弦巻勝のWeb将棋写真館

青野照市九段 其の一

更新: 2016年3月14日

「必勝!鷺ノ宮定跡」と言う本が昭和61年2月20日、日本将棋連盟の書籍部から定価2千円で発売されています。

急戦の定跡で将棋の本質を学ぶ本です。当時の九段が和服姿でおさまった写真が表紙。
今この写真を見ると珍しくストロボで撮影していて懐かしいです。
中野区の鷺ノ宮の地は青野、米長、升田、少し離れますが大山、原田と棋士の先生方が多く住んで居ました。僕も鷺ノ宮で家が近い事も有って九段と交流が有りました。
伊豆の方に引っ越しされてからも何度か撮影でお邪魔しました。
車、オーディオ、カメラ、陶芸、何でも深く学び、何事にも見識の高い先生です。
グスタフ・マーラーはすごいとか音楽の話が多く、我が家でも語った事、今は懐かしく思い出します。
数年前に九段の自宅にお邪魔した時、マークレビンソンのアンプでタンノイと思うスピーカーを鳴らしていました。
鷺ノ宮当時からマランツが良いの、JBLが良いのと語っていましたから、今も変わらず本物の凝り性だなぁ~と、つくずく思います。

掲載写真についてのミニ解説(サイト編集部記)

写真上から順に(1):
順位戦終局後の青野照市九段(写真右)、故・真部一男九段(写真中央)、淡路仁茂九段(※いずれも段位は現在)。撮影年月日は不明だが、関西将棋会館の近くの店で撮影されたもの。おそらく、真部、青野の両氏の対局終了後であろう。淡路はその格好から、対局ではなかったと思われる。この三人は、青野、淡路は、いずれも1974年4月に四段になった同期。その一年前に真部が四段となっていて、同年代の棋士である。
写真(2):
昭和58年10月に「月刊宝石」に掲載用として撮影された一枚。ティーオフの時を撮影したものだろう。持っているクラブがパーシモンのドライバーなのが時代を感じさせる。
写真(3):
昭和59年に撮影。東京・新宿の「京王プラザホテル」で催された米長邦雄三冠パーティーの時のもの。青野九段の隣に写っているのが、指揮者の小林研一郎氏。
写真(4):
昭和60年3月11日の第43期名人戦挑戦者決定リーグ戦最終局を終え、当時、将棋棋士等関係者が行きつけにしていた新宿二丁目のスナック「あり」で撮影された一枚。手前に写っているのが、勝浦修八段、中央が森けい二八段、右が青野照市八段。この年の名人戦挑戦者決定リーグは、大山康晴十五世名人が休場したこともあり、降級は1名であった。青野は、2勝6敗で危うかったが、順位の差で降級を免れ、残留を決めた。その為か、表情にも明るさがある。
写真(5):
平成元年9月25日に第37期王座戦五番勝負第3局が神奈川県湯河原町「般若苑」で行われた。初のタイトル戦登場となった青野照市八段は、中原誠王座を相手にこの対局を勝ち、王座のタイトル奪取に王手をかけた。その時の感想戦での一枚。青野八段は、中原王座を土俵際まで追い詰めたものの、その後中原王座が2連勝し、防衛。あと一歩が及ばなかった。
写真(6):
静岡県伊東市に住んでいた青野九段宅で行われた研究会で、平成4年頃に撮影されたと思われる。写真左から、先崎学九段、郷田真隆王将、青野照市九段、森けい二九段、中田宏樹八段。(※肩書きは現在)