将棋コラム

「奨励会の居心地は悪くなかった」佐藤名人、糸谷八段らと過ごした奨励会の思い出【船江六段インタビュー vol.2】

「奨励会の居心地は悪くなかった」佐藤名人、糸谷八段らと過ごした奨励会の思い出【船江六段インタビュー vol.2】

更新: 2017年07月31日

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船江恒平六段インタビュー

第2回は、船江恒平六段に奨励会時代についての話を聞きました。同期には、佐藤天彦名人や糸谷哲郎八段などタイトル経験者も多く、さぞかし苦労したのでは、と思いきや意外に船江六段自身はそうでもなかったようです。

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第53期王位戦リーグ最終局で渡辺明竜王と対局する船江五段(当時)。撮影:常盤秀樹

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第1回上州YAMADAチャレンジ杯決勝戦(2016年8月28日)では、千田翔太五段(当時)と優勝をかけて戦った。

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第1回上州YAMADAチャレンジ杯で優勝し、青野照市九段(当時・日本将棋連盟専務理事)からカップを受け取る船江五段(当時)。

――1998年(平成10年)に6級で関西奨励会に入られました。同期には佐藤天彦名人、広瀬章人八段、糸谷哲郎八段、戸辺誠七段、髙崎一生六段、及川拓馬六段、田中悠一五段、上村亘四段、甲斐智美女流五段らがいます。そうそうたるメンバーですね。

「平成10年組は逸材ぞろいだったと思います。なんと言っても竜王と名人を輩出していますからね。関西には多くの同期がいたんですけど、自分も含めて小学生の3人(佐藤名人、糸谷八段)がプロ棋士になりました。それを見ると、奨励会とはやはりそういう場所なんだなと思いますね」

――佐藤名人、糸谷八段はどのような子供でしたか?

「僕も含めてみんな幼いという感じでしたからね。当時の佐藤君のことはあまり覚えていないんですよ。そんなに話したこともなかったと思います。糸谷君ですら『面白い子』という印象くらいであまり覚えていないという(苦笑)。自分のほうがさらに子供っぽかったのに、こういうのもなんですが、あの2人は不思議な感じでした」

――奨励会の厳しさを知ったのはいつごろでしょうか?

「奨励会の厳しさ...。そういう感覚が無かったのがよくなかったですね。楽しんではいけないところで楽しんでしまったと言いますか。奨励会員という場所は僕にとって、居心地が悪くなかったんですね」

――どのあたりを楽しんでしまったんですか?

「先輩の奨励会員と遊ぶのが多かったですね。普通の学生ではやらないというか、経験できないというか。とにかく大人の人と遊ぶのが楽しかったですね」

――しかし順調に昇級昇段を重ねられた印象です。高校は地元の進学校に通われていました。

「中学校を卒業したころ、初段になりました。でも、後から奨励会に入った稲葉君は既に三段になっていました。僕が1級のころはまだ(稲葉君は)5級くらいだったはずなんですけど。高校卒業と同時に三段リーグに入りました」

――三段リーグでは勝率はよかったものの、昇段にはあと一歩届かない状態が続きましたね。

「4期目のリーグ、最終日に連勝していれば、結果的に昇段していたということがありました。僕と同じ条件だった天野(貴元・元奨励会三段)君と、連敗したもの同士で居酒屋に行ったんですけど、ホームページの結果を見て『おれたち連勝なら上がっていたやん』という感じでした(苦笑)。こんな状態で三段リーグの在籍数だけが増えていきました。そして9期目の三段リーグ。ここで昇段することができたんですけど、この少し前から本当にいろいろなことを自分の中で変えました」

果たして船江六段は、四段昇段に向けて、一体どのように、そして何を変えていったのでしょうか?次回にその謎が明かされます。

船江恒平六段インタビュー

池田将之

ライター池田将之

2010年からフリーライターとして活動開始。2015年まで将棋連盟モバイル中継記者。現在は新聞社に観戦記、将棋世界で「関西本部棋士室24時」などの記事を執筆している。

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