「やりたいことができるのは50代だね」大師匠・加藤治郎名誉九段の印象【師匠との思い出・小林宏七段インタビュー vol.3】

「やりたいことができるのは50代だね」大師匠・加藤治郎名誉九段の印象【師匠との思い出・小林宏七段インタビュー vol.3】

ライター: 相崎修司  更新: 2017年03月09日

真部一男九段の師匠は、加藤治郎名誉九段で、観戦記を数多く執筆しました。その影響か真部九段も「将棋世界」に長く「将棋論考」という連載を続けていました。今回は、加藤名誉九段と真部九段について、小林宏七段に話していただきました。

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真部九段著「升田将棋の世界」を見る小林七段。撮影:相崎修司

 ――真部九段の師匠が加藤治郎名誉九段です。今回は大師匠についても、お聞きしたいと思います。

「大師匠が自宅で教室を開いていまして、それを師匠も手伝っていたんです。そのうち僕と兄弟子も行くようになりました。師匠が行くとお客さんが盛り上がったのを覚えています」

 ――あらためて、当時の真部人気を感じます。

「大師匠は師匠のことをかなり心配していました。年が離れていた(加藤―真部は41歳差)こともあるでしょう。対して師匠は『ああいうのが理想なんだよね』と大師匠のご夫婦関係を語っていました。話好きのご夫婦で、いい先生でした。教室の後に食事が出ると『真部さんはキュウリしか食べなかった』と奥様に言われた記憶があります。教室は月2回のペースで、15年以上お手伝いさせていただき、加藤先生からもいろいろとお話を聞かせていただきました」

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真部九段の師匠、加藤治郎名誉九段

 ――大師匠から言われたことで、特に印象に残るものはありますか。

「当時、80歳を過ぎていた先生に『今までで一番仕事ができたのはどのあたりですか』と聞いてみました。僕もまだ若かったので、先生がA級八段だった30代という返事を予想していましたが、『やっぱりやりたいことができるのは50代だね』という返答がとても印象に残っています。奨励会のころは加藤先生から、四段になってからは師匠から将棋界についていろいろと聞けたので、恵まれているなと思います。升田大山時代、さらに前の木村名人の時代などについてですね。加藤先生は30代で引退しましたが、それからも自宅の教室をずっと続けていました。『升田・大山に勝てないから引退した』というのも潔いなあと思います」

 ――升田幸三実力制第四代名人の名前が出ました。本日は真部九段著の『升田将棋の世界』をお持ちいただきました。

「これは良い本ですよね。絶版になっているのが残念です。面白いのは、やたら難しい漢字を使っていることで、ですから振り仮名が多い。師匠の原稿は全て手書きですからね。漢字も多く知っていました。『魚編の文字をいくつ書ける?』というクイズを出された記憶もあります」

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 ――この著書を読むと真部九段が升田将棋を相当に研究されていたことがうかがえます。

「憧れですよね。多分升田将棋はすべて頭に入っていたと思います。漢字もそうですが、師匠は凝り性なんですよ。升田将棋を研究していたからか、よく言っていたのは『同じ将棋が多いのはよくない』。人とは違う将棋を心掛けて、センスもすごくよかったと思います。ただ、体調のこともあって、終盤でミスがあり、結果が出なかったということもあると思います。中盤戦で、僕なんかでは浮かばないような手をすっと指されているのは勉強になりました。筋がよく見えているというのでしょうか」

次回は、いよいよ最終回です。晩年の真部九段について、そして絶局となった対豊島将之七段(当時四段)での幻の一手についても話していただきました。ぜひ、ご覧ください。

小林宏七段インタビュー

相崎修司

ライター相崎修司

2000年から将棋専門誌・近代将棋の編集業務に従事、07年に独立しフリーライターとなる。2024年現在は竜王戦、王位戦・女流王位戦、棋王戦、女流名人戦で観戦記を執筆。将棋世界などにも寄稿。

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