"棋界のプリンス"真部一男九段のちょっとしたエピソード。突然の電話呼び出し、その理由は?

ライター: 常盤秀樹  更新: 2017年03月06日

コラム「師匠との思い出」では、相崎修司氏が小林宏七段に師匠の真部一男九段についてインタビューし、そのコラムが2017年3月7日から連載される予定だ。幻の△4二角についてはもとより、小林七段にさまざまなエピソードも話していただいているので、読み応えのある内容となっている。ぜひご覧いただきたい。

実は、真部九段については、私にも忘れ得ぬ思い出がある。

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2007年6月12日に撮影。本文中に書いたように、やや横向きから撮影した。結局、この写真は正面を向いておらず、プロフィール用写真としては使えなかったが、今回初めて公開した。撮影:常盤秀樹

「真部先生の家へ行く道順を教えてくれないか?」

当時、将棋世界編集部にいた今は中継記者をしている吟氏に尋ねた。吟氏は、原稿を受け取りに毎月真部邸に行っていたからだ。もう十数年も前のことだ。

これより3、4日前のことであった。

「真部先生から電話です」

私は、「えっ!?」と少し驚いた。何しろ、仕事でも真部九段とは接点がなく、一体、何の用だろう、と考えながら電話に出た。

「真部です。実はね」

どうやら、真部九段宅のパソコンの調子が悪く、棋譜データベースが使用できなくなってしまったらしい。最初は、弟子の小林宏七段を自宅に呼んで何とかしようとしたらしいが、小林七段もその類のことに詳しくなかったので、手に負えず、私に連絡をしてみては、ということになったらしい。ちなみに、棋譜データベースとは、棋譜検索アプリケーションで、日本将棋連盟が関係者限定で提供している。これを使って研究したり、原稿を作成したりしている。

「分かりました。お使いのパソコンはノートPCですか?それでしたら、お持ちいただければ、こちらで直しますが」

「いや、デスクトップなんだよ」

さすがにデスクトップパソコンでは、持ち運びができないので、私がお宅に伺うことにした。

「小田急線の参宮橋駅の近くです」

「そうですか、参宮橋でしたら、将棋会館から近いですね。歩いても行けそうですね」

「健脚の人であれば、30分あれば来ることができるでしょう。タクシーだと10分ちょっとですかね」

そんな調子で訪問する日取りを決めた。"健脚"という単語が会話でパッとでてくるあたり、文才のある真部九段らしいと思った。

1、2日後に小林七段が将棋会館にいらした際に

「師匠(のパソコンの件)をよろしく頼みます。私じゃ、どうにもならなかったので」

と私に言った。私は分かりましたと頷いた。

駅から程近いところに真部邸はあり、事前に吟氏から聞いていたとおりであった。吟氏もお宅にはあがったことがないとのことだった。何しろ、まともに話をしたこともないので、イメージばかり先行し、私の中で真部九段はとても近寄り難い印象だった。

「失礼します」

「いやぁ、すまないね。どうぞ」

中に入ると、リビングとも、書斎ともつかない広めの部屋があり、そこにパソコンがあった。壁には、真部九段が若き頃のモノクロの対局写真が飾ってあった。"棋界のプリンス"にふさわしい、端麗な姿が写っていて、とても良く撮れていた。

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パソコンの置いてある机に灰皿があり、吸殻が捨てずにあった。銘柄は、ハイライトだった。私が想像する真部九段のイメージとは、ギャップがあった。外国産たばこを吸っていると私が勝手に想像していたからだ。

10年以上も前のことなので、この点について小林七段にメールで確認してみた。

「(真部師匠は)COPD(肺疾患)で入院して、タバコはその時にやめましたがハイライトでした。加藤治郎(名誉九段、真部九段の師匠)先生は、缶ピースです。お酒は、ウイスキー党でした。よく代々木の酒屋で、シーバス(リーガル)を一本買ってお邪魔しました」

やはり、私の記憶は間違っていなかった。

真部九段は、私の想像よりも気さくで、他愛ない会話をしながら、PCの修理は、だいたい30分ぐらいで終わった。以後、3、4回はパソコンに関する件で伺っただろうか。ある時は、私がお邪魔した時、ちょうど囲碁のネット対局をしていたこともあった。

「少し待っていてくれるかね。あと少しで終わるから」

パソコンの画面を見る私に、ああでこうでと解説してくれたのだが、私は囲碁がさっぱりなので、さぞかし真部九段も解説のしがいがなかったことだろう。真部九段の囲碁のレベルは、棋界でもトップクラスだった。そして、囲碁のみならず、多趣味で、いずれも秀でるほどだったと聞く。

毎年6月頃に棋士総会が行われるが、2005年頃から棋士のプロフィール用写真を私はその時に撮影している。総会をやっている隣の部屋でモノブロックストロボを使って撮影する。2007年6月の棋士総会でも、次から次へと短時間で撮影していると、真部九段に順番が回ってきた。真部九段が総会に出席するのは、珍しかった。

「先生、最初に正面の写真を撮ります」

と言って撮影し、

「次に、少し斜め向きで撮ります。躰は斜めで顔は正面を・・・」

と言いかけた瞬間、しまったと思った。案の定、

「僕は、首が回らなくてね」

真部九段は笑いながら言った。もう何年も前から首を悪くされていたのだ。

「でも、僕は正面から撮られるより、少し斜めから撮られる写真のほうが好きなんだ」

ほっとした。数枚撮った後に

「常盤さんは、多芸だね。写真も撮るんだね」

多趣味で鳴らす真部九段にそう言われ、嬉しかった。しかし、それ以来、真部九段から電話もこなくなった。そして、その年の11月24日に逝去された。

今更だが、何で対局姿を撮らなかったのだろう、と悔やんでいる。

常盤秀樹

ライター常盤秀樹

日本将棋連盟の職員として将棋界を20年以上見てきた。タイトル戦中継に際してのITインフラの準備や設営に従事。その傍ら、対局写真や棋士、女流棋士の写真も数多く撮影。給料の多くがカメラやレンズ代に消える。

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