弦巻勝のWeb将棋写真館

現像

更新: 2016年9月15日

今、現像と言えばパソコンに写真ソフトを入れ加工作業をする事を言う風ですが、少し前まで現像と言えばモノクロを自宅で暗室作業する事を言いました。

現像に行くと言えば、これはプロラボに行く事で、カラーはリバーサルフイルムですから専門家にやってもらうしか手が無かったんです。料金はフイルム1本の値段と現像代が同じくらいだったと思います。
36枚撮りが1本千円前後。今は何枚撮ってもフイルムも現像もタダ。良いのか悪いのか解りませんがとにかく簡単になりました。

社台ファームにて

1970年代プロラボの現像時間は8時間くらいは掛かっていました。夜中に車でラボ「堀内カラー」の夜間受付に撮ったフイルムを入れ翌日受け取る。上がりの状態が解らないから不安で、なかなか眠れない夜を過ごすわけです。
80年代になると現像時間もかなり早くなり3時間くらい。ラボの近くの喫茶店で時間をつぶし編集者と上がりを楽しみに待っていました。

散髪中の大山康晴十五世名人

受け取るまでの時間が早くなっても、写っているかどうか解らないのは同じで、此の「現像」で地獄に落ちる夢を数回も経験が有りましたから、技術の裏ずけと学習能力で何とかミス無くクリアして来た写真人生かと思います。

対局検分の模様

この頃アマチュアの方がカラーで撮ると言えばほとんどがネガカラーと言う別物のフイルムなんです。このフイルムは多くの点で幅が有り、多少明るく撮っても暗く撮っても
プリントの段階でなんとか救えます。ステーキハウスで焼加減がレアーとウエルダンの幅とすればどちらで焼いてもOKみたいな感じです。
プロが使うリバーサルフイルムはそうは行かなくてミデアムレアーに撮らないと失格。このとてもシビアな操作加減が、ヘボだとアウツなんです。印刷所の職人さんに叱られちゃうし、ま、仕事来なくなります。それくらい幅が無いフイルムで写真家先生は皆苦労していました。

今回の写真はリバーサルフイルムで撮った写真をニコンの9000EDと言うスキャナーでデジタル化したものです。僕の仕事ですからフアイルも雑で日付などはまちまちですが全部リバーサルフイルムで撮ったカットです。古くて色抜けの写真も有りますが半面時代やフイルムの種類が違うのが解るのではと思います。目に付いた将棋の写真を数点選でみました。

掲載写真についてのミニ解説(サイト編集部記)

写真上から順に(1):
写真(1)は、平成7年(1995年)7月24、25日に北海道虻田郡「ルスツ・リゾートホテル」で行われた第36期王位戦七番勝負(羽生善治王位 対 郷田真隆五段戦)第3局の翌日に撮影された一枚。北海道の社台スタリオンステーションを一行が訪れた。写真に写っている馬が、ノーザンテイストで、他にもサンデーサイレンス、メジロマックイーンなど歴代の名馬を見学した。なお、七番勝負は、第3局から羽生が4連勝し、4勝2敗で防衛を果たすことになる。
写真(2):
旅先の町で理髪店に入った時の大山康晴十五世名人。壁には、毎日新聞の号外が貼ってある。名人戦の主催が朝日新聞社から毎日新聞社に移った時なので、昭和51年9月頃に撮影されたものだろう。
写真(3、4):
共に、王位戦七番勝負の時の写真であるが、(3)は、第25期王位戦七番勝負第1局(昭和59年(1984年)7月17、18日・)対局検分の時の模様。三重県湯の山温泉「寿亭」で行われ、加藤一二三九段が高橋道雄王位に挑戦した。故・能智映氏(新聞三社連合)の姿もある。(4)は、昭和60年7月30、31日に岐阜県下呂温泉「水明館」で行われた第26期王位戦七番勝負第2局終了後に写された写真。第25期とは立場を変え、加藤一二三王位に高橋道雄六段が挑戦した。高橋六段を中心に板谷進八段、桐谷広人五段、記録係を勤めた阿部隆四段の姿もある。
写真(5):
第18期十段戦七番勝負(中原誠十段 対 米長邦雄王位戦)第2局が昭和54年(1979年)11月8、9日に神奈川県秦野市「陣屋」で行われた時の一枚。立会が花村元司九段であった。窓側のソファに座っているのが広津久雄九段。
写真(6):
大山康晴十五世名人と船の旅で九州に行った時に加工する前の将棋盤の販売を見学した時のもの。将棋盤は、榧(かや)の木で作られたものが最高とされ、高いものだと数百万するものもある。特に、宮崎県日向産の榧は、最高級とされている。
写真(7、8):
写真は、共に内藤國雄九段で、(7)は、「おゆき」を熱唱する内藤九段。「おゆき」は、昭和51年(1976年)に発売され、大ヒットした。写真は、昭和52年(1977年)2月に放送された「NTV 紅白歌のベスト10」に出演した時のもの。(8)は、昭和61年(1986年)頃だと思われるが、東京・将棋会館で撮影された内藤九段。