酒場のカラオケで歌いまくり「新宿の夜の帝王」と呼ばれた二上九段。

酒場のカラオケで歌いまくり「新宿の夜の帝王」と呼ばれた二上九段。

ライター: 田丸昇九段  更新: 2017年03月12日

私が奨励会時代に二上達也九段の対局の記録係を務めたとき、二上九段の師匠の渡辺東一名誉九段が観戦に訪れたことがありました。そして二上に「新宿でよく飲んでいるそうだが、少しは自重しなさいよ」と苦笑しながら忠告すると、二上九段はかしこまった様子になりました。

二上九段はお酒がとても好きでした。独身時代は「新宿の夜の帝王」と呼ばれ、毎晩のように新宿のネオン街を飲み歩いていました。勘定の支払いが良いうえに、やたらとチップ(心づけ)を弾んだので、女性にもてたようです。ただ、お気に入りの女性への下心からではなく、お茶をひいた女性や男性従業員にもチップをあげました。一緒に飲んだ棋士は「ガミさん(二上九段の愛称)、飲み代の割り勘はいいけど、チップの割り勘はいやだよ」と言ったものです。二上九段は「若い頃はお金の使い方がわからなかったんですよ。それと淋しそうな人には、ついチップをあげたくなってしまう...」と往時を語ったことがありました。心根が優しく鷹揚なところは、北海道・函館の網元という裕福な実家で育ったからでしょう。

二上九段は物静かな人でしたが、酒場に行くとカラオケで歌いまくりました。飲み友達の芹沢博文九段が「マイク二上」という愛称を付けると、それが気に入ったようです。自ら 「マイク二上でございます。まばらな拍手に応えて、今宵はマイク二上とその一座が皆さまに歌を贈ります。まず最初は『北の宿から』(都はるみ)を歌います」 と挨拶すると、マイクを離さず30分も歌い続けることがよくありました。同郷の北島三郎さんの『函館の女』も数多いレパートリーの中の1曲でした。私たち後輩棋士は、歌に酔いしれた姿を見て「うたかみ(二上)先生」と呼んだものです。

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撮影:田丸昇

1976年(昭和51年)に内藤國雄九段が歌手デビューし、マスコミ向けの新曲発表会でデビュー曲の『おゆき』と『祝盃』を熱唱しました。写真は、二上九段が祝辞を述べた光景です。その後、作曲家のギター伴奏で、なんと歌ったのです。プロ新四段の祝賀会で、アマ有段者が席上対局したようなものですが、二上は堂々と歌いました。

二上九段は18歳で四段に昇段して師匠の家を出た後、兄の会社の寮の一室にたまたま住んだのが縁となって、聖心女子大学・英文科出身の「郁子」さんと結婚しました。長女の「素子」さんは、東大に現役で入学した才媛でした。次女の「名保子」さんには、名人を保つという願望を込めて名付けました。長男には将棋の駒にちなんで「竜也」さん、次男には江戸時代の一世名人・大橋宗桂にちなんで「宗介」さんと名付けました。中でもイノシシ年生まれの宗介さんには、二上九段が倒せなかった同じイノシシ年の大山康晴(十五世名人)と中原誠(十六世名人)を倒すことを期待したようですが、その願いは叶いませんでした。

田丸九段が語る二上九段の思い出

田丸昇九段

ライター田丸昇九段

1950年5月5日 生まれ、長野県出身。故・佐瀬勇次名誉九段門下。
1972年に四段。2013年に九段。2016年10月に現役を引退。1989~1995年に日本将棋連盟出版担当理事を務める。著書に『実録 名人戦秘話 ~棋士生活40年 田丸昇の将棋界見聞記~』、『伝説の序章 天才棋士 藤井聡太』など。

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