ライター直江雨続
2007年ごろよりカメラを片手に将棋イベントに参加してきた『撮る将棋ファン』。
この10年間で撮った棋士の写真は20万枚以上。
将棋を楽しみ、棋士を応援し、将棋ファンの輪を広げることが何よりの喜び。
『将棋対局 ~女流棋士の知と美~』や女子アマ団体戦『ショウギナデシコ』で公式カメラマンを務める。
ライター: 直江雨続 更新: 2016年09月12日
おやつで読み解く棋聖戦の後編です!
第87期棋聖戦五番勝負。
ここまで棋聖戦8連覇中の羽生善治棋聖は23歳の若き挑戦者永瀬拓矢六段を相手に苦戦を強いられてきました。常識外れの大量のおやつ注文やアイスコーヒー氷なし定跡が功を奏し、シリーズはここまで2勝1敗で挑戦者がタイトル獲得に王手。
そして注目の第4局、絶対に負けられない戦いに挑む羽生善治がここで選んだあるおやつが、挑戦者の歯車を狂わせていく!?第4局からのおやつにもご注目ください。
■第87期棋聖戦第4局 2016年7月13日(水)
開催地<羽衣荘>(島根県隠岐郡隠岐の島町都万2213)
棋聖戦第4局は島根県の隠岐の島にある羽衣荘で行われました。
タイトル奪取まであと1勝と絶対王者を追い詰めた若き挑戦者永瀬拓矢六段。
もう負けは許されない羽生善治棋聖。二人の戦いとおやつに注目です!
午前のおやつ、羽生棋聖は「どら焼き」と「抹茶」を注文。
永瀬六段は「どら焼き」と「プリン・ア・ラ・モード」に「アイスコーヒー(氷なし)」を注文した
和菓子は島の老舗和菓子店「お菓子司 秀月堂」、洋菓子は町の人気洋菓子店「プチ ガトー」より。
なんと、羽生棋聖がここで「どら焼き」を注文。
「どら焼き」といえば、ここまでずっと永瀬挑戦者が連続して採用してきた定番のおやつ。相手の得意戦法を逆用しようという柔軟なチョイスに、羽生棋聖の作戦巧者っぷりが見て取れます。
しかも、飲み物として「抹茶」を選んだのは、
「永瀬くん、どら焼きには抹茶が一番ですよ」という絶対王者の意思表示か!?
どら焼きにコーヒーを組み合わせてきたこれまでの挑戦者の注文に、強烈なカウンターを突き付けた格好です。
対する永瀬六段、やはり安定の「どら焼き」と、さらに「プリン・ア・ラ・モード」を付けるという和洋折衷の欲張りなおやつ。前回見せた「コーヒー(ぬるめ)」ではなく、「アイスコーヒー(氷なし)」を選んでいます。
ともすればヒートアップしてしまう体と心を少し冷やそうというのでしょうか。
しかし、普通に考えれば「どら焼き」に「プリン・ア・ラ・モード」は組み合わせとしてちょっと指しすぎという気もします。その上、羽生棋聖から「どら焼き+抹茶」という王道を真っ向から提示された挑戦者。
このあたりの心理的な駆け引きがどう勝負に影響してくるのでしょうか。
羽生棋聖が注文したうな重とアップルジュース。うな重は町の老舗うなぎ料理店「鍋国」のもの。
永瀬六段は「握り寿し」(サビ抜き)に「鉄火巻」を追加注文(島の人気寿し店「八百杉」のもの)。飲み物は「アイスコーヒー」と「アップルジュース」(いずれも氷なし)を頼んだ。
将棋界においては「うな重」はある種特別な意味を持ちます。
羽生棋聖がついに「うな重」を注文した。それこそが、絶対に負けられない戦いに臨む王者の気迫を如実に表していました。
そして永瀬六段はもう、お昼はお寿司と決めているのでしょう。今回もわさび抜きでのお寿司を注文。さらに「鉄火巻」を追加注文と、旺盛な食欲をアピール。
氷なしのアイスコーヒーは午前と同じですが、氷なしのアップルジュースをつけたのは新手でしょう。
羽生棋聖は「プリン・ア・ラ・モード」と「レモンティー」を注文。
永瀬六段は「プレミアムショートケーキ」と「抹茶」と「アイスコーヒー(氷なし)」を注文した。
どちらのおやつも洋菓子は町の人気洋菓子店「プチ ガトー」より。
さぁ、がけっぷちの羽生棋聖はここでも安定の「午後のレモンティー」です。そしてなんと! 午前中に挑戦者が注文した「プリン・ア・ラ・モード」をここで採用してきました!
「永瀬くん、プリン・ア・ラ・モードは午後に食べるほうがいいですよ」と言わんばかり。
そうなんです。羽生棋聖ってこんな風に誰かの得意戦法をすぐに自分のものにしてしまえるんです。
ある戦法が流行る
↓
みんながそれを指すようになる
↓
羽生棋聖参入
↓
羽生棋聖勝ちまくり
↓
羽生棋聖が何か結論を出す
↓
流行終了
これ、将棋界ではよくあることです。
永瀬六段が採用したおやつを午前も午後も自分でも食べてみることで、羽生棋聖はもう挑戦者の作戦から何からすべて見抜いてしまったのでしょうか?
対する永瀬六段が選んだおやつは「プレミアムショートケーキ」、「アイスコーヒー(氷なし)」、そしてなぜか「抹茶」。
どういうことでしょうか。どら焼きを頼んでいないのに「抹茶」もつけています。午前中に羽生棋聖に突き付けられた「どら焼き+抹茶」に何らかの影響を受けたのでしょうか...。
第4局は羽生棋聖が勝って対戦成績を2勝2敗のタイとしました。
終局時刻は17時20分。お互いが持ち時間を1時間以上残し、早い時間の終局です。挑戦者永瀬六段にとっては力が出せず、不本意な将棋となりました。
泣いても笑っても、残すは最終局のみ。そこで勝ったほうが今期の棋聖戦五番勝負を制するのです。
■第87期棋聖戦最終局 2016年8月1日(月)
開催地<高島屋>(新潟県新潟市西蒲区岩室温泉678甲)
棋聖戦第5局は新潟県新潟市の高島屋で8月1日に行われました。フルセットで迎えた最終局。果たして勝負の行方とおやつの注文は?
羽生善治はフルーツ(桃、メロン)、ホットコーヒー。
永瀬六段はフルーツ(桃のみ希望)、アイスコーヒー(氷なし)。
注目の午前のおやつですが、これまでの流れを見てきたみなさんはきっと首をかしげることでしょう。だっておかしいですよ? おかしいですね?
永瀬六段のおやつの量が...すくない......?
しかも、桃とメロンを頼んだ羽生棋聖に対し、永瀬挑戦者は桃のみ希望...。
初タイトルがかかった最終局、その計り知れないプレッシャーは23歳の若獅子の食欲をも奪ってしまったのでしょうか。そしてここまでの4局で安定して注文してきた「どら焼き」の文字がないことにも寂しさと不安を覚えます。
昼食は羽生棋聖が天ざるそば、おにぎり(鮭)。
永瀬六段が握り寿司(サビ抜き)、アイスコーヒー(氷なし)。
羽生棋聖は天ざるそばと鮭のおにぎり。第3局と似たチョイスとなりました。
第1局から振り返ると、きつねうどん→握り寿司→もりそば+おにぎり(梅)→うな重→天ざるそば+おにぎり(鮭)となり、
奇数局には麺類、偶数局はご飯類という法則性が見出せます。
そして永瀬六段はやはり今回もわさび抜きのお寿司を選択しました。しかし、(多め)とか、鉄火巻きの追加、といった文字は見当たりません...。
プリンアラモードと生クリームのロールケーキに、羽生棋聖は紅茶(レモン、ミルク)。
永瀬六段はプリンアラモードと生クリームのロールケーキに、アイスコーヒー(氷なし)を注文しました。
最終局の最後のおやつ。なんと両者同じものを注文!!
これはここまでの5局で一度もなかったことです!
挑戦者と羽生棋聖のどちらが避けていたのかは不明ですが、常に違ったおやつを食べてきた二人。最終局の最後にしてまったく同じおやつが真っ向からぶつかったのです!プリンアラモードと生クリームのロールケーキ。
がっぷり四つの相おやつです。
ただし、飲み物が異なりました。羽生棋聖は安定の紅茶(レモン、ミルク)。ミルクもついてきましたが、おそらくはレモンティーとして飲まれるのでしょう。永瀬六段もアイスコーヒー(氷なし)という定跡手順をなぞります。
しかし、気になるのはやはりここでも挑戦者のおやつに「どら焼き」がなかったことです。いったいなぜなのでしょうか。
ここまでの五番勝負を「どら焼き」とともに戦い続けてきた永瀬挑戦者。
土壇場での「どら焼き」不在は勝負にどう影響するのか...?
最終局の終局は18時37分でした。
羽生棋聖が勝利し、第87期棋聖戦は羽生棋聖防衛で幕を閉じたのです。怖いものなしで初めてのタイトル戦に挑んだ永瀬六段が、戦いの中で、悩み、苦しみ、重圧を受け、当初の勢いをそがれ、最後は百戦錬磨の絶対王者の前に敗れ去りました。
そんな五番勝負の機微が、もしかしたら、おやつの注文からも読み解ける...、かもしれません。
将棋は人間と人間の戦いです。もしも将棋の強さに大きな差がないのなら、当日のコンディション作りも含めた、総合力で勝敗が決まるのかもしれません。
大きな勝負の日に棋士が何を注文し、何を飲み、何を食べたのか。棋士と棋士の勝負における重要な位置を「おやつ」が占めているのです。近年はコンピュータ将棋が強くなり、プロ棋士の存在価値を悲観する声も一部であるようですが、私は全く心配していません。
だって、コンピュータは「おやつ」食べないじゃん。
タイトル戦で棋士がおやつを食べ、ファンがそれに注目する限り、将棋というコンテンツの面白さは今後も何も変わらないはずです。渡辺明竜王の「頭脳勝負」という本にこんな一節があります。
例えばプロ野球を見る時。「今のは振っちゃダメなんだよー」とか「それくらい捕れよ!」。サッカーを見る時。「そこじゃないよ! 今、右サイドが空いていたじゃんか!」「それくらいしっかり決めろよ!」。自分ではできないのはわかっていてもこのようなことを言いながら見ますよね。それと同じことを将棋でもやってもらいたいのです。「それくらい捕れよ!」と言いはしますが、実際に自分がやれと言われたら絶対にできません。「しっかり決めろよ!」も同じで自分では決められません。将棋もそんなふうに無責任で楽しんでほしい。
私はこの渡辺竜王の言葉に勇気をもらって、今は堂々と「観る将棋ファンです」と公言しています。
おやつや食事に注目してタイトル戦を観戦することに将棋の強さは一切関係ありません。だから、私もこんな無責任な言葉で今回の記事を締めたいと思います。
「永瀬六段、なんで最終局はどら焼き食べなかったんだよー!」
将棋を全く指せなくても大丈夫。こんな風に無責任に、棋士と棋士との真剣勝負をぜひ一緒に楽しみましょう!
*写真はすべて棋聖戦中継ブログより引用
ライター直江雨続