうと思っています。
生涯三間飛車宣言をしてくれた山本新四段。いずれは山本システムの誕生にも期待したいですね。
ライター渡部壮大