ライター諏訪景子

「トーヨーカネツ杯第1回関西女流新鋭戦」準決勝・決勝レポート
ライター: 諏訪景子 更新: 2025年10月03日
トーヨーカネツ杯関西女流新鋭戦の準決勝と決勝は、8月31日(日)に和歌山県有田市「橘家旅館」で行われました。大阪から和歌山へはJR特急「くろしお」が便利です。1日に数本、和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドに6月までいたジャイアントパンダを描いた「パンダくろしお」が走っています。今回はパンダくろしおに乗って箕島駅まで向かい、隣の紀伊宮原駅で下車しました。木造駅舎の紀伊宮原駅からはまっすぐな線路が伸び、駅の南北には田園や山が見えます。近くには有田川が流れています。ホームからは対局場の橘家旅館も見えました。
紀伊宮原駅からの風景
橘家旅館では、午前中に久保利明九段、久保翔子女流1級の親子、室田伊緒女流三段、崎原知宙女流1級による指導対局が行われました。また別室では井上慶太九段による入門教室が開かれ、子どもたちは基礎から将棋を学びました。ルールを習ったあとは、親御さんも一緒に駒を動かして練習を楽しみました。最後は二歩などの細かなルールの確認と両取りの練習で締めくくられ、参加者全員に盤駒がプレゼントされました。
指導対局の様子
井上慶太九段による入門教室
午後1時から開会式が行われ、出場者4名がそれぞれ抱負を述べました。その後は対局室に移動し、13時30分に準決勝2局が同時に始まりました。大手新聞社の将棋担当記者のほか、地元メディアの取材もあって、対局室にはカメラのシャッター音が響きました。
【準決勝】
立会人は室田女流三段が務めました。「関西の若手女流棋士の人数は増えて、しかも強い。あいさつもしっかりしているし、どこに出しても問題ない子ばかりです」と後輩を頼もしく見守っていました。
山口稀良莉女流初段‐岩佐美帆子女流1級
▲岩佐美帆子女流1級-△山口稀良莉女流初段戦(記録係:崎原女流1級)は、岐阜市の鶯谷高校の先輩、後輩対決(山口女流初段が1学年上)。室田女流三段が「三間飛車のイメージがあります」と印象を語った山口女流初段が四間飛車を採用し、岩佐女流1級は居飛車穴熊で対抗。相穴熊の戦いとなりました。
岩佐女流1級が7筋から仕掛け、さらに2枚の桂馬を中央にさばいて、駒損ながら受けの要の銀をはがして主導権を握ります。
【第1図は▲3五角まで】
上図は4四にいた角で3五歩を払った局面。ここまで山口女流初段は粘り強く受け続けましたが、ここで指した△2五飛が痛恨の一手になってしまい、▲6二角成△同金▲7一銀と進んで後手玉が寄り形になりました。久保九段は「山口さんは秒読みで慌ててしまいましたか。一旦▲3五角と引いているので、▲6二角成と切られる筋は錯覚しやすいですね」。粘り強い受けが持ち味の山口女流初段はこの後も受けの勝負手を放っていきますが、岩佐女流1級が攻めきって決勝進出を決めました。
岩佐女流1級は「(上図で)△2五飛以外なら、何を指せばいいかわからなかったです。決勝は大舞台ですが、優勝目指してがんばりたい」と話しました。
もう1局の▲松下舞琳女流初段-△木村朱里女流初段戦は、対局開始時に大盤解説の久保九段が立ち会いました。記録係は久保女流1級で、親子が盤側に並びました。
松下舞琳女流初段-木村朱里女流初段
対局は木村女流初段の三間飛車に対し、松下女流初段が居飛車穴熊模様の駒組みから積極的に開戦し、飛車をさばいていきます。先手の駒得が確実になったところで後手の木村女流初段は先手玉の壁形を突いて、端攻めで勝負に出ました。しかし松下女流初段も玉を中段に泳がせながら反撃をうかがいます。
【第2図は▲8五玉まで】
桂馬を取った上図で先手が逃げ切ったかに見えましたが、△9三角成が勝負手。▲9三同飛成は△同桂▲9六玉△9七飛でトン死してしまいます。△9七角成を本線で読んでいた松下女流初段は焦ったそうですが冷静に対応し、井上九段は「うまくしのいだ。反射神経がいい」と絶賛していました。30秒将棋の中で混戦になり、解説の井上九段、久保九段も「どちらが勝っているかわからない」「大熱戦」と見入っていました。
【第3図は△5七銀まで】
最後に抜け出したのは木村女流初段。上図の△5七銀が決め手となり、先手玉が木村女流初段が逆転勝ちを収めました。
【和歌山県内の将棋イベントの現状】
決勝戦の前に、大盤解説会に参加した和歌山市在住の男性にお話をうかがいました。和歌山市では昨年、竜王戦第5局が行われました。2010年前後に複数回、白浜や高野山でタイトル戦が開催されましたが、昨年の竜王戦はそれ以来のタイトル戦でした。
和歌山県内は子供向けの将棋教室はある程度あるものの、大人向けの将棋イベントは皆無に近く、仲間内で集まる程度の活動がほとんどだそうです。「第1回という記念すべき決勝戦を見られるのがすごくうれしいです。和歌山にいると将棋イベントは大阪まで行かないと参加できないことが多くて、今回は特に県南部から移動しやすかったのでよかったと思います。これをきっかけに大人向けのイベントが増えて、和歌山の将棋熱が高まることを期待しています」とお話しされました。
【決勝】
決勝戦は木村女流初段と岩佐女流1級の顔合わせとなりました。記録係は久保女流1級が務めました。振り駒でと金が4枚出て岩佐女流1級が先手になり、初手▲2六歩で対局が始まりました。準決勝に続いて後手番になった木村女流初段はここでも三間飛車を採用。序盤は持久戦を得意とする岩佐女流1級が穴熊を目指します。木村女流初段はトーチカ囲いで駒組みを進めます。
【第4図は△5五歩まで】
囲いが組み上がったところで木村女流初段が△5五歩から開戦。この局面は今年のヒューリック杯棋聖戦第1局(▲杉本和陽六段-△藤井聡太棋聖)の先後を入れ替えた形とほとんど同じです。岩佐女流1級は5筋に歩を打って収めて棋聖戦と別れを告げ、右辺を攻めていきました。対して木村女流初段は端から手を作っていきます。 大盤解説でも控室でも「いい勝負」「難しい」と言われていた下図。
【第5図は△8二同金上まで】
岩佐女流1級は「いい攻めがなく、形勢は悪いと思っていた」と振り返りました。木村女流初段も見通しが立たないまま進めていましたが、竜取りの▲7五角に△9七桂打が覚悟を決めた勝負手。▲同桂△同歩成▲同香△同桂成▲同銀△8五桂で、攻めが続く形になりました。△9七桂打には▲4八角と竜と取る手も有力でした。
木村女流初段が128手までで勝利し、栄えある初代覇者となりました。惜しくも敗れた岩佐女流初段は対局のあと「全力を尽くしましたが、もっと力を出せたはずという反省点もあります」と悔しそうな表情を見せていました。
表彰式では、立会人を務めた室田女流三段が「私自身は子供の頃に女流棋士の姿を見て、『将棋が強い女性がいるんだ』と憧れました。今回、こうして若くて強い女流棋士が多くいることを知っていただく機会になってうれしく思います。今後も長く続き、皆様に愛される棋戦になってほしいです」とあいさつ。続いて日本将棋連盟専務理事の脇謙二九段から表彰状が、またトーヨーカネツ株式会社の大和田能史社長から花束が贈呈されました。
トーヨーカネツ株式会社 大和田能史社長からの花束贈呈
木村女流初段は表彰式のあとのインタビューで「新しい棋戦ができると聞いて優勝を目指していましたが、強い方が多かったので、優勝できて喜びと達成感があります。普段はあまり緊張しないけど、準決勝の前は手足が震えるほど緊張しました。準決勝も決勝も、よくも悪くも自分らしい将棋が指せたと思います。今回は持ち時間が短く(各20分、使いきると1手30秒の秒読み)、秒読みになっても崩れないように意識しました。いつもLINEで連絡をくれる師匠(小林健二九段)、家族に優勝を報告したい。またタイトル戦のような環境で指せた経験を活かしたいです」と話しました。
高校2年生の木村は夏休みの終わりにこの棋戦を迎えました。「学校の友達も結果に興味を持ってくれていて、勝ったときはおめでとうと言ってくれるし、負けたときは『気にするな』という感じで背中をたたいてくれます」と、学校での結果報告を楽しみにしていました。
トーヨーカネツ杯関西女流新鋭戦は第2回の開催も予定されています。次回はどんな新鋭が登場するのか、今から楽しみです。
