下町流からトマホークまで。小倉久史七段&山本博志四段による師弟対談「下町師弟が三間飛車愛を語る」~将棋世界2019年9月号より

下町流からトマホークまで。小倉久史七段&山本博志四段による師弟対談「下町師弟が三間飛車愛を語る」~将棋世界2019年9月号より

ライター: 将棋情報局(マイナビ出版)  更新: 2019年08月05日

将棋世界2019年9月号の戦術特集は「下町初!粋でいなせな三間飛車」。

①小倉久七段と山本博志四段の師弟対談 ②山本四段によるトマホーク基本講座 ③小倉七段による次の一手 ④付録:西田拓哉四段による次の一手「令和の三間飛車急戦」 の4部構成で、かつて天敵だった居飛車穴熊も恐れない「新時代の三間飛車」をの魅力を紹介します。本記事では小倉久七段と山本博志四段の師弟対談の一部を紹介。三間飛車をこよなく愛する両者の掛け合いをお楽しみください。

下町が生んだ三間飛車

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――戦術特集では初の師弟での登場です。下町流三間飛車でおなじみの小倉久史七段と、ノーマル三間飛車をこよなく愛する山本博志四段です。

小倉 過去の戦術特集で、三間飛車講座を書いたことはありましたが、弟子との対談形式の取材は初めてですね。

山本 2017年の奨励会三段時代に師匠と共著で、『三間飛車新時代』(マイナビ出版刊)を書きましたが、棋士になってから将棋世界に、こういう形で携われることができて光栄です。

――まずは三間飛車とどう出合ったかをお聞きします。師匠の小倉七段は、中原誠十六世名人門下です。

小倉 最初にお会いしたのは、小学5年生の頃で、まだアマチュア初段程度でしたが、当時は大山先生(康晴十五世名人)の将棋に憧れて、四間飛車ばかり指していました。高柳一門は居飛車党が多いのですが、それでも師匠からは「好きなようにやりなさい」ということで、指す戦法について言われたことはありませんでした。奨励会時代は棋譜も見てもらい、勝てない時期は矢倉や横歩取りも勉強しましたが、性に合っていないのか長続きしませんでしたね。

山本 僕は奨励会三段のときに、師匠と中原先生のご自宅にお伺いして、ごあいさつしました。にこやかに励ましていただきましたが、大樹深根(だいじゅしんこん)という言葉を教えてもらいました。「正しい考え方という根を張っていけば、やがてたくさんの枝葉が茂る大木に育つ」という教えで、その後の三段リーグも、そういう気構えで臨むようになりました。中原先生は近くにいるだけで強くなれそうなオーラがありました。

――小倉七段が棋士になった昭和63年は、居飛車穴熊が猛威をふるっていました。

小倉 まだ藤井システムは誕生しておらず、当時は「居飛車穴熊に組んだら銀得に匹敵」という風潮がありました。そんな乱暴な考え方があるのかなと思っていましたが、確かに穴熊に組まれてみると、攻めてもなかなか潰れないし、優勢な局面になっても3枚くらいの攻め駒で、食いつかれてしまう。振り飛車党にとって、肩身の狭い時代でした。

山本 その点、いまの三間飛車は居飛車穴熊に簡単に組ませないですし、それでも組みにくる場合は、かなり突っ張って言い分を通そうとしている人でしょう。また、穴熊に組まれても攻略する手法が進化しました。三間飛車党にとっては勇気が出る時代です。

――居飛車穴熊の対策として、下町流三間飛車が指されるようになりました。下町流の定義とはどんな形ですか。

小倉 これといった基本形はありませんが、バランス重視の駒組みで進めて、大駒の打ち込みに強い形を築き、振り飛車のほうから飛車交換をして、攻略するのが基本方針です。理想形を挙げるなら第1図で、飛車交換歓迎で戦えます。

【第1図は▲7八金まで】

山本 他の振り飛車と比べて三間飛車の特徴は、飛車交換になりやすいことです。なぜなら居飛車側の飛車のコビンを攻めるからで、どうしても飛車が向かい合う形になりやすいからです。

下町流の後継者

――山本四段が入門した経緯と、三間飛車との出合いを教えてください。

山本 小学3年生の頃でアマ三段でしたが、将棋世界をむさぼるように読んでいた時期で、将来は棋士になりたいという意識が芽生えていました。それで師匠のの将棋教室が、たまたま家から近くにあることを知って、押しかけていきました。

小倉 同じ町内に住んでいて、彼が4丁目、私が9丁目でした。最初に指したときは、攻めっ気の強い少年だと思いましたね。指導対局は主に飛車香落ちでしたが、指導を受けるというよりも、貪欲に勝ちにくる姿勢を感じました。

山本 最初は振り飛車も四間飛車から入りましたし、居飛車も普通に指していました。奨励会を受ける小学5年生の頃になると、平手で何局も教わりましたが、将棋大会などではほとんど負けなかった居飛車穴熊に組めれば、内心は師匠が相手でも勝った気でいました(笑)。ところが「これで勝ったと思うでしょ」と師匠には見透かされており、当然のように完封されて負けてしまう。それが強く印象に残って、三間飛車に興味を持つようになりました。

小倉 下町流に興味を持ってくれたので、いま思えば厳しく指しておいてよかったです(笑)。

トマホークで天才少年に快勝

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――下町流の考え方は、この頃に醸成され始めたのですね。三間飛車の新機軸であるトマホーク(p94参照)は、いつ頃生まれたのですか。

山本 小学6年生頃には思いついて、当時は三間飛車を指せば相手は居飛車穴熊ばかりでしたので、ずいぶんと勝てました。しかし相手に作戦が分かり出すと避ける方法はいくらでもあるので、自然と勝てなくなり、苦労するようになりました。しばらくは封印していましたが、奨励会二段に上がる頃には作戦の幅も広がって、徐々に勝てるようになりました。

――三間飛車ばかり指して、行き詰まりはありませんでしたか。

山本 奨励会では降級も2回経験していますし、勝てない時期は居飛車を指した時期もありました。近藤誠也(現六段)さんに、横歩取りや角換わりを教わりましたが、玉が薄いので気がついたら一瞬で負けていることも多く、いつの間にか三間飛車に戻っていました。師匠と同じで性に合っていないのでしょう。美濃囲いに玉が収まっていないと、どうも落ち着きません(笑)。

――2016年の第59回三段リーグでは、あの藤井聡太三段(当時)に、トマホークで勝ったそうですね。

山本 本誌7月号の「イメージと読みの将棋観」で三間飛車がテーマになったときに、藤井七段のコメントがあり、僕の名前も出してくれて、しっかりと覚えていてくれたので、なんてすばらしい方なのかと思いました(笑)。最近のトマホークは、相手が避けてくることがほとんどで、なかなか実戦では指せませんでしたが、藤井七段にとってはトマホークは初見だったのかもしれません。堂々と居飛車穴熊で対抗してきました。

――この将棋は山本四段の会心譜ですので、紹介します。(※本誌に棋譜を掲載)

山本 自分の中では指し慣れている形ですが、藤井七段は☗1七桂(第2図)で30分くらい、固まっていました。持ち時間90分の三段リーグで、噂の天才少年がそれだけ長考してくれたのは、うれしかった記憶があります。

【第2図は▲1七桂】

小倉 旬な藤井七段に勝った経験は、自信につながったんじゃないかな。

山本 おかげでその期を境に、三段リーグの成績が上向いてきました。でも藤井七段がこれほど速く活躍されるとは、さすがに思っていませんでした(笑)。

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おわりに

三段リーグ1期抜けを果たした藤井聡太三段(※当時)をも打ち破ったトマホークの威力。②山本四段によるトマホーク基本講座で詳しく解説しています。師弟対談の全文や山本四段講座、次の一手は、将棋世界2019年9月号でお読みいただけます。

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将棋世界2019年9月号

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