将棋文化検定 ~良問振り返り~

vol.04

家元などが将軍の前で対局した「御城将棋」が行われた江戸城内の部屋はどれですか。
(1)松の間 (2)黒書院 (3)白書院

(2)
正確には「御黒書院(おんくろしょいん)」といいました。

昭和12年に「実力名人」最有力候補の木村義雄と、「関西名人」を自称して中央棋界から離れていた阪田三吉が対局しました。社会的にも注目されたこの一戦は、京都のどの寺で行われましたか。
①金閣寺 ②清水寺 ③南禅寺

(3)
南禅寺の対局で木村が勝ったあとに、花田長太郎と阪田三吉の対局が京都の天龍寺で行われ、花田が勝ちました。

「夏の夜や下手の将棋の一二番」という句を詠んだ俳人はだれですか。
①松尾芭蕉 ②与謝蕪村 ③小林一茶

(1)
芭蕉には、ほかに「やま桜将棊の盤も片荷かな」があります。

江戸時代後期の民間の強豪だった天野宗歩は、明治時代の知識人が評論記事を書くほど高名でした。その記事の執筆者はだれですか。
①夏目漱石 ②新渡戸稲造 ③福澤諭吉

(3)
福澤諭吉は天野宗歩の弟子だった小野五平十二世名人と親しい間柄でした。

竜王戦の前身棋戦は「十段戦」です。昭和62年に最後の十段を獲得した棋士はだれですか。
①高橋道雄 ②福崎文吾 ③米長邦雄

(1)
高橋道雄棋王が福崎文吾十段を4勝0敗で破り、最後の十段位を獲得しました。