ライター前田祐司九段
前田九段の〝お目を拝借〞第9手「副立会人」
ライター: 前田祐司九段 更新: 2019年12月20日
今年もあと何日という、先が見える時季になりました。巷ではクリスマスや忘年会など、食べる&飲む機会が増え、胃も財布も忙しいころですが、そこで今回は、「美味しい話」を一席、お届けいたします。
タイトル戦立会人の美味しい話
将棋のタイトル戦では、それに相応しい最高の舞台が用意されます。一流の旅館やホテルが対局場に選ばれ、対局者は贅を尽くしたご馳走で歓待されます。ヘボ棋士の私はタイトル戦への登場は一度もありませんが、ご馳走のご相伴にはたびたび預かったのです。
タイトル戦での立会人は正・副の2名。私は、気の楽な「副立会人」を多く経験させてもらいました。
立会人が2名置かれるのは、対局者同士が揉めたとき、それぞれの言い分を分担して聞くため。例えば対局中に、片方の棋士が「暑いから窓を開けろ」と言い、片方は「いや、寒いから閉めろ」と言う。これは実際にあった話とのことですが、こういう場合に2名の立会人がクッション材となって調整するのです。
ただ、揉め事はまれで、多くはスムーズに運び、美味しいご馳走に囲まれて過ごすのですね。
写真は平成7年(1995年)7月12日、愛知県西浦温泉「銀波荘」での第36期王位戦七番勝負第2局の前夜祭(この時は、関係者だけでの催しでした)。対局者同士は隣合わせに座らず、距離をおくのが基本。
前列、左から 3 人目が挑戦者の郷田真隆五段(現・九段)、 1 人おいて正立会人の石田和雄九段(引退)、銀波荘の女将 、羽生善治王位(現・九段)、筆者(副立会人)。
*写真提供:前田祐司
通常の前夜祭では、美味しい料理を媒介にファンとも交流を図ることになります。多くのファンは棋士を「生」で見ることはめったにないでしょうから、前夜祭はいつも満員です。また、翌日には「対局の観戦・大盤解説会・指導対局」なども催され、ファンとの親睦が図られます。
これらすべての費用は、スポンサーである主催者側の負担(※棋戦によってはその限りではありませんが)。新聞の紙面でも大々的に報じられますので、将棋界の社会的地位の向上にもなり、まさに至れり尽くせり。棋士はスポンサー様に対し絶対、足を向けて寝ることはできません。
ちなみに、女流のタイトル戦の立会人は1名です。何故かは知りませんが、思うに、女流の皆さんは、おしとやかで上品な方ばかり。揉め事など起こるわけがないからでしょう。
私は平成3年(1991年)5月7日、第2期女流王位戦五番勝負第2局で立会人をしました。場所は北海道釧路市。この時の前夜祭も、関係者だけでの、こじんまりとした会。現地の世話人代表、また、地元の名士でもある小笠原さんの計らいで、「蟹の美味しい名店」に連れて行ってもらいました。役得を感じましたネ。
人目を忍んで、のつもりが・・・
そうした「美味しいお話」も、歳とともに少しずつ減ってくるのですが、もう少しで天罰が下るという、冷や汗をかいたこともあったのですネ~。
平成11年(1999年)8月17~18日、熊本県水俣市・「三笠屋」での第40期王位戦七番勝負第4局(羽生善治王位VS谷川浩司棋聖 肩書きは当時)。この時は副立会人でした。
二日制のタイトル戦では一日目に戦いになることは少なく、ノンビリしています。立会人は暇で、退屈。そこで、海水浴でもと思ったワケですネ。何せ目の前は熊本県有数のビーチ、「湯の児(こ)海水浴場」なのです。波は穏やかで遠浅、水も澄んでおり、「ひと風呂気分」で浸かりに行くにはもってこいなんです。もちろん、水着の用意は抜かりありません。私は泳ぎは上手くありませんが、水泳は大好き。水に入れば浮力が働き、陸上生活では余分なお肉で四苦八苦している私も水の中は別世界。ラッコ状態となって快適そのものなンです。天気は快晴。空は抜けるように青く、絶好の海水浴日和。大いに楽しもうと勇んで出掛けました。
ところが、泳ぎ始めて15分くらいで潮が引き始め、徐々に水位は膝の高さに、これは帰れということだナ、と思ってフッと目をやると、「遊泳禁止区域」の看板が......そこは干潮でも水深は5mほどあり、波も穏やか。これは入る一手と、人目を忍んでザッブンチョ! ラッコのようにあおむけになり、波間を漂いました。
もうすっかり温泉気分で、ラッコ前田状態は延々と続き、気が付くと陽はとっくに暮れかかり、お寺の鐘がゴォ~ン、カラスがカァ~。瞬く間に時が過ぎ、危うく「封じ手」の立ち会いをすっぽかしそうになったのです。
封じ手の封筒には両対局者&正・副立会人の署名が必要です。旅館では私の姿が見当たらないので、ちょっとした騒ぎになっていました。
それでも、その日はどうにか無事、終わり、翌二日目の対局も問題なく終了。私は打ち上げの席で、何食わぬ顔で飲んでいたのですが、話題はいつしか前日の封じ手のことになりました。その時、隣にいた主催紙の女性記者が、「前田先生、昨日の夕方は心配したんですヨ。どこを探してもいらっしゃらないし......」と、触れられたくない話題を口にしたのです。私が、「散歩に出掛けたら道に迷いまして」と言うと、彼女は、「嘘、おっしゃい。では先生、あの窓際に行ってみましょう!」と連れて行かれると......窓からは、私が泳いでいた海水浴場がすべて丸見えだったとサァ。