ライター虹
森信雄七段の人生で最も心に残る対局は?「振り飛車名人」の異名をもつあの棋士との一局を振り返り
ライター: 虹 更新: 2017年10月31日
棋譜を手にして自戦を解説。撮影:虹
今回は「人生この一局」として、森信雄七段にご自身の対局の中から心に残る一局を振り返っていただきました。1977年11月14日に行われた第32期棋聖戦一次予選、故・大野源一九段戦です。
「舞台」や「結果」や「師弟」ではなく、森七段による、いや、当時新人棋士だった森信雄四段による「憧れ」が棋譜選択の決め手だそうです。楽しそうに敗譜を語るその姿からは、勝敗を超えた将棋への愛を感じました。
森七段は当時25歳、棋士2年目の四段でした。奨励会時代に粘り強い指し回しを会得して、その特色が色濃くうかがえる時期でもあります。得意戦法は現在と同様に振り飛車ですが、本局には特別な思い入れがあるということで居飛車を採用しています。
「大野先生のことは本でしか知らなくて、対戦が当たる前から楽しみでね。振り飛車の達人なんで、当然僕は居飛車でやるんですけど、どういう戦法にしようかなと考えました。要するに、大野先生の強さを体験したい、という思いがあったんですよ。勝ちたいというのもありましたけど、それよりも大野先生と対局できるということ自体がすごくうれしかったですね。この▲6六銀(第1図)では代えて▲3八飛という定跡形もあったんですけど、振り飛車の強さを、大野先生の強さを味わいたいから、ここで手を変えました」
<第1図:27手目▲6六銀>
大野九段はプロ棋界で振り飛車を復活させた第一人者。「振り飛車名人」の異名を持ちます。同門の後輩は升田幸三実力制第四代名人や、大山康晴十五世名人です。
盤面は後手が積極的に動いて、照準を変えて再度攻めに出ようとしたところです。「大野先生の強さを体験したい」が実現する展開となっています。
「△3一飛(第2図)でもう受けがないんでビックリしたんです、ヘタやなぁと思ってね(笑)。▲7七銀~▲6六歩の形になっていれば、そうやって攻められてもこっちのペースなんですけど、2手掛かるんですよ。中途半端な陣形の間に攻めてこられました」
<第2図:52手目△3一飛>
先手の受けに対して、後手がやや強引気味に踏み込んだところ、ハッキリとした差がつかないまま終盤戦に突入しました。しかし、この△8四桂が機敏で、先手陣の弱点を露呈させました。
「難しい形勢だと思っていたら、△8四桂(第3図)でシビれましたね。▲8五歩と突いていきたいところで、先に銀を追われました。あと、どこかで角の王手も気になります。こういうところがやっぱり、抜け目がないんでしょうね」
<第3図:62手目△8四桂>
後手は振り飛車らしいさばきや攻めのほかに、堅陣を維持するテクニックも備えています。ただし△5二金(第4図)以下、▲6三金△同金▲5一飛△6一金▲5七飛上△同馬▲同飛成(第5図)で先手も粘り強く指し回し、第2ラウンドへ。
<第4図:78手目△5二金>
<第5図:85手目▲5七同飛成>
「直前まで勝ったと思っていたのが、△5二金(第4図)でまたビックリしたんですね。あまり見ない手なんですけど、打たれてみると後手陣が堅くなりました。例えば▲5二同金だと、△同銀▲6二金に△6一金と埋めてね、だんだん堅くなっていくんです」
「ここで単に△3五角は、▲5七竜だと△5六歩......あれ、角でも困っていたか。(しばらく読みを入れて)単に△3五角、のほうが嫌でしたね。決まっていました。実戦は分かりやすく指されましたけど、受けがあったので疑問手かもしれませんね。このあと向こうにうっかりがあったんですよ」
実戦は▲5三同竜(第6図)に対して△7九竜と踏み込みます。以下▲同金△8七金▲6八玉に△3五角が王手竜取りですが、▲5七香の合い駒が上記の「うっかり」にあたります。しかしそれでも△5三角▲同香成に△2五角が味よく、後手ペースが続きました。
<第6図:97手目▲5三同竜>
詰むや詰まざるやの終盤戦。▲9七玉(第7図)で森七段は「これで勝ったと思ったんですけどね」と考えていました。
<第7図:127手目▲9七玉>
しかし次の△8七金(第8図)の犠打が好手です。▲同玉は△6九角成から即詰みになるため、▲同角で後手玉の詰めろをほどくしかありません。
<第8図:128手目△8七金>
それでもまだ先手がやれると思っていたところ、以下△6六金▲7八金に△7六桂(第9図)が続く好手。
<第9図:132手目△7六桂>
そして▲7九金打に△6九角成(第10図)がまたまた好手。後手の攻めが次々と突き刺さり、ほどなくして終局しました。
<第10図:134手目△6九角成>
――まずは本局の大まかな流れについて教えてください。
「苦戦していたのが途中でよくなった将棋でした。ピンチになって、粘って、よくなったかと思ったらまた好手を指されて、というのが何回もありましたね」
――具体的に、どのあたりで形勢は揺れましたか。
「△8四桂(第3図)が機敏で、うまい利かしだなぁと感心していました。相手の将棋に感心したらアカンのですけど(笑)。あとはやっぱり△8七金(第8図)ですね。形勢を盛り返して『これは申し訳ないけど勝ったかな』と思ったときに、金を打たれてガクッときました。あのあたりの攻防ではたくさん好手を指されて。△7六桂(第9図)を見て『筋がいいなぁ』とか思ったりしてね。」
――あらためて、この棋譜を選んだ理由を教えてください。
「僕の、というよりは大野先生の持ち味が出た将棋でした。やっぱりこう、感心しながら指していたのを覚えていますね。途中は向こうも決め損なっているはずなんです。僕のほうも『粘って勝ったかな』と思ったら、△8七金(第8図)とかが出てきて。
これは『次の一手』問題で使われた気がしますね。そういう手がたくさん出てきた、大野先生の会心譜だったんですね。何となく勝負になって、戦ったという感じになったのと、指し手が幅広かった。負けたんだけど、攻防手がいっぱい出てきて僕もすごく楽しかったですね。見ている側としても面白かったと思います」
振り飛車を得意とし、軽快なさばきを身上とした大野九段。関西特有の毒舌もまた軽妙なことで知られていました。森七段に振り返っていただいた本局は、大野九段、森七段とも持ち味をおおいに発揮した名局といえるでしょう。
次回は、いよいよ最終回となります。現役を退いた今後の活動について聞いてみました。お楽しみに。