弦巻勝のWeb将棋写真館

竜王戦 其の二

更新: 2016年2月15日

<サイト編集部より>
今回掲載分については、写真と写真解説のみで原稿はございませんので、ご了承ください。

掲載写真についてのミニ解説(サイト編集部記)

写真上から順に(1)十段戦が発展的解消となり、第1期竜王戦が昭和62年11月13日に開幕した。開幕局は、ランキング戦6組の村山聖四段 対 古賀一郎アマ戦、森内俊之四段 対 小林庸俊アマ戦、そして先崎学四段 対 小島一宏アマ戦の3局が行われた。関西将棋会館で行われた村山-古賀戦は、古賀アマが勝利。他2局は、東京・渋谷区「将棋会館」で行われ、その模様を撮影したのが、この写真。森内-小林戦は、森内四段が勝ち、先崎-小島戦は、198手の熱戦の末、先崎四段が勝った。ちなみに、先崎-小島戦の記録係を勤めたのが深浦康市初段(現・九段)である。

写真(2):
第2期竜王戦挑戦者決定三番勝負第1局が平成元年9月4日に東京・渋谷区「将棋会館」で行われた。ランキング戦3組優勝の羽生善治五段と4組優勝の森下卓五段で争われた。羽生五段は、小林宏五段、南芳一王将、大山康晴十五世名人を下し、一方の森下五段は、佐伯昌優八段、中原誠棋聖、内藤國雄九段を破り、決勝三番勝負に進出した。写真は、第1局の昼休明けの時の模様。結果は、第1局を羽生五段が96手で、第2局も103手で羽生五段が勝利し、島朗竜王の挑戦者となった。
写真(3、4):
写真(3)は、第2期竜王戦七番勝負第1局の前夜祭の時のカット。写真(4)は、前夜祭後の娯楽室でも模様。よく見ると、モノポリーをしている。島竜王は、当時からモノポリー愛好家であったが、当時は「禁モノポリー」中であったそうだ。しかし、見ているだけで我慢ならず、遂に羽生六段とともに参戦した。前日に両対局者が一緒にゲームに興ずることは、珍しいと言えよう。
写真(5):
第2期竜王戦七番勝負(島朗竜王 対 羽生善治六段)第1局が、平成元年10月19、20日に神奈川県川崎市「川崎市民プラザ」で行われた。この対局は、2日目の午後3時から同所で対局場を移して公開対局として行われ、タイトル戦で初となる画期的な企画であった。両対局者は2時50分となったところで、和室から大ホールへと対局場を移動した。そもそもこの発案は島竜王のものだった。会場は、400名の観客が入り、入場に際しては、ジャケット、ネクタイのドレスコードもあった。対局は、島竜王が139手で先勝。写真は、午後7時27分に羽生六段が投了した時の一枚。
写真(6、7):
写真(6)は、第2期竜王戦七番勝負(島朗竜王 対 羽生善治六段)第4局(平成元年11月16、17日、於・北海道「朝陽亭」)終局後の模様。なお、第2局は、持将棋となり、ここまで島竜王の2勝1持で迎えた第4局は、羽生六段が難局を115手で勝ち、1勝を挙げた。
写真(7)は、第7局(平成元年12月18、19日、於・千葉「ホテルニューツカモト」)での一枚。持将棋を挟んで2勝していた島竜王であったが、第4局から6局まで3連敗とし、防衛に赤ランプが点っていた。そして迎えた第7局を137手で制し、竜王のタイトルの行方は、第8局へと持ち越されることになった。
写真(8、9):
第2期竜王戦七番勝負第8局(平成元年12月26、27日、於・東京「東京グランドホテル」)の模様。写真(8)は、2日目昼休明けを捉えた一枚。写真(9)は、終局直後の模様。第8局を129手で勝った羽生六段は、4勝3敗1持で19歳という若さで棋界最高位である竜王のタイトルを獲得した。