将棋コラム

将棋が好きだったというよりも、祖父が好きだった【船江六段インタビュー vol.1】

将棋が好きだったというよりも、祖父が好きだった【船江六段インタビュー vol.1】

更新: 2017年07月28日

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船江恒平六段インタビュー

関西若手棋士インタビューに今回登場していただくのは、兵庫県加古川市出身の船江恒平六段です。

船江六段は、1998年に奨励会に入会し、2010年10月に四段となりました。その後、2011年の第1回加古川青流戦で宮本広志三段(当時)を下して優勝。2016年の第1回上州YAMADAチャレンジ杯で千田翔太五段(当時)に勝って優勝する活躍をしています。

第1回は、船江六段が将棋を始めたきっかけ奨励会に入会するいきさつについて話していただきました。

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第1期加古川青流戦三番勝負で船江四段と宮本広志三段が対戦。第1局は関西将棋会館で行われた。船江にとってゆかりある加古川市が主催する棋戦で見事初代優勝者となった。(段位はいずれも当時)

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第1期加古川青流戦三番勝負第2、3局の前夜祭での模様。

――将棋を始めたころのことを教えてください。

「5歳のときに祖父から教えてもらいました。祖父はアマチュア四段だったので、孫ができたら将棋を教えたいと思っていたそうです。孫が3人続けて女の子だったので、男の子を心待ちにしていたと聞きました。将棋はすぐにのめり込みましたね。もともとおじいちゃん子だったので、よく家に遊びに行っていました。近所のご年配の方々も来ていて、皆でNHK杯を見ていましたよ。当時は将棋が好きだったと言うよりも、祖父が好きだったというのが大きかったですね。それで何をするかとなれば将棋でした」

――将棋だけでなく囲碁も覚えたとうかがいました。

「将棋と同時期にルールだけ覚えました。祖父は囲碁がアマチュア3級でした。棋力が将棋と反対だったら、僕は囲碁の棋士を目指していたかもしれませんね。小学3年生か4年生になると祖父といい勝負をするようになりました。そうなると、孫には負けたくないということで、囲碁をするようになりました。プロ棋士になってからまた再開して、いまはアマチュア初段くらいだと思います」

――地元の加古川将棋センターで腕を磨かれましたね。

「加古将(加古川将棋センター)に行くようになったのは小学2年生のころからです。母が子供大会に連れていってくれたときに、知り合いから将棋センターのことを教えてもらったそうです。親は将棋をやらないんですけど、将棋大会やイベントのためにいろいろな所に連れていってくれました。将棋センターに行くと、初めは3級に認定されました。師匠となる井上先生(慶太九段)が師範をされていて、奨励会に入るまでは直接教わることはほとんどなかったんですけど、夏休みの子供教室で指導してもらうのが楽しみでした。昔から優しい先生というイメージでしたね。一つ年下の稲葉くん(陽八段)もお兄さんと将棋センターに通っていました。でも、当時のことはあまり覚えていなくて、記憶によく残っているのは、一緒に近鉄将棋まつりに行ったことくらいでしょうか」

――プロ棋士を目指すきっかけは?

「小学5年生で奨励会に入りました。道場に強い子供が多くて、それに引っ張られたのが大きかったですね。少し年上の子が奨励会に入っていたので自分も受けたいと思うようになりました。師匠には『まだ実力的に早い』と言われました。当時はアマ三段強で四段はなかったと思います。ですが春の全国小学生名人戦で準優勝したんですね。それで夏に奨励会を受けることになりました。受験者同士の一次試験が3勝2敗。2次試験は2勝1敗で合格となりました。試験では震えずに指せたような気はします。まだ幼かったので落ちたときの不安がなかったんでしょうね。弱かったけど勢いで受かったという感じでした」

次回は、船江六段の奨励会時代のことと同期の奨励会員についても話していただきます。お楽しみに。

船江恒平六段インタビュー

池田将之

ライター池田将之

2010年からフリーライターとして活動開始。2015年まで将棋連盟モバイル中継記者。現在は新聞社に観戦記、将棋世界で「関西本部棋士室24時」などの記事を執筆している。

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