ライター山口恭徳
花冷の花びらに日の差しにけり 恭徳
ライター: 山口恭徳 更新: 2019年10月17日
明治・大正・昭和の三代にわたって将棋界を牽引してきた関根金次郎十三世名人と、山梨県甲府の割烹料理店「三省楼」の主人・辻彌蔵氏とは、辻氏が約30も年上でしたが、とても親しい間柄でした。
関根十三世名人の略歴は次の通りです。慶応4年(1868年)4月1日に下総国東葛飾郡(現在の千葉県野田市)東宝珠花で生まれました。伊藤宗印十一世名人門下。同38年(1905年)、八段昇段。大正10年(1921年)、十三世名人を襲位。昭和10年(1935年)、世襲名人制から実力名人制への移行を表明し、現在の将棋界隆盛の基盤を築きました。同21年(1946年)3月12日、77歳で逝去。
関根十三世名人の自伝『棋道半世紀』(昭和15年〈1940年〉2月、博文館刊)のなかで、「物故した名棋士たち」と題して89人の高段者を列挙していますが、そのうち、辻彌蔵氏を「甲府の人。五段」と紹介しています。
また、若い頃の全国将棋遊歴中に辻氏の経営する割烹料理店「三省楼」に滞在したことがあり、そのことは次のように述べています。(表記は現在のもの)
《二十二三の頃、わたしは東海道をブラブラしたことがある。(中略)静岡から富士の裾野へ行き、今度は裾野から甲州へ出た。秋のことであったが、今年の水害のような状態で、甲府はひどく水が出ていた。わたしは甲州で三省楼という立派な料理屋を経営している辻彌吉(彌蔵、の誤植か)という人に厄介になり、そこで永いことぐずぐずしていた。
ところが、ある日、この三省楼に、この家をひいきにしている齋藤という代議士がやってきたが、齋藤さんはなかなか将棋が自慢であった。そして、わたしが厄介になっているということをきいて、早速一番手合せをしようということになった。大事なお客なんだから、わたしもいい加減にあしらっておけばよかったものを、相手の態度が癪にさわって、いきなり滅茶苦茶にやっつけてしまった。》
居づらくなった関根青年(三段時代)は、さらに旅を続けて清水では次郎長こと山本長五郎に出会うことになります。
三省楼は辻彌蔵氏が明治22年(1889年)に甲府市桜町13番地(現在の甲府市中央1-18-3)で開業した割烹料理店です。昭和2年(1927年)9月には裏春日町通りに三省楼別館「三春」を開業し、相生町には支店「はせ川」を営業していました(峡陽文庫による)。三省楼は、望仙閣・開峡楼と並んで"甲府市の三大料理店"の名声を博しました。
俳壇の大御所・髙浜虚子も訪れ、短冊に「三省楼酔時」と前書のある「雪を省み花を省み春の富士」という挨拶句を残しています(山梨県立文学館による)。三省楼は惜しくも昭和20年(1945年)7月7日の甲府空襲で全焼しました。
辻氏はのちに六段に昇り、大正6年(1917年)12月20日に亡くなりました。行年78。甲府市相生町3-5-7の甲府別院光沢寺に駒形の墓碑があります。
辻弥蔵氏の墓碑
《辻彌蔵氏はサンリオ・辻信太郎社長の曽祖父に当たります》
墓碑の傍らにキティちゃん
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