将棋コラム

谷川浩司九段が語る角換わりの歴史「他の戦型にはない美しさがある」【将棋世界2018年1月号のご紹介】

谷川浩司九段が語る角換わりの歴史「他の戦型にはない美しさがある」【将棋世界2018年1月号のご紹介】

更新: 2017年12月02日

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将棋世界2018年1月号(12/1発売)の特集は「角換わり進化論」。谷川浩司九段へのインタビュー、千田翔太六段の流行型講座、石田直裕五段の基本講座で、最新型がめまぐるしく変化する同戦型をひもといてゆく。

トップバッターの谷川九段には、角換わりの歴史を伺った。谷川九段は指されなくなっていた角換わり腰掛け銀を復活させ、先手番のエースとして連採。その攻めは破壊力抜群、「光速の寄せ」と合わさって、数々のタイトルを獲得した。

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「角換わり腰掛け銀は5筋で銀が対峙して、それ以外はすべての筋で歩が向かい合う。戦いが始まれば遊び駒はなく、他の戦型にはない美しさがある」と、谷川九段。木村定跡から現在流行中の△8一飛・6二金型に至るまで、自分自身がどのように向き合ってきたかを含めて、大いに語ってもらった。【構成】君島俊介

角換わりを指すきっかけ

ーー角換わり腰掛け銀は谷川九段の得意戦法として知られています。この戦法を指し始めてから30年ほどたちますが、どのような経緯だったのでしょうか。

谷川 私より上の世代の中原誠十六世名人、米長邦雄永世棋聖、加藤一二三九段のトップ3人は、矢倉中心で角換わりをほとんど指していませんでした。私が加藤九段と昭和58年に第41期名人戦を戦ったときは矢倉とひねり飛車でした。
 また、私自身は昭和60年度と61年度が非常に対局の多い時期でした。2年間で162局指して、その半分くらいが矢倉だったんです。これでは新鮮な気持ちで対局に臨めないと感じ、62年度には矢倉を指さないと言ったこともあります。

ーー角換わり腰掛け銀が注目されるきっかけは、昭和61年1月31日対局の第11期棋王戦挑戦者決定戦で谷川九段が勝浦修九段相手に指したことでした。この日は羽生善治棋聖がプロデビュー戦を指した日でもあります。谷川九段が羽生棋聖の感想戦を見ている姿が写真週刊誌に掲載されました。

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撮影:弦巻勝

谷川 自分の将棋が二転三転して余裕はなかったんですけどね。写真を撮られたのは覚えています。あの将棋は後手の待機策に▲2八角(第1図)と打って打開する展開でした。この発想は北村昌男九段が指しておられていましたし、勝浦戦の少し前に東和男八段が指していました。

【第1図は▲2八角まで】

後手は△7三桂と跳ねないと攻め合えませんが、▲7五歩のキズが生じます。それで桂を跳ねない指し方が有力とされました。昔は先手が打開できなかったため、戦法自体が廃れてしまいました。そこで、出だしに遡って▲2五歩を決めない考え方が出てきました。そうすれば▲2五桂と跳ねられます。▲2八角と打った瞬間は悪形ですが、▲2五桂から▲4五歩と攻めれば視界が開けます。

▲2八角と打つ指し方は、当初は威力を発揮しました。ですが、平成14年に郷田真隆九段が△7五歩▲同歩△8四飛として6四歩を支える対抗策を出し、最終的に先手の決定打となりませんでした。▲2六歩型もそうですが、時代を経ると新しい指し方が生まれます。

ーー角換わり腰掛け銀を指し始めた当時、谷川九段はこの戦法をどのように位置づけていましたか。

谷川 基本的に先手での得意戦法にして、後手ではあまり指さなかったです。後手は△8五歩を決めますが、先手は▲2六歩型で角交換できるので、先手番の得を生かしやすいと思っていました。

ーー谷川九段は四段の頃、振り飛車党でした。また、先ほど話に出たトップ3は、矢倉がほとんどです。修業時代に角換わりを勉強する機会はあったのでしょうか。

谷川 角換わり腰掛け銀が流行していたのは昭和20年から30年代です。木村義雄十四世名人の名人復位や、大山升田時代の初期の頃。その頃の将棋はプロになってから調べましたが、奨励会時代は見ていませんでしたね。

ーー角換わりを指すコツはどういったものでしょうか。

谷川 どの戦法も攻め合いの展開は、相手より1手早く攻めるのが理想です。攻めを狙ってきたときに、先攻するわけです。

ーー相手の動きを見ながら指すことが大事なのですね。

谷川 序盤では早く▲6八玉とすると、後手から棒銀や早繰り銀にされて、かえって玉が戦場に近づいてしまいます。△6四歩と後手が腰掛け銀模様にしたときに▲6八玉と上がるのがタイミングです。

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先後同型の歴史

ーー先ほど木村十四世名人の名前が出ましたが、木村定跡で知られています。

谷川 木村定跡は戦後間もないころの定跡で、先後同型でも▲8八玉・△2二玉型です。先手は入城して堅く、後手はかえって玉頭の当たりが強い。先手有利の条件で先手必勝になるのですが、手筋の宝庫で見事な手順です。現在は△7三桂と跳ねていれば、▲7五歩と突く手をみんな考えますが、自陣が傷むので最初に考えた人はすごいですね。
 木村定跡やそのあとに出た升田定跡は、後手が△6三角(第2図)と打って桂頭を受けます。ですが、現在の視点では損な指し方ですね。怖くても△6三金として角を温存しないと先手に安心されます。

【第2図は△6三角まで】

ーー谷川九段が角換わりを指し始めたころは先後同型の将棋が少なかったです。先手有利の認識でしたか。

谷川 そうですね。どの戦型でも先後同型は先手が若干有利で、後手は五分で指せれば満足という考えでした。(続く)

続きは将棋世界2018年1月号で

以上、谷川浩司が語る「角換わりの歴史」の一部を紹介しました。角換わりを勉強したいと思っている方、また角換わりが得意な方にも必見の内容となっております。

本特集の続きは「将棋世界2018年1月号(12/1発売)」でご覧いただけます。

将棋情報局(マイナビ出版)

ライター将棋情報局(マイナビ出版)

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